苦悩
反乱軍の粛清は思いの外、早くに片が付いた。
そうと言うのも本来の力を取り戻した精霊ロザリアンヌの茨の防壁により城の守りが確保された事で、珠希達とオルタンシア帝がロマーノ近衛兵団と早々に合流することが叶った点が大きい。
元よりルコールの策が短絡的で、幼さ故にオルタンシア帝は人望が薄く、護り手は少なかろうとその臣下の忠誠心を軽んじたものであった。その上、殲滅型戦法を得意とする賢者グラジオに敵う程の猛者は反乱軍にはおらず。ヴォタニカリア側が援護に入ることも考えていなかったお粗末具合で、その理不尽なまでの力の差に鎮圧は地を這う小蝿を踏み潰すが如く実に容易であった。
そんなこんなで砲撃に崩れた建物の修復と怪我人の手当てが急がれる中、大地の精霊王のスコップを手に珠希はスイバと共に女帝の寝室前にて仁王立ち。不埒な真似は赦さぬと無言の圧を放つ師弟に、オルタンシア帝の手当てに勤しむロザリア教の神官は緊張感を感じずには居られなかった。
「…聖女様、お疲れ様です。交代します」
駆け寄ってきた護衛騎士二名が、笑顔で声を掛ける。
珠希も笑顔でお礼を述べ、スイバと共にオルタンシア帝の様子を確認に部屋へと入室した。
「すまんな、聖女殿。このような形でそちの手を煩わせるとは…」
天蓋付きの豪奢な寝台の上より、オルタンシア帝は申し訳無いとばかりに眉を下げる。
幸い症状としては単純な魔力切れだった為、神官他べらぼうな魔力量を誇るグラジオから力を分けてもらう事で女帝の容態も早くに落ち着いた。
「いえいえ、これしか出来ることが無いので…!」
笑顔で答える珠希だが、尚もスコップ片手に臨戦態勢の彼女に侍女や神官は苦笑い。
口調は謙虚にはしているが、その目は可憐な女の子を虐めるヤツは倍返しよ!と言わんばかり。実に逞しい聖女である。
「失礼します」
ノックを携え、グラジオとロマーノの治安維持を司る騎士団長が入室。
途端に珠希はスコップを背に隠し、おしとやかな顔を繕った。
「ご苦労。どうじゃった?」
「一帯の結界を確認して参りましたが問題はありません。グラジオ殿とも魔力探知を行いましたが魔王軍が侵入した気配もありませんでした」
ロマーノ騎士団長からの報告に、オルタンシア帝は安堵のあまり堪らず溜息を零した。
「皆、此度は迷惑を掛けたな…。ロマーノの君主でありながら不甲斐無い限りじゃ…」
「陛下、何をおっしゃいますか…!」
「そうです!陛下の結界がなければ私共は今頃…!」
力不足に落胆する女帝に、侍女や近侍は涙を浮かべて反論。幼き君主がどれほど力を尽くしてくれたか、彼等は身を持って理解していた。
それでもオルタンシア帝は首を振り、自嘲気味に肩を竦めた。
「グラジオ殿、そちはもう気付いておろう…?妾は氷結魔法しか使えんのだと…」
その告白に珠希とスイバは耳を疑った。
魔法至上主義のこの世界において、それは魔力無しと同等かそれ以下の落第者を意味した。
「全く滑稽じゃろう?妾は北の帝王でありながら四大魔法の基礎すらも使えぬ。感情が昂ぶれば魔力が暴走し、災害を起こす始末でな…。叔父上が急逝などしなければ、ずっと北の辺境で静かに暮らせたと言うに…」
瞼を伏せ、オルタンシア帝は声を震わせた。
―――出来損ないの氷姫。
それがかつての彼女を示す呼び名だった。
歴代随一の賢者と謳われた先々帝の第一皇女アナベルの娘として生まれ、母譲りの才覚を持ちながらも、強過ぎる魔力蓄積能を持つが故に事ある事に魔法を暴走させた皇女オルタンシアは僅か四つで皇都を追われ、辺境の別荘へと隔離された。
母と二人、慎ましく暮らせて行ければそれはそれで幸せだった。
しかし、先々帝の崩御により叔父アザレオが帝位に就くや国政が悪化。それは偏に叔父の君主としての力量の無さ故だった。ロマーノの皇室では生まれの順では無く男児に継承権が優先される。故に第一子で先々帝の血を色濃く継いだ母アナベルではなく、無能な叔父が帝位を手にしてしまった。
日増しに私利私欲に走る貴族官僚の傀儡と化す叔父の補佐に回るべく、母アナベルは度々皇都へと出向き国を支えたが、そんな生活も長くは続かなかった。
ある日を境にとうとう母はそのまま宮廷に留まる事を決断。理由は叔父アザレオが、悪い噂が絶えぬヴォタニカリアの聖女エリカを后に迎え、その強烈な魅了魔法により宮廷がエリカに牛耳られ始めたからだった。
時折届く母からの手紙を支えに幼いオルタンシアは勉学に励み、研鑽を積んだ。
