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対峙


 皇帝の書斎から続いていた秘密通路は、聖樹教中央神殿の王族墓地に続いていた。

 皇帝曰く、有事における避難経路だそうだ。実にワクワクしたい所だがそんな空気ではない。


「藤崎女史は大聖堂に向かってください。そこに聖樹があります。スイバは大聖堂に誰も入って来ないよう見張りを」


 騎士達が包囲網を張る中、グラジオは珠希とスイバに指示を出し、取り付く島もなくガザーニア帝の下へ。

 一先ず、狼狽えても仕方ないとスイバを連れて示された方向に向かった。


「ここかな?」


 誰もいない神殿の回廊を進み、大きな扉の前に到着。

 軽くノックしてノブを引き入ってみれば、ステンドグラス煌めく祭壇に聖樹が鎮座していた。

 季節柄、見た目は枯れた茂みではあるが、国を支える株なだけあって相当な大きさであった。


「師匠…」


 困惑を孕む弱った声にはたと振り返る。

 扉を境界線にスイバは立ち竦んでいた。


「ごめん…、俺、これ以上入れない…。なんか…多分…、精霊様に拒否られてる…。入ろうとすると肌がピリピリする…」


 見えない壁があることを示すように彼は、大聖堂の中へと両手を差し入れ、肌に纏い付く静電気のような細かな光の存在を知らせた。

 どうやら結界が張られている模様である。

 奥に進もうとするほどにその光はパチパチ、バチバチと音を立て、火花を激しくした。


「ちょ、ちょっと入るのは止めとこっか…!グラジオ様もスイバは見張りしてって言ってたし…!」


 あまりに痛そうで、慌てて制止。

 スイバは涙目で手を引っ込め、外で待ってると淋しげに扉を締めた。

 正直、逆に何故自分は入れるのかと不思議であるが、取り敢えず奥の祭壇へ。

 ガザーニア帝からは強力な助っ人が居るとの話であったが、見渡す限りあるのは大理石の立派な柱と祭壇前の創造神アラガーシャの彫刻のみである。


「こんばんは〜、どなたかいらっしゃいますか〜?」


 微かに聞こえ始めた騎士達の戦闘を物語る物音に緊張を覚えつつ、助っ人なる人物を捜索。

 思えば、ここに着いてから神殿関係者には誰一人会っていない。聖樹教の本拠地であるからに聖職者や見回りが一人もいないのは明らかに可怪しい。

 段々と募る不安感にスコップを握りしめ、ウロウロと祭壇前を彷徨っていた時だった。

 目の前をふんわりと透明なテントウムシが横切る。

 香る甘い匂いで精霊蟲だと解った。

 それを目で追っていけば、茂みの中、実生で生えたと思しき躑躅類に精霊蟲が集っている。

 何だろうかとその中を覗いてみれば、パチリとぶつかった円な視線。真っ赤なフードが可愛らしい丈の長いマントを羽織る短い髪の儚げな女の子。まるで赤ずきんちゃんみたいだった。

 どうやら精霊蟲はこの子の事を知らせていたらしい。


「迷子かしら…、こんな時間に出歩いちゃ駄目じゃない。おうちの人は?取り敢えず、そこ危ないからこっちおいで?」


 腰を屈めてあやすように声を掛ける。

 女の子はおずおずと茂みから出てきて、そっと被っていたフードを外した。

 瞬間、ぴょこんと頭に立った二つの触覚。それを見た珠希は目を丸くして固まった。

 暗がりで気付かなかったが、マントに見えたそれは丸く硬い甲虫の翅だった。黒い水玉模様と言い、テントウムシに良く似ている。


「えっと…、もしかして精霊ご本人だったり…?」


 精霊相手にご本《《人》》と言うのも些か変ではあるが、口から出てしまったからには仕方ない。

 焦る彼女に対し、躊躇いがちに精霊が頷いた時だった。


『御名答!名前はラズベリア!アタシが最初に創った子よ!』


 元気溌剌な大声が木霊し、びゃっと肩を揺らす。

 反射的に拳を構えて振り向けば、煌々と炎を纏う火の鳥が窓辺より翼を打ち、ゆらりと舞い降りる。

 間もなくその姿は人の姿を取り、燃える髪を揺らす踊り子のような乙女が微笑んだ。


『ごめんね〜、その子人見知りなのよ〜!あ、アタシはサラマンダリア。火の原初精霊よ!貴女が異世界の聖女よねっ?名前は珠希ちゃんだっけ?シルフェイドから話は聞いてるわ!なーんか、アンディレイネと二人して無茶言ったみたいでごめんね〜!あ、てかあの堅物グノ爺を説得するとか凄いじゃ〜ん!さっすが〜!』


