再びのキトリア
進展があったのはお忍びデートから二日後のことだった。
各地と連絡を取り合っていたロマーノの諜報機関が、ルコールによる反乱発生時に皇都から出た不審な馬車を特定。その情報を各国に提示した結果、西側から複数の目撃情報が寄せられ、ついにキトリア皇都にある聖樹教中央神殿にエリカと思しき女人が入ったのが確認された。
「聖女殿、此度は世話になった。また遊びに来てほしい。ロザ様も待っている故…」
大方の修理と片付けが済んだ城の正門にて、見送りに来たオルタンシア帝は笑顔ながらも淋しさを隠し切れず。
滞在中、元いた世界での話をしたり庭の手入れについてあれこれレクチャーする内、オルタンシア帝とはすっかり打ち解け、歳の離れた友達のような間となった。
大国の女帝とは言え、彼女はまだティーンエイジャーだ。別れの涙を堪える小さな背を擦って珠希は再会を誓い、そんな女帝に寄り添う精霊ロザリアンヌも別れを惜しむように珠希を抱擁した。
『健闘を祈るわ。どうかエリカには十分、用心して』
そんな不穏な忠告を残し、ロザリアンヌはそっと珠希の額へとキス。更に白薔薇を一輪咲かせてその手に握らせた。
『餞別。どうか気を付けて…』
そう言い残して離れた精霊に珠希のみならずヴォタニカリア一行は深く頭を垂れた。
オルタンシア帝やロマーノの一同に今一度の感謝と別れを告げ、一行は素早く各々の相棒であるセルヴスドラゴンや馬車に乗り込む。
ガザーニア帝から拝借した双頭竜の咆哮を合図に、彼等は宿敵エリカの潜むキトリアへと急いだ。
「…綺麗な薔薇だね、師匠」
馬車の中、大切そうに白薔薇を握る珠希にスイバは呟いた。
弟子の言葉に頷いて答えながらも、彼女はこれから対峙する因縁の相手に武者震いしていた。
これまで散々聖女エリカと言う人物の狡猾さには恐怖と怒りを覚えてきた。
同じ異世界人でありながら、まるでこの世界を壊そうとするかのような異質な存在―――。得体の知れない怪物を目前にして緊張で脈が早まった。
実際、拘束するのは己ではないし、直接何か手を下す訳ではない。
それでもこれまでこの世界を散々引っ掻き回し、多くの悲しみと怒りをばら撒いた張本人と対峙するかと思うと、まるで猟奇的殺人鬼にでも会いに行くような恐怖が押し寄せた。
「大丈夫だよ、師匠」
そんな声と共にそっと手を握られた。
我に返り目を向ければ、スイバは精悍な眼差しで口角を上げた。
「師匠の事は俺達が守るから。大丈夫。師匠は紛れもない聖女だよ。師匠こそが聖女だから…」
怯える師を励ますその言葉は十五歳になった少年らしく、けれど実に頼もしかった。
「ありがと、スイバ…」
感謝を返し、握られた手を握り返した。
今、一番ほしい勇気付けられる言葉だった。当事者でもないのに怯える己が情けなかった。
よく晴れた雪道を進みながら珠希は背筋を伸ばし、聖女たれと己を奮い立たせた。
来た道を引き返す形で再びキトリア皇都に入った珠希達を待ち受けていたのは、エリカ追跡の殺伐とした空気感とは相対するガザーニア帝による熱烈な歓迎だった。
夕闇を照らす綺羅びやかな大広間、ヴォタニカリア一行遠征帰還の祝いと銘打って開かれた舞踏会。またも女官達に捕まって飾り立てられた珠希は、グラジオにエスコートされながら挨拶回りに奔走した。
「流石にしんどいわ…」
思わず文句を漏らしつつ、一時避難した二階展望テラスにて給仕から差し入れられたシャンパンに口を付ける。
粗相があってはいけないと極力発言は控えたが、引っ切り無しに挨拶に来る紳士淑女の数と言ったらえげつない。繕い続けた営業スマイルで頬の筋肉が可笑しくなりそうだった。
「辛ければ先に部屋に戻っても構いませんよ?無理は禁物です」
そう心配の声をかけ、グラジオはそっと疲れた頬を撫でる。
彼の優しさに感謝しつつ、珠希は聖女の肩書きに恥ないよう背筋を伸ばした。
「グラジオ様お一人に頑張らせるのは忍びないですから。ヴォタニカリアの聖女らしく、お開きまで耐え抜きますよ」
そう気丈に笑って、グラスに残る黄金色を一息に呷る。
キツイ汚い危険の3K揃いの造園の仕事を続けるだけあって、度胸と根性は人並み以上だと自負していた。
「おお、仲睦まじいな。進展はあったようだな?」
そんな誂うような声に目を向け、二人で姿勢を正した。
ガザーニア帝のお出ましである。
「皇帝陛下にご挨拶申し上げます。この度は…」
「まあまあ、固いのは無しだ。二人とも今回はよくやってくれた。お陰でロマーノとの和平も一歩前進したと言うものだ…!」
