不帰の大地
最初に視界に映ったのは、シーツに転がる自身の手と天蓋から垂れて揺れるエキゾチックな薄絹だった。
そっと体を起こせば、頬を撫でる乾いた風が朝を告げ、パンの焼ける良い匂いが腹の虫を騒ぎ立てた。
「あ、良かった起きてる。人族さん、ご飯の時間ですよ」
そんな声にハッと目を向け、思わず身構えた。
黒の寸胴な服を纏い、食事を運んできたのは白い蛾の魔族だった。特徴からして蚕の仲間だろう。
首元から溢れるモフッとした毛やヒジャブからはみ出す羽根のような触覚が可愛らしいが、目は複眼で初期の仮◯ライダーの如きである。
「ごめんなさい、虫系魔族は人族さんには気味が悪いでしょう?適任が見つかるまで許してね」
自嘲気味に肩を竦め、蚕の魔族は側のテーブルに食事を並べる。
メニューは平たいパンと見慣れないスープだった。
「貴女は何者?ここは何処?」
起き上がって距離を取りつつ、現状把握のため質問。
部屋の作りや気候、鉄格子の窓から見える景色から砂漠地帯だとは理解した。着せられている服も童話アラジンのお姫様に見るような臍見え上下セパレートである。正直、若干割れている腹筋と慎ましい胸の大きさが見るも明らかなのでちょっと恥ずかしい。
「あ、ごめんなさい。私はシルルと言います。ここは貴女達から不帰の大地と呼ばれる大陸で、北部地域の魔王様のお城よ」
その返答に、堪らず額を押さえた。
そうだ、思い出した。
キトリアの聖樹教中央神殿で聖女エリカことディジタリアと対峙し、完膚無きまでに叩きのめして確保する直前で、突如現れた魔王に呆気なく攫われた。
「私、何でっ…」
何故、攫われたのか―――。
あまりにも予想外過ぎて、理解が追いつかなかった。
殺されるならまだ分かる。これまでのディジタリアの策略から考えるに、魔王が聖樹や精霊を排除したかったとすれば、各地の聖樹を世話して精霊の力を取り戻したり誕生に加担した自身は目の上のたんこぶだろう。
いっそひと思いに抹殺してしまえば、これ以上の造園技術を世に広められることは無いというのに―――。
「ごめんなさい。私は唯、魔王様から貴女の世話をするようにとしか…。取り敢えず、冷めない内にどうぞ?人族さんに味覚が近い猿獣人に確認させたから安心してね」
淡々と答えつつ、シルルと名乗った魔族はテキパキとベッドメイキング。
腹の辺りから伸びる虫の腕を上手く使ってあっという間にシーツの交換を済ませた。
「あ、そうそう。身に着けてた装飾品とポーチはそこにあるわ。元のお洋服は洗濯に掛けてるから…。じゃ、私はこれで。食事が終わった頃にまた来るわ」
端的かつ事務的に要件を伝えて、忙しいのかシルルは退出。
取り敢えず、指し示された棚に駆け寄り、急いで置いてあった私物を確認。ポーチの中からブレスレットと攫われるまで髪に差していた簪を見つけ、安堵のあまり座り込んだ。
キトリア皇宮での胸騒ぎから、もしもの用心として気休めまでにと身に着けていた。身に着けていたのだが―――。
「グラジオ様っ…、スイバ…皆さん…、どうか無事でいて…っ…」
心細さに蹲り、皆の安堵を願った。
連れ去られる直前、最後に見えた満身創痍のグラジオの姿が頭に焼き付いて離れなかった。
彼のあの様子では他の皆も無事では無いだろう。
『…グラちゃんなら無事よ〜』
唐突に聞こえた声に吃驚。
ブレスレットと簪を握り締めてびゃっと立ち上がり、バッバッと周囲を確認。
『あ〜、こっちこっち〜!ポーチの中〜!』
呼ぶ声に恐る恐るポーチを再確認。
瞬間、ぴょこんと赤い小鳥が顔を出し、魂消た珠希は尻餅をついた。
『ども!分身体のサラマンダリアです!その名もチビサラちゃん…!いや〜、お互い生きてて良かった良かった。流石に死ぬかと思ったわ〜』
ポーチから這い出して、サラマンダリアの分身体は背伸びするようにパタパタと小さな翼を広げる。
痛む尻を擦りつつ何とか起き上がった珠希は、手早くサラマンダリアを掌に乗せ、周囲を再確認。誰かに見られぬよう物陰に隠れてた。
殺されずに攫われたと言うことは人質にされたと言う事であり、ここが宿敵の本陣であるからには己以外の存在は消される危険が高い。
「サラマンダリア様、あの、グラジオ様はっ?スイバや皆さんはっ?」
皆の安否を知りたくて小声ながら早口で訊ねる。
分身体と言うことは本体はまだキトリアに居るだろうと考えた。
『うーん、大なり小なり瘴気火傷はしたけど皆、無事よ〜?まあ、珠希ちゃんを助け行くって聞かないグラちゃんを抑えるのが大変なくらい?』
あっけらかんと答えるサラマンダリアに、安堵ながらにキトリアの惨状が目に浮かび、顔を引き攣らせた。
無事ならそれに越したことは無いが相当な迷惑を掛けてしまっているらしい。やはり、ガザーニア帝の意思に背いてでも皇宮に残るべきだったと猛省した。
「あの、そもそもどうやってこの中に?」
漠然とした疑問だった。
あの時、微かに見えたがサラマンダリアも床に倒れていた筈である。
『珠希ちゃんが攫われる瞬間、火の粉に紛れてポーチに潜り込んだの。クロちゃんも気付かなかったみたい。ま、気付かれてたら速攻で潰されてたけど…!』
そう答え、サラマンダリアははたと珠希の握る簪に注目。
これは丁度良いと姿を小鳥から火の玉に変え、とんぼ玉の中へと飛び込んだ。
瞬間、まるで火を灯したようにとんぼ玉は煌々と光を放った。
『これなら見つかりにくいでしょ!取り敢えず、ごはん食べちゃいな。悪いもんは入ってなさそうよ?私、ちょっと寝るから何かあったら呼んでね!』
そう言った直後サラマンダリアは静かになり、とんぼ玉からも光が消失。
間もなく、またも腹の虫が鳴り出し、珠希は簪を髪に刺してブレスレットも付け直し、恐る恐るながらに朝餉にあり付いた。




