揺るがぬ想い
ジリジリと照り付ける太陽の元、要塞を越えて砂漠の丘をひた走る。
背後の魔王城が小さく遠くなった頃、漸く辿り着いたのは石造りの太古の神殿だった。
捜索のため各自相棒の背から降り、警戒を強めながら長い階段を登って薄暗い内部へ。
生き物の気配のしない無機質な回廊を進み、辿り着いた最上階。抜けるような青い空を仰ぎ、壊れた飾り柱に四方を囲われる空間の中央―――、祭壇と思しき台座の上、供物のように珠希は手枷を付けられた状態で座り込んでいた。
「珠希!」
その姿にグラジオは笑みを浮かべて駆け寄り、安堵のあまり視界を狭める兜を剥ぎ取る。
幸い目立った外傷はなさそうだ。
「グラジオ様!」
彼女もパッと笑みを浮かべ、立ち上がらんと足に力を込める。
しかし次の瞬間、二人を隔てるように魔王クローヴァルトが眼前に出現。
咄嗟にグラジオは剣の柄に手を添え、身構えた。
「待っていたぞ、勇者。弱卒なりに我に挑もうとは良い度胸だ」
淡々と魔王は告げ、地面の己の影より槍を召喚。
一騎は緊張の色を濃くした。
背景は違えども散々ゲーム上で見聞きした台詞だった。
ここからグラジオと魔王の二十年前の回想会話が始まり、もう憎しみ合いは止めようというこちらの説得虚しく魔王討伐戦が開始する。仕様として最初は魔王には全くダメージが入らない。こちらのライフポイントが半分まで削られま所で、魔王がグラジオの憑依を試みる筈だった。
「…ここで、かつて一人の少女が処刑された。私にとっては最愛というべき存在だった…」
忌々しい過去を振り返るように語りながら、魔王は珠希の手枷に繋がる鎖を空高く引っ張り上げ、怯える彼女を宙へと浮かせる。
この台詞は記憶にない。
何の話か分からない。
嫌な予感がした。
止せ、止めろ―――!
「お前たちにもその絶望を味あわせてくれる…!」
そう告げた瞬間だった。
振り向いた魔王は、手にした槍を吊るされた珠希の胸へと迷う事なく突き立てる。
瞬間、その身を貫いた槍の切っ先が背より突き出し、白刃から垂れた真紅が祭壇を濡らした。
「…グ…ラ…ジオ…さ…ま…っ…」
助けを求めるか細い声。
途端に多量の血を吐き、彼女の瞳が絶望の果てに光を失う。
一瞬の出来事だった。
高笑いする魔王は、事切れたその身を愕然とするグラジオへと投げつけ、抱き止めた彼は血に塗れた最愛を胸に崩れ落ちた。
「珠希っ…そんな…っ…」
動かぬ彼女に、見る見る視界が色を失う。
だらりと人形のように垂れる手足。
閉じ切らぬまま、もう合わぬ視線。
やっと会えたのに。
もう声も聞けない。
感覚が鈍る。
息の仕方も分からない。
「ほう…、実に強靭な肉体だ…!貴様こそ我の新たな身体に相応しい!」
絶望に項垂れる彼に忍び寄り、魔王はその頭を鷲掴む。
瞬間、どす黒い瘴気がグラジオの体を飲み込み、ビクリと痙攣するように両者の身が震えた。
間もなく魔王であった肉体が糸の切れたマリオネットの如く崩れ落ち、珠希の亡骸をその手から落とした血塗れのグラジオがゆらりと立ち上がった。
「ははっ…、これは素晴らしい…!」
その声は確かに彼だった。
けれど、その身からは瘴気が噴き出し、口調も雰囲気も一転。
立ち尽くすしかなかった騎士達の心臓が途端に警鐘を鳴らし、最悪の事態を知らせる。
「嘘っ…だろ…」
「団長…っ…、そんな…」
本能的に武器を構えた彼等だったが、振り返った顔にその刃を躊躇わずには居られなかった。
動けない騎士達の前、グラジオの肉体を乗っ取った魔王は転がっていた槍に手を翳し、意思を持ったように槍がその手に飛び込む。
同時に足元で無惨に転がっていた珠希の遺体が灰となり、中から小柄な獣人の骸が現れた。
「…藤崎さん…じゃない…?」
転がる骸に剣を構える一騎は目を疑った。
そして、微かな希望を瞳に宿した。
