砂漠の精霊
砂漠地帯ではあるが、水は豊富らしい。
不帰の大地に攫われてきて初めての晩、珠希は魔王の居城にて魔王軍の女子達から、やいのやいのと背中を流されていた。
「やっぱり、人族の肌って柔らか〜い」
「何だろう…、爬虫類系の魔族とは違うスベスベ感…」
「うん、モフモフ感が売りの獣人とは違う魅力があるわ…」
「着替えはどれにする?」
「こっちの白とかは?」
温かな湯殿にて床に敷かれたマットの上、按摩を掛けられながら珠希はあちこちから聞こえる声に戸惑った。
ここでは人族の姿はなく虫系魔族や獣人ばかり。その反動か皆が皆、珠希に興味津々。実に丁重にもてなされている。
「あの〜…、私って、立場的には人質ですよね?」
あまりの待遇の良さに珠希は確認。
するとワイワイ賑わっていた彼女らは一瞬沈黙した後、輪になってひそひそと会議を開始。
そして、誰が言ったか―――。
「「「魔王様のお嫁候補?」」」
そう訊ね返す期待の眼差し。
「それは断じて違うと思う」
速攻で否定した。
途端に彼女らはそりゃそうかと大笑い。
「だよねー、魔王様って元々精霊だし〜」
「でも昔、人族の女の子を愛してたって噂よ?」
「あ〜、あの話ね。魔王様が魔王化した逸話の」
「ニンファエアの悲劇でしょ?」
「ニンファエア?」
不意に出た名称に珠希は小首を傾げた。
曰く、千二百年ほど昔この辺りには闇の精霊王クローヴァルトを崇拝するニンファエアという穏やかで水魔法を得意とする少数民族が暮らしてた。しかし他所からやってきた異民族が土地を奪うために彼等を虐殺。己を愛してくれた民を皆殺しにされたクローヴァルトは、その哀しみと憎しみのあまり異民族が築いた国を一夜にして滅ぼし、そのことに怒った神によって精霊王の権能を奪われ、魔王に堕ちたと言う。
「全く酷い話よね…!人族の文化は好きだけど、そう言う獰猛な所は嫌いだわ…!」
「ねぇ〜!うちらって奴隷商から逃げてきた連中なんだけど、売り買いしてたのほぼ人族だし!」
「ぶっちゃけ私ら、魔王様には感謝し切れないわよね!」
「ほんとほんと!」
「えっと、何かごめんなさい…」
「あ、気にしないで!タマちゃんに怒ってんじゃないのよ!」
「そうそう!てか、奴隷って言ってももう百年前だし!」
ゲラゲラ笑う魔族達に珠希は恐縮。
オバハンの井戸端会議状態である。
「ちょっと!いつまでのんびりしてるつもり!?人族に長湯は禁物よ!逆上せちゃうわ!」
様子を見に来た白蛾魔族のシルルは、そんな様子に一喝。
聞けば彼女はここ魔王城で女官長の役割を担っているのだと言う。そもそもこの城はニンファエアを根絶やしにした異民族が築いた国の遺跡を開拓して造った要塞だそうで、ここから少し離れた場所にある魔王が暮らしている高い塔―――、異民族の長が贅の限りを尽くした宮殿の本丸跡には皆、近付かないのが暗黙のルールだ。
「不便でごめんなさいね?魔王様はご自身の瘴気で皆を傷付けるからと遠ざけでらして…、元は精霊だから食事も取らないし、ちょっと私達とは生活スタイルが違うの」
面目ないとシルルは語りつつ、戻った部屋にて湯上がりの髪を梳かしてくれた。
現状、珠希は人質でこの部屋から勝手に出ることは出来ないが、風呂に入りたければ湯殿を貸し切り、温かな食事に服も新しいものを用意されている。
不便だなんて、とんでもない。正直、一国のお姫様張りの至れり尽くせりである。
「お詫びでは無いけれど、中庭には出ても良いことになったから適度に気晴らししてね…?」
そう言ってシルルは退出。
元より、トイレに行きたい時は勝手に廊下に出て良しと言う事になっており、監視も建物の玄関口に二名と定期的に女官が廊下を歩いているだけ。扉には内鍵はあれど外鍵は無いザル具合だ。
(捕まえている気はあるのだろうか…)
逆に色々と心配になりつつ、折角なのでトイレついでに中庭へ。
魔王の塔と要塞に挟まれるその場所は中庭と言うよりオアシスだった。
滾々と清水の湧く大きな泉には、魔王の塔へと続くように飛び石が浮かび、途中枝分かれした道筋は岸辺の大木に続く。
近付いて見てみれば立派な幹のナツメヤシの仲間だった。
「…斑入り…、それにこの匂い…、聖樹みたい…」
仄かな甘い香りに精霊の気配を感じつつ、辺りを観察。
すると案の定、光る羽虫が現れて次々と身体にくっついてきた。
何だか懐かれた模様である。
「あらあら…、こちらの精霊さんも恥ずかしがり屋さんかな?」
本体を見せない精霊に微笑みかけつつ、そろそろ戻ろうかと踵を返した時だった。
渡ってきた飛び石の上、丁度魔王の塔と戻り道の分岐点。そこに座って泉に足を浸し、魔王の塔の方を見ながらパチャパチャと精霊蟲と戯れる少年の姿があった。
―――もしや、この子が精霊?