 口調は完全に肝っ玉おばちゃん―――、いや、最早ギャルと言うべきか。

 弾丸トークに珠希が気圧される中、精霊ラズベリアは金の装飾が揺れるサラマンダリアの腰元をツンツン。

 お喋り好きな母親を窘めるように怪訝な顔を見せ、早くしろとばかりに聖樹を指差した。


『あ、そうだったわ。あのちょっと相談なんだけどさ。ウチのコの木に変な虫があちこちへばりついてるのよ。どうにか出来ない?アタシの炎じゃ火力強過ぎで木ごと燃やしちゃうし…』


 ちょいちょいと手招きしながらサラマンダリアは聖樹の一角を指差す。

 問題の枝を見てみれば、白いふわふわした綿毛のような虫が枝にびっしりこびり付いていた。


「カイガラムシの仲間ですね…、この毛みたいのも吸ったらヤバそうだな…。ちょっと弟子呼んできます。スイバなら火力調整上手いので…」


 そう答えて、スイバを呼びに踵を返さんとした時だった。


『嗚呼、あのお猿ちゃんのこと?だったら私が行くわ!今張ってる結界、普通の子は正面からは入れないのよ。解除するの面倒いから回り込まないと。ウチのコと待ってて〜!』


 閃いたように告げたサラマンダリアは止める間もなく姿を火の鳥に変えるや、入ってきた窓から外へ。

 それから十秒後である。


「…ゎぁああああぁっ!!わあぁっ!」


 近付く悲鳴にまさかと思えば案の定、サラマンダリアは獲物の如くスイバをその鉤爪で鷲掴み、ポイッと珠希の前に運搬。

 師の前に投げ捨てられ、彼の頭上には幾つものクエスチョンマークが浮かんでいた。


『はい、連れてきた!』


「いや、乱暴!あの、ちゃんと説明して連れてきました!?」


 思わず突っ込み、大混乱のスイバを抱きしめる。可哀想にオウギワシに攫われてきた子猿状態である。

 一先ずスイバに怪我の有無を確認し、事情を説明。精霊達と一緒に虫の居所を確認しながら聖樹に集る虫退治に勤しんだ。


「結構いたね…」


 引っ付いていた虫を燃やしきり、スイバはやや疲れ顔。

 ついでに枯れている枝も撤去した。


『うん!スッキリしたわ!流石!ありがとね!』


 そんな彼の頭を撫でながらサラマンダリアは満足げ。ラズベリアも嬉しそうに笑っていた。


『…そう言えば、外が静かになったわね。捕物は終わったかしら?ちょっと見てくるわね?休んでて〜!』


 ふと外の気配に意識を向け、サラマンダリアはまたも火の鳥に変身。

 颯爽と夜空へと飛び去る姿を師弟が目で追う傍ら、精霊ラズベリアは掌に木苺の花を咲かせて瑞々しい実を付け、お疲れ様とばかりに差し出した。

 丁度喉が渇いたのもあって二人は有り難くその実を頂き、甘酸っぱさに舌鼓。

 思わず顔を綻ばせた刹那だった。

 突然ビクリと肩を揺らしたラズベリアはその姿を蟲へと崩し、怯えたように聖樹に隠れた。

 どうしたのかと思いつつ、珠希は零れ落ちた赤い実を拾おうと腰を屈める。

 刹那、バリッと硝子が割れるような嫌な音が木霊し、瞬間的にスイバは小刀を構えて師の前に立ちはだかり、珠希を護る体制を取った。

 遠くよりカツーンとヒールを鳴らす足音が忍び寄る。

 不気味に軋み、徐に開いた大扉。

 喪服のような漆黒のドレスを揺らし、長いヴェールで顔を覆った淑女が一人。静けさに包まれる大聖堂にその足音だけが鳴り響く。


「どの面下げてきた…?」


 これ以上近寄るなとスイバは唸り、攻撃を辞さない構えを取る。

 彼の警告に淑女は少し手前で立ち止まるや、長い爪の手でヴェールを持ち上げ、その顔を拝ませた。

 綺麗な人だった。けれど不気味だった。

 顔つきは見慣れた日本人。瞬きもするし、呼吸もしている。それなのにまるで蝋人形のようで―――、微笑んでいるのに冷たく、生気を感じない。

 何より妙に若々しかった。


「貴女が…、エリカさんですか?」


 そう訊ねながら、足元に置いていたスコップを手にしたのは反射だった。本能と呼ぶべくも知れない。


「ふふっ、そうよ?貴女が新しい聖女ね?態々出向いてくれるなんて…、嬉しいわ」


