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弱点


 悍ましい異形との猛攻が繰り広げられる大聖堂は援護に入ったサラマンダリアの炎によって忽ち火の海と化し、倒れたスイバを抱きかかえた珠希は聖樹の茂みへと逃げ込んだ。

 流石は火の精霊王。大火力の炎を操り、巨大毛虫が撒き散らす毒毛を一掃。多少火の粉は飛び散るが、グラジオ達の氷のバリケードのお陰で被害は無かった。


『珠希ちゃん、そこから出ないでね?虫系魔族にとってミンテは毒だから、そこにいればあれは近寄れないわ』


 気絶したスイバを聖樹の木陰に横たえているとサラマンダリアがそう注意を促した。

 確かに根本周りの土から仄かに爽やかな匂いがするし、今は休眠状態で分かりにくいがポツポツとミントが植わっている。


『…大丈夫?』


 そんな声にハッと目を向ければ、茂みの中より精霊ラズベリアがペコリと会釈。

 ぐったりするスイバに手を翳し、治癒魔法を施してくれた。


『グラジオの電撃が来るよ、頭下げて』


 淡々とそう警告された直後である。

 バチーン!と背後で雷が落ち、巨大毛虫が一瞬にして消し炭に。堪らず振り返れば、グラジオとガザーニア帝が果敢にディジタリアへと斬り掛かっていた。


「うむ、護りが硬いな…」


 女体の腹から生える鉤爪にあしらわれ、距離を取った皇帝は困り顔で自慢の髭を撫でる。

 斃しても斃しても沸いてくる毛虫に騎士達に疲れと動揺が広がり始めていた。

 尚且つ、ディジタリア自身は蜘蛛のような糸の網で飛んでくる攻撃を防ぎ、粘着質の繭まで飛ばして騎士達の動きを封じてくる。


「んふふ…、生憎だけど私には普通の魔法は効かないわよ?」


 そう余裕の表情で嗤いながら翅を小刻みに揺らす。

 その動きに珠希は咄嗟に口と鼻を押さえた。


「何か粉飛ばしてます!!吸ったらヤバそうです!!」


 皆への注意喚起に声を張り上げる。

 元の世界で地味に役に立っていたバカでかボイスがここでも役立った。大聖堂で声がよく響いたのも味方した。

 ディジタリアの動きに気付いた騎士達は即座に口と鼻を押さえて後退。

 一部逃げ遅れて翅から舞い散る鱗粉を吸ってしまった騎士は途端に苦しみ出し、ディジタリアはそんな彼等に銀の糸を飛ばした。


「ざ〜んねん。これっぽちしかお人形にできなかった」


 残念そうに嗤いながら、ディジタリアは鍵盤でも叩くように長爪の両手を構える。

 瞬間、毒に犯され糸を飛ばされた騎士達は不自然な動きで、その切っ先を味方へと差し向けた。


『ありゃま、こりゃ大変』


 あっけらかんと呟いて、サラマンダリアは苦笑い。

 途端に操られた同胞が襲い掛かり、騎士達は阿鼻叫喚。鱗粉の毒に泡を噴く彼等を早く助けてやりたいのに、その身を省みぬデタラメな剣戟に阻まれた。


『仕方ないわね。本当はあんまり干渉しちゃイケないんだけど…!ちょっと火傷するわよ!』


 苦々しくサラマンダリアは構えを取り、業火を放つ。

 精霊王の炎に巻かれて銀の糸は焼き切れ、囚われた騎士達は解放されたが、同時に大火傷を負って戦闘不能となった。


『ラズベリア、頼んだ!』


 劣勢に立たされる彼等に、サラマンダリアは背後のラズベリアに指示を出し、深手を負った騎士達の回収を促す。

 ラズベリアは小さく頷いて聖樹から蔓を伸ばし、倒れた騎士達を引きずりながら根本に寄せるやスイバと同様に治癒魔法を施した。


「嫌ぁねぇ?治すのは反則よぉ?」


 妖艶に長い爪を食み、ディジタリアは鬱陶しげにラズベリアへと手を翳す。

 瞬間、新たに生み出された豪毛の毛虫が聖樹へと突進。サラマンダリアは直ちに炎の壁を展開し、それ以上の接近を阻んだ―――が、しかし毛虫は頭の角のような毒針を立て、ラズベリアへと発射。