「幻術だよ。卑しくも我に色目を使った愚か者を依代に使った次第だ。ここの女官達が思いの外、あの聖女を気に入っているものでな…。終焉の時までは生かしておいてやるつもりだ。まあ、人肉を好む配下の餌にならねばの話だが…」
グラジオの皮を得た魔王はそう告げ、顔に垂れた髪を掻き上げる。
その額には魔王の証とも呼ぶべき、六つの目が出現していた。
「団長!目を覚ましてください!!藤崎女史はまだ…!」
「団長っ!」
「乗っ取られちゃ駄目だ!抗ってください!」
「団長!!」
必死の思いで騎士達は叫び、グラジオ自身に呼びかける。
しかし次の瞬間、魔王が振るった槍より強烈な瘴気の旋風が放たれ、一同、容赦無用で薙ぎ払われた。
「無駄だ!既にこの肉体は乗っ取った!!もう貴様等の言葉など届かぬわ!」
無惨に倒れた騎士達を前に、残酷な宣告が放たれる。
魔王は仕上げとばかりに天へと槍を翳し、その切っ先より飛ばされた鮮血色の光が、世界の終焉を告げる魔法陣を描き始めた。
「…グラジオっ…団長…!」
呆気なく叩きのめされ、俯せていた一騎は拳を握る。
みっともなく這いながら聖剣を握り直し、それを杖代わりにやっとの思いで立ち上がった。
体中が痛い。
瘴気で息も苦しい。
逃げたい。
死にたくない。
逃げられない。
せめて、ここで終わらせないと―――。
眩む視界の中、胸に仕舞っていた最終手段の小箱を手に取る。
魔王を倒さねば。
でも―――。
「…団…長っ……」
ボロボロと涙が溢れた。
目の前にある姿は、厳しくも熱心に稽古を付けてくれたグラジオで、変わり果ててもその姿に決断を躊躇わずには居られなかった。
決死の思いで振り被り、溢れる涙にぎゅっと瞼を瞑る。
投げつけなければ。
彼を斃さねば―――。
頭では解っていた。
それでも、心が拒絶した。
「…んだよっ…!藤崎さんはどーすんだよっ!!起きろっ!!あの人とキトリアに…!ヴォタニカリアに帰るんじゃねぇのかよっ!!?」
精一杯の叫びを浴びせ、今一度、振り被る。
それと同時だった。
グラジオの手首、珠希とお揃いのブレスレットが太陽のような強く温かな光を放つ。信号を送るように瞬いた光は、照準を合わせるように細く立ち登り、彼女の居場所を一直線に指し示した。
魔王城の一際高い塔―――、魔王の玉座だった。
「…嗚呼…、その通りだ…っ…」
その呟きと共に掲げられた槍の手がゆっくりと落ちる。
刹那、ぶわりとその身から瘴気が溢れた。
否、その心より溢れ出した強き想いに、瘴気と共に魔王の魂が彼の内より弾き出された。
「私は帰らねばならん。ヴォタニカリアの騎士として…、珠希を連れ帰る…!」
己を取り戻し、グラジオはガザーニア帝より授けられた御剣を抜刀。
逃げ帰るように突っ伏していた元の身体へと憑依した魔王は、その刀身より放たれる強烈な気配に慄いた。
「…何だ…っ……その…剣は…っ…!」
蹌踉めきながら、クローヴァルトは恐れをなして後退る。
「大地の精霊王グノムジカより賜りしオリハルコンの剣に、火の精霊王サラマンダリアの加護を受けたキトリア皇室の秘宝。名をフレアガラッハと言う…!いざ、覚悟!!」
不敵に微笑み、グラジオは構えを取るや真正面から仕掛けた。
咄嗟に槍で受け身を取るも、次の瞬間には彼は背後にいた。
「一騎!今だ!胸を狙え!!」
聖剣の一撃を受け止めさせるべく、グラジオは宿敵の背を貫き、魔王を固定。
根性を見せ、軽快に駆け出した一騎は迷わなかった。
真っ直ぐに突き立てられた聖なる刃は、クローヴァルトの魂核を貫き、長き怨嗟に穢れた魂を瘴気から解放した。
「…嗚呼…シレネ…っ…やっと…お前の元に…っ…」
静かに二つの刃が引き抜かれ、その肉体が灰となって崩れて行く中、クローヴァルトは蒼天を見上げ、そっと瞼を伏せる。
不思議と悔しさはなかった。
やっと終われる―――、あったのはそんな安堵感だけだった。