 長い爪で深紅の唇を撫でながら、エリカは舐めるようにこちらを見つめ、カツンと踏み込んだヒールを鳴らす。


「止まれ!これ以上師匠に近付くなっ!」


 切っ先を差し向け、スイバは震えながら声を荒げた。

 その瞬間だった。


「あらやだ。コバエが煩いわね」


 さも鬱陶しいとばかりに呟かれると共に妖艶な紫の瞳が赤く光る。

 途端にあどけない背が崩れ落ちた。

 呆気に取られた。

 コンマ一秒。ハッと我に返り、駆け寄ってスイバの顔色、呼吸、脈と確認。幸い気絶しているだけだった。


「…ちょっと寝てもらっただけよ」


 その声の近さにゾッとして、肘を振り上げる。

 スッと避けながらも余韻を残すキツイ香水の下に隠れた独特の異臭。

 それは勤め始めの頃に経験してしまったトラウマを呼び起こした。


「…貴女っ…、本当に人なの…?」


 思わずそんな問いを投げ掛けながら、警鐘を鳴らす胸を押さえる。

 あれを見てしまったのは就職して三年目の夏―――、会社が受け持っていた大規模公園の消毒作業でのこと。

 公共施設での病害虫の防除や駆除の為の薬剤散布―――通称、消毒作業は閉園中や利用者の極めて少ない明け方に行われることが一般的で、その時も早朝四時から力自慢の先輩と園内の車止めを外し、消毒液と自動噴霧器を積んだ車両の動線確保の為に走っていた。

 忘れもしない薄暗い木々生い茂る散策路。もう少しで作業が終わると安堵した矢先、夏場特有の腐葉土の匂いに交じって鼻を付いた異臭。何だろうかと振り返り、ふと視界に揺れた影に視線を向けた瞬間、その存在に気付いた先輩は「藤崎、見るな!!」と叫んだ。

 あの時、先輩が咄嗟に視界を遮るように駆け寄って、頭を押さえつけて俯かせてくれた事には感謝しかない。そうでなければ若かった珠希は立ち直れなかった。

 僅かに見えたそれは、木にぶら下がった首吊り自殺のご遺体だった。

 残されていた遺書によると、長く病気を患い生活保護を申請したものの断られ、貯金も底を尽いて先を苦にした果てだったそうだ。過酷な夏の暑さに加えて前日の夜まで続いた大雨が災いし、それまで通行人も殆どなく発見が遅れて死後丸一日が経過していたと後に聞かされた。

 正直、気が動転してその後のことはよく覚えていない。

 パトカーや救急車が駆け付けて、現場が騒然とする中、公園内の詰め所で先輩に背を擦られながら只管震えていた。

 視覚として覚えているのは、ほんのそれだけ。けれど、あの時、鼻についたあの臭いだけは―――…。


「はぁ、残念。あのグラジオが見初めた聖女と言うから期待したけど…」


 その声と再びの異臭に現実に引き戻される。

 トラウマから我に返った時、その臭いの元であるエリカは眼前に立ち、怯える珠希の顎筋を撫でていた。


「仕方ないわっ…。この身体ももう限界だし…っ…、貴女の皮、頂くわよ?」


 飢えた獣のように息遣い荒く告げ、その紫の瞳が妖艶に光り出す。

 怖い。

 足が竦む。

 動けず、涙だけが溢れた。

 その時だった。

 一筋の閃光が両者を引き離すように貫き、ギャッとエリカが悲鳴を上げた。

 何事かと狼狽える珠希に平伏すように、エリカは両手で顔を覆って蹲る。


『珠希ちゃんに気安く触んじゃないわよ!』


 抱きしめる甘い香りと温もりと共に、怒気を纏った声が轟く。

 目を向ければ、憤怒に震えるサラマンダリアの姿があり、間もなく騎士団を引き連れたグラジオとガザーニア帝も駆け付けた。


「嘘だろっ…、サラマンダリア様の炎で…っ…!」

「そんな、まさか…っ…!」


 一部始終を目撃した騎士達は標的を囲い込みながらも戦慄した。

 精霊の起こす炎は恵みも同じ。しかし、それが害となる存在がある。それは則ち―――。


「エリカさんっ…、貴女は聖女ではありませんね?貴女は…貴女の力は天候を操るものでも神聖力でもない。人のみならず魔物に至る全ての生き物を操る強烈な魅了魔法…、そうですね?」