 側にいた珠希は咄嗟に精霊や真下にいるスイバを守らんと覆い被さり、寸での所で毒針を回避。

 怯えたラズベリアは途端にその身を蟲へと崩して聖樹の影に逃げ込んだ。


「嗚呼、そこにいたのね…!」


 まるで昔読んだホラー小説の台詞だった。

 どうやらラズベリアが認識阻害の魔法を掛けてくれていたらしい。不気味な笑みを浮かべ、ディジタリアは珠希を捕捉。

 毛虫や操り糸に騎士達が翻弄されている隙に、その巨大や翅で飛び上がった怪物はサラマンダリアの猛攻すらも躱して珠希を掠奪。

 その翅から繰り出された暴風にステンドグラスは砕け散り、極彩色の輝きが月明かりに乱反射した。


「さあ、グラジオ!見なさぁい!愛しい女の皮が奪われるところをねぇ!」


 元いた場所に舞い戻り、ディジタリアは絶望的な言葉を放つ。

 硬い鉤爪に胴体を鷲掴まれ、どうにか抜け出さんと藻掻く珠希。騎士もガザーニア帝もサラマンダリアにグラジオさえも、誰もが彼女を助け出さんと刃を振るうが毛虫や糸に阻まれ、近付けない。

 高笑いを上げながら、ディジタリアは針のように突き出した産卵管をその腹へと差し向けた。


「止せぇ!!」


 絶体絶命の珠希に、グラジオの悲鳴が轟く。


「…腕を押さえなかったのは失敗だったわね」


 ボソリとそんな声が漏れた瞬間だった。

 キョトンとする悍ましい顔に、珠希はポケットから取り出した携帯スプレーボトルを向け、シュシュッと中身を吹き掛ける。

 途端に香った爽やかなフローラルな薫り。

 眼に張り付いたスッとしたメントールの刺激に、ディジタリアは間もなく絶叫。顔を覆ってのたうち回り、堪らず珠希を放り出した。


「わっ!あ!グラジオ様!」


 放り出された先にてグラジオに上手いこと受け止められ、珠希は思わずにっこり。

 直ぐに立ち上がって、尚も転げ回るディジタリアに「おー、効くね〜」と呟きながら小悪魔的な笑みを零した。


「な、何をした!?私の顔に何をっ!?」


 その場にひれ伏して悶えるディジタリアに、珠希は手にしたスプレーボトルを掲げながら不気味にニヤリ。


「お手製ハッカ油虫避け〜。強烈でしょ?防犯用に持ち歩いてて正解だったわ〜」


 ボトルを振りながら彼女は答える。

 悲しいかな女の身の上、頭の可怪しい輩に絡まれること少なからず。かつての世界での防犯の癖がここでも役立った。

 不思議なものでバリバリガテンな作業着を着ていても、女と分かるやDQNに言い掛かりを付けられる事も多々。仕事終わりに一杯飲もうと私服で一人で出歩けば、酔っ払いや客引きにしつこく付き纏われることもあった。

 幸い、飲みに誘えば付いてきてくれる先輩後輩に恵まれたし、行きつけの店では女将さんがタクシーを態々呼んでくれたりもしたが、護身に百円ショップで買った防犯ブザーと携帯用虫除けスプレーは常備。こちらに来てからも何となくのお守りで持ち歩いていた。


「ミンテが毒なら効果テキメンとは思ったけどねぇ…?私さぁ、この世で一番毛虫が大っ嫌いなのよねぇ?」


 珠希は積年の恨みを吐露し、ゆらりと悶えるディジタリアに歩み寄る。

 見下ろす姿は彼女にとってまさに夏場の宿敵。故に容赦は無用である。

 あちらの世界で何度、消毒作業で頭から降って来られて悲鳴を上げたか。何度、その毒の毛に刺されて皮膚科の世話になったか。何度、その死骸の後片付けに走らされたか。何度、いっそ木ごと焼き払ってしまおうかと思ったことか。

