再会
転移門が開かれて間もなく、駆け付けたシーラにお叱りついでに玉座に隠れているように言われ、珠希は暫く身を潜めていた。
クローヴァルトを止めることも叶わず、何も出来なかった罪悪感に打ちのめされ、膝を抱えてどのくらい経っただろう。
明け方くらいまで暫く辺りが騒がしくはなったが、今は静かなものだった。
「そろそろ戻った方が良いかな…」
困惑しつつ、窓から様子を窺う。
落ち着いたらシーラが迎えに来るとは行っていたが、奇襲攻撃から逃げ帰ってきた兵達の手当で忙しいらしく、誰一人としてやって来ない。
いつまでもここにいても、仕方ないし、どうするか―――、考え倦ねているとバリバリッと雷のような音が轟いた。
空には雲一つなく、まさかと駆け上がった屋上。そこから見えたのはおどろおどろしい魔法陣だった。
―――まさか。
目を凝らし、離れた場所にある遺跡を凝視。何が起きているのかと不安に駆られ、堪らず玉座へと駆け下りた。
その時だった。
「おやぁ?何でこんな所に聖女様がいるんだぁ?」
長い身をくねらせ、下への降り口に立ちはだかる宿敵。
転移門より出陣した筈のサイペルスだった。
下半身の虫足がいくつか欠けている。どうやら負傷して逃げ帰ったらしい。
咄嗟に屋上へと逃げようとした。
しかし、相手の方が素早かった。
行く手を阻まれ、蜷局を巻くようにぐるりと長い胴で囲われた。逃げ場を失った。
「いやぁ、嬉しいなぁ…!随分と人族の肉を食えてなくてさぁ…!」
ずいっと顔を寄せ、サイペルスは舌舐めずり。
咄嗟に髪に挿していた簪を手に取り、尖った先を振り翳した。
「んなもん、意味ねぇよ!」
頭部の人型部分をにょきりと伸ばし、鎧のような皮膚に覆われた腕を出したサイペルスは嘲り、その手から簪を力尽くで奪い取るや容易くへし折った。
「ノーマだろうがこの際関係ねぇ。腹が減って仕方ねぇんだ…!」
涎を啜り、逃げ惑う珠希をきつく締め上げる。
「こんなことして、唯で済むと!?」
必死の抵抗でどうにか片腕を脱し、その腕を振り上げた彼女は警告。
同時に手首からグラジオから贈られたブレスレットを手繰り寄せ、叩きつけんと構えた。
虚勢だと高を括ったサイペルスは、ニヤニヤと嗤うばかり。
覗く牙は鋭く、喉笛を噛まれれば一溜まりもない。
―――いっそ死ぬなら一矢報いん!
その口が喰らい付かんと開かれた瞬間、珠希は決死の覚悟で自分の腕ごとブレスレットを異形の身体に叩き付ける。
瞬間、迸った稲妻。凄まじい衝撃を伴い、サイペルスの半身は焼き切れ、珠希も反動で壁に叩きつけられた。
これでも同時付与されていた防御魔法が働いたくらいだ。
辛うじて保った意識の中、早く逃げねばと床を這いずる。瓦礫を手掛かりに身体を起こし、壁伝いに階段を下った。
逃げなきゃ殺される。
走れ。
進め!
己を奮い立たせ、砂を蹴り上げ、泉の畔へ。
しかし次の瞬間、足に激痛が走った。
倒れ込み、何だと振り返る。
傷だらけの肌に突き刺さった鉄筋のような黒い棘。本能的に鷲掴んで引き抜き、傷口を押さえながら立ち上がろうと試みる。
けれど、その時には既に追い付かれていた。覆い被さった影は怒りに震え、殺意に血走った視線が見下ろした。
「コロス…!」
殺意しか無い一言と共に、その口が大きく裂け、悍ましい牙が剥かれる。
嗚呼、終わった。
死を覚悟し、恐怖にぎゅっと目を瞑った。
「珠希っ!!!」
名を呼ぶ声が轟いた。
刹那、声の方を向いたサイペルスの首が刎ねられ、血吹雪が舞った。
ドサリと崩れたムカデの巨躯。砂地に転がった生首はもうピクりとも動かなかった。
何とも呆気ない最期だった。
「珠希…!」
再びの声にそっと目を向ける。
跪き、抱き寄せる赤の髪。透かさず足の刺し傷を止血する手の温もりに緊張が解け、途端に涙がこみ上げた。
「グラジオ様っ…」
手当が終わるや否や縋るように抱きつき、その存在を確かめた。
汗の匂い、無精髭の頬、安堵に泣きそうな視線。
その全てが愛おしく、懐かしくさえあった。
「珠希っ…、もう大丈夫です。帰りましょう…」
抱きしめ返し、グラジオもまた彼女との再会を噛み締める。
遅れて駆け付けた一騎とシャスタも安堵の笑みを零した。
―――間に合って良かった。
只々その一言に尽きた。
そうと言うのも、魔王クローヴァルトを斃して間もなく、グラジオは憑依されていた亡骸の弔いを部下達に任せ、単身、魔王城へと超特急で引き返した。
あの時、己を目覚めさせてくれたブレスレットの光であったが、あれは珠希の危機を知らせる信号であり、詰まる所、彼女が絶体絶命の危機に瀕している事を意味していた。
案の定、ブレスレットの光を頼りに捜索して見ればの現在である。
「魔王は斃しました。聖剣による魂の浄化も完了しました。もう心配はありません」
そう告げた彼に珠希は息を呑んだ。
そして、安堵のあまりくしゃりと顔を歪め、コクリと頷くや肩を震わせて泣き出した。
もう彼が魔王と化し、世界を滅ぼすことは無く、彼が志半ばで死ぬ未来も無くなった。
その事が嬉しく、同時に魔王として苦しみ続けたクローヴァルトがその役目から解放されたことに胸を撫で下ろした。
その時だった。
地響きを伴ってドーン!と何かが倒れる音が轟く。
咄嗟に身を捩って振り返った泉の岸辺、水飛沫を上げて倒れたナツメヤシの聖樹に珠希は絶句した。
「フェニシス様っ…!」
飛沫に西日が煌めき虹が掛かる中、根元から倒れた聖樹の傍らで、ぐったりと座り込む精霊に珠希は足を引きずりながら駆け寄る。
抱き寄せた身はあまりにも軽く、今にも消えてしまいそうだった。
『…珠希…っ…、無事だね?…彼等と…合流…出来たんだね…、良かった…っ…』
涙に濡れる頬を撫で、彼女を追って駆け付けたグラジオ達の姿に安堵したように精霊は微笑む。
『…勇者よ…、ありがとう…父上を救って…くれてっ…』
虚ろな視線を送り、感謝を述べる。
もうその姿は分からなかったが、聖剣から漂う気配で彼だと分かった。
「フェニシス様っ…」
『…君に…最期を…看取ってもらえて…幸せだ…、ありがとう…、君に…一際の…幸あらん…こと…をっ…』
それが最期の言葉だった。
吹き抜けた乾いた風にその姿が崩れ、弱々しく飛び上がった精霊蟲が暮れなずむ陽の光に灰となって消えていく。
嗚咽を堪えることなんて出来なかった。
項垂れる背を擦ったグラジオの胸に縋り、珠希は只、子供のように泣きじゃくる事しか出来なかった。