 恐怖に震えながらも、珠希は勇気を振り絞って問い質した。

 顔を覆い隠し、後退るエリカはニヤリと笑った。


「どうして神聖力では無いと?」


「ヴォタニカリアの先王グロリオスの時代、異常な長雨と羽虫の大量発生があったと聞きました。あれは貴女が魔物や虫を魅了して操って起こしたんですよね?ラウラセアの手記にも証拠となる当時の記録が残っていました。当時、ヴォタニカリアでは駆除し切れない程の雨降り蛙(レインフロッグ)の大量発生があり、その鳴き声が雨を長引かせたと…。更にその雨による湿潤環境によりカビを原因とする病気が蔓延。挙句にその病気を媒介する羽虫が飛び回ったことで被害が拡大したそうです。ラウラセア氏族長であったキナン殿はこの件を人為的なものだと推測していました。そして、その報告書を調査機関へと提出しようとした矢先…、彼等は冤罪で投獄されました」


 かつて起きた事象や仮説を述べ、珠希は拳を握り締めた。

 実に理不尽な話だ。全ては王妃として祀り上げられた者による自作自演―――、そこから始まった残酷な粛清により、多くの命が不条理に犠牲になった。


「そう…、じゃあ何故、私が聖女ではないと気付いたの?」


「私が聖女であるからです。私には造園の知識と技術以外、特別な力はありません。だから歴代聖女の記録を確認したんです。時代は様々でしたが元の世界からすれば、皆さん何処にでもいる普(・)通(・)の(・)学(・)生(・)でした」


 その回答にエリカへと睨みを利かせていた者達は耳を疑った。


「そんな馬鹿な…!どの聖女もこの世界に革命を起こした女傑だぞ!」


 声を荒らげたガザーニア帝に対し、珠希は困ったように眉を下げ、小さな溜息を零した。


「確かにこの世界からすれば画期的ですが、私からすれば少なからず聞き齧っているような内容ばかりです。あちらの世界では普通に生活していれば知り得た内容です」


 毅然と言い放つ珠希に、その場の誰もが度肝を抜かれた。

 鶴の一声で庭木を切るのを止めてしまったり、瓶詰めにおける煮沸消毒をしなかったり、こちらでの生活を通して所々虫食い状態の知識が散見される事には違和感があった。

 初めは魔法の存在に因るものかと思っていたが、アリスとこの国の歴史や歴代聖女の記録を調べていく内に理由が解った。

 これまで召喚された聖女は皆、十三歳から十六歳までの中高生ばかり。恐らく彼女等はテレビやネット、SNSで知り得た情報を提示したまでに過ぎなかったのだろう。

 その聞き齧っただけの知識に召喚に伴う何かしらのオプションが付いた結果、周囲は優れた人物だと過大評価。時代ごとに女傑と讃えられるに至ったと推測された。


「成程、通りで…」


 クククッと込み上げる笑いを堪えながらエリカは髪を掻き上げ、炙られた顔を上げる。

 瞬間、珠希は勿論、騎士達も絶句した。

 ベロンと剥がれた人の皮の下、ギョロリと複眼が覗く。

 最早言い逃れなど出来ない。

 エリカは仮面を脱ぐように人の皮を剥ぎ取り、その真の姿を見せつけた。

 それは正しく怪物。美しい人の皮に覆われていたのは、人にも蝶にも成り切れぬ毒々しい蛾の化け物だった。


「よく見破ったわ。今まで誰にもバレなかったのに」


 聖女の皮を剥いだ化け物は、艶めかしい女体の上半身を上げ、その背に背負った極彩色の翅を展開。更に腰より下、肥えた腹から卵を産み落とし、忽ち分身たる巨大な毛虫が孵化。人の皮の中にあったとは思えぬほどの巨軀と毛虫の魔物に歴戦の騎士達さえたじろいだ。


「三貴将ディジタリアっ…!貴様だったのか!」


 苦々しくグラジオは声を漏らし、聖樹に被害が及ばぬよう氷の防壁を展開。援護するように気を取り直した騎士達はその防壁に蔦を絡めてバリケードを築いた。


「エレウシネの仇、取らせてもらうわよ…!」


 その台詞と共に、一斉に魔物が騎士達へと襲い掛かり、津波の如き猛攻に猛者達は果敢に立ち向かう。

 長き因縁に終止符を打つべく、グラジオもまたヴォタニカリア近衛騎士団長の証たる宝剣を抜刀した。

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