切なる願い
夜更けのことである。魔王クローヴァルトの住まう塔に呼び出された三貴将最後の一人サイペルスは玉座に跪き、冷や汗を掻いていた。
不機嫌な魔王の傍らには魔王城の内部運営を仕切る女官長、蚕蛾魔族シルルが怒りを顔に浮かべ、小間使いにしていた蟻魔族が無残な姿で横たわっている。
「報告は受けている。フェニシスからも確認を取った」
端的に告げ、クローヴァルトはゆらりと玉座から起立。
瞬間ズンッと威圧感が増し、息をするのも苦しくなった。
怒りの理由など聞く必要もない。聞いた瞬間に首が飛ぶ。
「良いか?虫魔族の貴様が誰のお陰でここまで力を得られたと思っている?我の命に従えぬならディジタリアと同じく八つ裂きぞ?」
警告し、念を押すように魔王は項垂れる肩を撫でる。
まるで煮え滾る油を掛けられるかのようだ。普段ならば溶けもしない鎧の皮から煙が立ち、肉が焼け爛れる。
怒りに熱を帯びた瘴気はマグマのように粘りを持ち、サイペルスは悲鳴を上げぬように唇を噛み締めた。
「あれは貴様等の餌ではない。部下にもよく伝えておけ」
淡々と要件を伝え、気が済んだのかクローヴァルトは玉座の間から退席。
良い気味だとばかりに鼻で嗤ったシルルも翅を広げて朽ちた窓辺から要塞へと戻った。
静寂の場に激痛のあまり突っ伏し、サイペルスは呻き声を漏らす。
屈辱だった。理解に苦しんだ。
所詮人族など魔族に比べれば非力で短命。文明だの開発だのと宣っては大地を汚す自分勝手な存在。魔力豊富な肉にしかならない利用価値。それの何処が良いというのか。
「…人間風情がっ…」
一方的な恨み口を零し、サイペルスは身の回復を急ぐべく転がっていた骸となった小間使いの肉を怒りのままに貪った。
申し訳ない事に翌日から護衛が付いた。昨晩の出来事は瞬く間に魔王の耳に届いたらしく、サイペルスの一派は珠希のいる魔王城本館から出禁となった。更に魔王軍の中でも武に優れた竜人族の戦士が部屋の外に配置される事態となった。
「あの、私、本当に人質ですよね?客人と間違えてませんよね?」
用を足しての部屋への戻り際、護衛に就く竜人族シーラに思わず訊ねた。
何という気遣いか、竜人族の中でも数少ない女性である。見た目こそトカゲながら胸や局部は鎧で隠し、首や手首には金細工のアクセサリーでお洒落をしている。
「大丈夫、ちゃんと捕虜扱い。唯ね、女の子だし攫ってきた手前だから。それにウチの組織って勝手しちゃう奴が多くて…。ごめんね、出歩いて良いって言った手前なのに引っ付いててさ」
非常にフランクな対応で彼女は答え、丁度着いた部屋のドアをあげてくれた。
「…あ、お帰りなさい。お昼ご飯届いているわ」
丁度、中で昼餉の準備をしていたシルルは戻ってきた珠希に微笑む。
テーブルに並ぶ食事は質素ながらに栄養バランスがよく考えられていて、人族の珠希のために作られた事がよく分かる。尚且つ、この不帰の大地は砂漠地帯で、食糧そのものが乏しい。
人質と言う割には凄く気を遣われていて面目ないし、何より魔族は皆、長命で珠希より大分年上のせいか子供扱いである。
「こんな調子で良いのだろうか…」
暇を持て余して気晴らしにやってきた聖樹の傍ら、泉の岸辺に腰を下ろし、砂漠の花々に囲われながら珠希は雲一つ無い空を見上げた。
少し離れた所ではシーラが、しっかりと監視の目を光らせて、ちょっかいを出さんとする輩を牽制している。
敵地に連れ去られたと言うのに、あまりにも長閑な時間。穏やか過ぎて己の状況を忘れそうになる。寧ろこの平穏が不安を煽って堪らなかった。
「…グラジオ様…スイバ…っ…」
手首に着けたブレスレットを抱きしめるように胸に寄せ、離れ離れの寂寥感に膝を抱えて蹲った。