 殺意と言う言葉では足りない程の憎悪を滾らせ、珠希は叫喚するディジタリアにハッカ油が無くなるまで吹き掛けた。


「さて…、懲りたかな?」


 空になったボトルを仕舞いつつ、大人しくなったディジタリアに小首を傾げる。

 一時は逃げる素振りも見せたが、ハッカ油を吹き掛けられてのたうち回る間に騎士達からの猛反撃で翅も虫の足も落とされ、最早動くことすらままならなかった。


「それじゃ大人しく投降してくれる?じゃないと今度は物理で行くよ?虫系魔族って脱皮でいくらでも身体を再生出来るんだってね?」


 脅し文句に加え、持ち直したスコップをカツカツと床にぶつけて警告。

 最早、悪役張りの容赦の無さに騎士達の方が震え上がっていた。 


「…こんな…所で…、この私がっ…、馬鹿なっ…、こんなことが…っ…」


 叩きのめされ、絶望のあまりディジタリアはブツブツと言葉を漏らす。

 抵抗の余地も無く平伏す仇敵に、グラジオはその身を拘束するべく魔封じの手錠を取り出した。

 本当はこの場で一息に斬り捨てたかった。

 しかし、これまで聖女エリカとしてこの怪物がしてきた事を白日の下に晒さねばならない。まだ明かされていない真実を闇に葬り去る訳にはいかなかった。


「これより聖女エリカこと三貴将ディジタリアの護送を開始する」


 そう宣言し、部下に手錠を手渡す。

 冷酷な目に見下され、ディジタリアは口を歪めた。


「…見るなっ…、そんな目で…、私をっ…!見るなぁあぁ!」


 絶叫し、満身創痍の巨躯で一矢報いんとグラジオへと飛び掛かる。

 刹那、ドスッと鈍い音がディジタリアの女体を貫いた。


「見苦しいぞ?ディジタリア」


 唸るような声。

 それと同時に押さえつけるような威圧感が場を支配した。

 誰もが呆気に取られ、俄に恐怖を覚えた。

 悍ましい姿の影、唐突に現れた宿敵。

 放たれる重濃度の瘴気に、歴戦の騎士達ですら忽ち吐き気を催し、倒れ込んだ。


「…クロー…ヴァル…ト…さ…ま…っ…?」


 吐血しながら振り返り、ディジタリアは目を剥く。

 魔王はトドメとばかりに手にした槍を真横へと薙ぎ、悍ましい躯体を上下に両断した。


「態々我が手を下し、引導を渡してやった事を感謝せよ。哀れなる配下よ」


 軽蔑の目を向け、決別の言葉を吐き捨てる。

 血の海に沈んだディジタリアは絶望を眼に残して事切れた。

 あまりにも呆気ない最期だった。


「…クローヴァルト…!何故、貴様が…!」


 剣を構え直し、グラジオは珠希を背後に下がらせる。

 魔王自らが単身この場に赴くとは驚いた。

 これは千載一遇のチャンス―――、しかし、護るべき彼女がいる。今は逃げるが得策かと考え倦ねた。


「今宵は貴様と戦う気はない。我が意志に反した配下に手を下しに来ただけに過ぎん…。そう…、過ぎなかったのだが…」


 淡々と告げ、クローヴァルトは穢らわしいとばかりに槍についた血を振り払う。

 瞬間、その姿が眼前から消えたかと思うや、背後の珠希から悲鳴が響いた。

 振り返った時には既に、彼女は魔王の腕の中で意識を失っていた。


「ほう…、魔力無し(ノーマ)か。これは面白い。ディジタリアが皮を欲した訳だ」


 ぐったりする珠希を数多の目で観察し、クローヴァルトは不気味に微笑む。

 刹那、彼女を取り戻さんとグラジオを筆頭にガザーニア帝やサラマンダリア、辛うじて動けた騎士達もそれぞれに飛び掛かった。

 けれども魔王の発した強烈な瘴気の壁に阻まれた。邪悪にして強固な守りに刃を立てるも、見る見る刃先の鋼が氷のように溶けていく。


「猪口才な…」


 鬱陶しいとばかりに吐き捨てられた直後だった。

 膨らませ過ぎた風船がはち切れるように瘴気の壁が爆ぜ、彼等は四方八方へと弾き飛ばされた。


「…懲りぬ奴らだ。手土産にこれは貰っていくぞ?」


 残酷にもそう告げたクローヴァルトは珠希を小脇に抱え、槍を大きく一振り。

 空間を切り裂き、口を開けた漆黒の亜空間に魔王は足を踏み入れた。


「待てっ…、珠希…っ…!」


 漆黒の闇の中へと小さくなっていく姿と閉ざされていく亜空間への入り口に、辛うじて意識を保ったグラジオは懸命に手を伸ばす。

 眩む視界の中、微かに彼女の目が開き、その唇が助けを乞うように名前を呼ぶ。

 それが最後だった。

 抵抗も出来ぬまま、無情にも珠希は不帰の大地へと連れ去られた。

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