恭しく頭を下げ、丁型文の挨拶を述べんとするグラジオに対し、ガザーニア帝はその肩を叩いてでかしたと褒め称える。
相変わらず彼を息子のように想う皇帝に珠希は一歩後退。ここは静かに見守るのがベターだろうと踏んだ―――のだが。
そっと身を引いた彼女の手をやや強引に取り、グラジオは小さく首を振って離れるなと合図。
何だかちょっと不機嫌が滲む視線が睨む先を追ってみれば、遠巻きにこちらを窺う壮年の殿方やマダムがちらほら―――…。
成程、これは一人にならない方が良さそうだ。
「すまんな。牽制を掛けようにも人の口に戸は立てられんもんでな…」
そんな彼の視線に気付いて、ガザーニア帝は溜息混じりに呆れ顔。
ロマーノ滞在中から小耳には挟んでいたが、先のクレマティス子爵による暴露騒動以来、各国の貴族界隈では二人の関係を利用せんと画策している連中がいるらしい。
簡単に言えば聖女珠希の後見人と言う立場の争奪戦である。
元来であればヴォタニカリアの聖女は聖樹教会が慣例として囲う筈であったが、フラベール前教皇の不祥事で組織改革に忙しく面倒が見られない状況。また現状として珠希を庇護するヴォタニカリア王家も、聖女エリカに関わる各種不祥事から王家が再び聖女を囲うことに対して反発を抱く者も多く名言は避けている。
これらの事情から珠希に近寄ろうとする貴族が虎視眈々とゴマすりの機会を狙っているのである。
「…なあ、グラジオよ。やはり朕の息子にならんか?そうすればお主に向けられる疑いの目にも…」
「陛下、流石にしつこいですよ?」
しれっと込み入った話をブチ込む皇帝に、グラジオは笑顔ながらに良い加減にしろと釘打ち。
周囲からも視線が刺さるし何だか居心地が悪い。
「…何はともあれ少し場所を変えた方が良さそうだな。時期に宴も終いだ。飲み直すとしよう。待ち合わせは朕の書斎でな」
珠希の気不味さを察し、ガザーニア帝はグラジオの背を叩く。
その際、皇帝は何かを彼に耳打ち。
刹那、グラジオは目を見開き、ガザーニア帝へと事実か確かめるように視線を合わせた。
間としてはほんの一瞬。気張れとばかりに再び肩を叩いた皇帝は何事もなかったように玉座へと戻って行った。
「グラジオ様、大丈夫ですか?」
何を言われたのやら途端に顔色を固くした彼に、珠希は心配のあまり声をかける。
その声色に我に返ったグラジオは柔い笑みで動揺をひた隠した。
「陛下を待たせてはいけないので、一足先に御暇しましょうか…。気分転換に外の店を取ってくださるそうです。我々の功労を祝した会なので、スイバや部下達も呼んで行きましょう」
そう告げ、彼は退席しようと白手袋の手を差し伸べる。
頷きがてらに大きな手を取り、珠希は彼の言葉に一抹の不安を抱いた。優雅に踵を返す傍ら、それが杞憂で終わることを祈った。
嫌な予感と言うのは往々にしてよく当たるものだ。
お忍びで外に行くから私服に着替えるようグラジオに言われ、いざ着替えを済ませて皇帝の書斎へと赴いてみれば、グラジオと護衛騎士達が物々しく武装していた。スイバも作業着に父親の形見の小刀を携帯し、出陣の様相である。
殺伐とした空気で察した。これより夜襲である。
「待たせたな、諸君」
その声に振り向けば、これまた鎧姿のガザーニア帝が戦闘斧を手に帝国騎士団の選りすぐりを引き連れて登場。
思わず顔を引き攣らせる珠希に、皇帝は申し訳なさそうに眉を下げた。
「すまんな、藤崎女史。これから中央神殿に突入するのだ。貴殿には本神殿にいる精霊を守ってもらいたい」
端的に告げられた依頼に珠希は絶句した。
「お、恐れながら陛下、私は一介の庭師です…!私では精霊を護ることなど出来ません…!」
堪らず異議を唱えた。
これより対峙する聖女エリカは得体が知れず、どんな手を仕掛けてくるか分からない。それこそ魅了魔法で武力行使されたとなったら魔力の無い彼女では一溜まりもなかった。
「なぁに、安心せい。今、聖樹の所には特別な助っ人がいる。会えばあの方はお主を気に入る筈だ。必ずや力になってくれるだろう」
あっけらかんと告げられた内容に益々不安が募る中、帝国騎士団の隊長はテキパキと部屋の本棚に仕掛けられたからくりを動かし、秘密の通路の入口を開く。
何処までも続く暗闇に、騎士達はぞろぞろと吸い込まれた。
「はい、念の為に持ってきたよ」
呆然とする珠希へとスイバはひょいと大地の精霊王から賜ったスコップを差し出す。
―――嗚呼、これは逃げられない。
取り敢えずの武器をおずおずと弟子から受け取り、珠希は深い溜息を零して、促されるままに深淵へと続く通路へと足を踏み入れた。