ここに攫われて来た日にサラマンダリアから、皆に命の別状は無いとは聞いたけれど、傷の具合とか今の様子が心配だった。あれからサラマンダリアの分身体も簪のとんぼ玉に籠もって音沙汰が無い。あちらの様子を知りたくとも囚われの身では無闇に呼び掛けられず、何も出来ずに時間ばかりが過ぎることが歯痒かった。
『…泣いてるの?』
そんな声と共に影が被った。
顔を上げてみれば、精霊フェニシスが小首を傾げていた。
「ごめんなさい…、ちょっと淋しくなっちゃって…」
苦笑いで瞼に滲む涙を拭い、微笑みを繕う。
するとフェニシスは傍らに胡座を掻き、慰めるように頭を撫ででくれた。
『今日はちゃんと護衛を連れて来たんだね。良い子だ』
そう言って自愛に満ちた笑みを浮かべる眼差しは、今やもう会うことの叶わない五つ上の兄、柾尚に何処か似ていた。
「魔王が…クローヴァルト様が就けてくれたんです。サイペルスにも釘を刺してくれたみたいで…」
何となく呼び方を言い換えつつ事情説明。
珠希や諸国の者からすれば魔王クローヴァルトは憎むべき巨悪であるが、ここの人々にとっては奴隷から解放してくれた怖いけれど良き支配者だ。単に魔王と呼ぶのは気が引けた。
『そうか、それなら一先ず安心だね。でも油断してはいけないよ?ここは過酷な大地だ。君がこれまで過ごしてきた土地の人々とは考え方が違うからね』
微笑みながらも念を押すフェニシスに、珠希はしかと頷く。
あくまで人質であることを肝に銘じる彼女に、精霊はふと真剣な眼差しを向けた。
『…囚われの身である君に、こんな事を頼むのは忍びないのだけど…、一つ僕の願いを聞いてもらえないだろうか?』
改まったように依頼するフェニシスに珠希はキョトン。
頷きながらも緊張を見せる彼女に、精霊は神妙な顔で頼みを告げた。
『どうか、父上を…、クローヴァルトを救ってはもらえないだろうか?あの方を永遠の苦しみから解放してあげてほしいんだ』
突拍子も無い頼み事だった。
思わず黙り込んだ珠希は、少しの間を置いて、その場に正座。覚悟を決めるように一呼吸して具体的にどうすれば良いのかと訊ね返した。
『やることは簡単。覚醒したエルダの聖剣で魂核を貫くんだ。人族の体に憑依しているけれど父上のも恐らくこの辺りにある筈だ。これを砕かない限り、原初精霊である父上は死ぬことが出来ない。魂は瘴気に縛られたままだ』
そう告げながら、フェニシスは胸元の紗衣を除けて胸に張り付く石のようなものを見せる。
珠希は瞠目した。
こちらの世界に来てから基礎知識として、精霊の魂核については学んでいた。霊体に近しい精霊にとって魂核は命の要。故に魂核が傷付けば精霊は弱り、砕けでもしようものなら死んでしまう。
それなのに―――、フェニシスの魂核は細かく罅割れ、今にも砕け散りそうだった。
『君にはクローヴァルトを説得して、聖剣の一撃を素直に受け入れさせてほしいんだ。無理は承知だ。けれど、これ以上父の為に余計な血が流れるのは見たくない。何よりもう僕には時間が無いからね…』
自嘲気味に肩を竦め、フェニシスは魂核を隠す。
あまりの事実に珠希は返す言葉に悩んだ。精霊にも寿命はある。しかし、それを目の当たりにするのは苦しいものだった。
『嘆くことでは無いさ。形あるものは、いつか壊れるが定め…、こればかりはどうすることも出来ない。だから、どうかお願いだ。最後に父上の行く末を見届けさせてほしい…』
隠した魂核に手を当て、フェニシスは懇願。
切実な姿に珠希は戸惑うあまりに沈黙した。
唯の人間である己にとても説得など出来るとは思えない。魔王の強さはまざまざと見せつけられた。
―――それでも。
目の前で助けを求める儚き存在に、彼女は腹を括った。
「…出来る限りのことをしてみます。何処まで出来るかは分かりませんが…」
それが口に出来た答えだった。
珠希なりの精一杯の誠意だった。