脅かさないようにそっと歩み寄る。
しかし刹那、その子は何を思ったのか泉に飛び込み、珠希は絶句した。砂漠の夜は寒く、今ですら羽織りがないと中々キツイ。
大慌てで少年が飛び込んだ水面を覗き込んだ瞬間だった。
満天の星空を映す水鏡の中、不気味に光る赤い視線。しまったと思った時には飛び石に突いた手首を捕まれ、泉に引き摺り込まれた。
咄嗟に息を止め、パッと開いた瞼。焦る視界に映ったのは深い水底に沈む数多の石柱―――。ぞっとした。ここは墓地だったのだと今更気付き、絡みつく手を振り払わんと藻掻く。
馬鹿だった。
考えてみれば、この気温の中で足を水に浸して遊んでいる時点で可怪しいと気付くべきだった。
こんな所で、こんな形で死んでたまるか―――。
悔しさに涙が溢れた刹那だった。
『怖がらないで。じっとして』
耳元に囁かれたテノールの声。
同時に口元に充てがわれた掌が光り、水の中なのに呼吸が出来るようになった。
そっと振り返れば、赤い目に浅黒い肌のエキゾチックな青年の姿。その背には黒い蜻蛉の翅が生えていた。
『僕はフェニシス。闇の精霊王クローヴァルトが造った精霊の最後の一柱…。驚かせて、ごめんね。君に悪戯しようと考えてた者を見かけたものでね』
そう告げて、精霊フェニシスは水面を指し示す。
見れば、黒く長い身体が飛び石の上でウゾウゾと辺りを見回していた。
形状としてはムカデ。しかし、その頭部は人族の形をしていた。
「畜生め…、おい、本当に居たのか?」
舌打ちしながら岸辺に向け、ムカデ魔族は声を張った。
「は、はい!確かに聖樹の所に…」
悲鳴じみた声と共に恐る恐る飛び石の上を蟻型魔族が進む。どうやらムカデ魔族の子分か何からしい。
「ちっ…、シルルの探知魔法が固くて中には入れねぇし、チャンスだと思ったのに…。一体、何処に消えやがった?」
文句を垂れ、ムカデ魔族は蟻魔族を引き連れながらズルズルと泉の上を過ぎ去る。
気配が消え、水面から顔を出した珠希は身震いしながら緩やかな岸辺から陸へと上がった。
『手荒くて、ごめん。あれが三貴将最後の一人サイペルスの本体だ。彼には気を付けて。彼含めその配下は人族の肉を好む。父上…クローヴァルトは君をまだ生かしておくつもりみたいだけど、五体満足で居られるとは限らない。彼等はこれからもきっと死なない程度に君を捕食しようとするだろう。部屋に戻るまで見つからないように気を付けて。次からはここに来る時はシルルか誰かを護衛を付けておいで』
風の魔法で濡れた身体を乾かし、精霊フェニシスは中々不穏な言葉で早く逃げなさいと促す。
成程―――、どうやら魔王軍はいくつかの派閥に分かれているらしい。
シルル達のような友好的なグループもいれば、人を肉としか思っていないサイペルスのような者もいるようだ。一枚岩ではないらしい。
「はい。フェニシス様、ありがとうございました」
端的にお礼を述べて、珠希は取り敢えずの味方であるシルルに報告しなくてはと急ぎ要塞へと走った。
風のように駆けていく彼女の背を見つめ、精霊はその無事を祈るように手を振り続けた。