しかし一向に魔法の才は芽吹かず、出来るのは氷結魔法のみ。例え魔法が苦手でも、制御さえできれば母の支えに成れると独学で領地経営や帝王学を学び、頭脳で皇女としての才覚を示したが―――、まさかそれが仇となるとは思いもしなかった。
エリカがロマーノの聖女として君臨してから数年後の春先、一向にエリカに懐妊の兆しが見られない事から議会で後継者問題が浮上。これに対してアザレオ帝は皇后を侮辱されたと激昂した挙句、その怒りの矛先として実の姉であるアナベルを投獄。理由は頭角を現し始めた娘オルタンシアを皇帝にする為、エリカに避妊薬を盛ったとする突飛なものだった。
アナベルは必死に無実を訴えたが、投獄から僅か三日後、遺書を手に獄中で首を吊っているのが発見された。
奇しくもその日はオルタンシアの十歳の誕生日だった。
遺された遺書には娘への謝罪と無念が書き連ねてあり、巧妙に暗号化された秘密のメッセージには、母はエリカに嵌められた旨が綴られていた。
―――エリカが死ぬまで宮廷には近付くな。
そんな母からの秘密の遺言に従い、オルタンシアは息を殺して辺境で身を潜めた。
しかし母の死から半年後、エリカは彼女を宮廷へと呼び出し、アザレオ帝の養子として迎え入れた。
理由は単純。手元に置き、反逆の兆しが無いかを常に監視する為だった。
飼い殺しの状況に、オルタンシアは絶望し掛けた。
その時、精霊ロザリアンヌと出会った。
エリカの謀略に反旗を翻すべく、ロザリアンヌは白薔薇の木陰にオルタンシアを隠し、密かに宮廷で生き残るための知恵を授けた。
表向きには我儘な姫と高飛車な精霊。彼女等の見た目も相俟って見事に大人は騙された。
悟られぬよう細心の注意を払いながら、宮廷に蔓延したエリカの魅了魔法を解呪し、少しずつ己の臣下を獲得。
そうして、アザレオ帝の死と共に研ぎ澄ませた牙を剥いた。
意外だったのはエリカの抵抗の無さだった。慇懃なれど実質の蟄居に素直に従い、その身柄を押さえる事が叶った。
今回、謀反を起こしたルコール含め、今はまだ魅了された者の解呪が完全に済んでいないため生かしてはいるが―――。
「…恐れながら、陛下ほどの結界魔法を構築出来る者を私は存じ上げません」
不意に掛けられた言葉にオルタンシア帝は視線を向けた。
静かに歩み寄ったグラジオは、幼き皇帝の前に膝を折り、そっと微笑みを浮かべた。
「陛下の結界を間近で拝見し、驚愕致しました。皇都全域を包みながら脆弱性が全く無い…、これほど高度な氷結結界を恒久的に維持するなど私には不可能です。それに…」
そう告げ、グラジオはそっと持ち帰った結界の欠片―――、襲撃の折に割れて降った氷の破片を手に取った。
幾重にも魔法を重ね、凍てつかせた強固な氷は光を乱反射し、ダイヤモンドの輝きを放っていた
「綺麗…」
思わず珠希は感嘆を漏らした。
ゆっくりと溶ける氷から垂れる水も清らかで、全てが宝石みたいだった。
「…彼女の言う通り、陛下の魔法はとても綺麗です。どうか自信をお持ちください。陛下の結界にロマーノの民は確かに護られております」
上手いタイミングで呟いた彼女に、グラジオはウインクしつつ、励ましの言葉を続ける。
声に出ていた事に今更気付き、珠希はハッと口を押さえた。
「……全く、腹立つくらいに清々しい恋人同士じゃな」
困ったように溜息を零し、オルタンシアは苦笑い。
途端に二人は照れ隠しで顔を背けた。
『あらやだ、シアまで憎まれ口?高飛車キャラはロザだけで十分よ〜?』
そんな声と同時に、ムニュりと背後からマシュマロのような柔らかさが珠希の身体を包む。
途端に香った甘い匂いは、これまで出会った精霊の中で最も強く、酔ってしまいそうな程だった。
『あらあら照れちゃって〜!抱きしめたいとか言ってたのは、だぁれぇ?』
硬直する頬を突きながら、精霊ロザリアンヌは珠希の顔を覗き込む。
思わず身を翻した彼女は、お辞儀の上で控えめながらに豊満な胸へと抱きついた。
「良い匂いする…、お胸柔らかい…」
これぞ至福。
最早、男女など関係ない。持っていても小振りな珠希に取っては夢に見た触れ心地。
大振りの桃二つの間に顔を埋め、よしよしと頭を撫でられ、恍惚に溶けていく師匠にスイバは複雑な顔。
グラジオはその光景を見ないように俯いて瞼を伏せ、しかし、ロザリアンヌが羨ましいと拳を握った。
『あらあら〜ん?賢者の王子様ったらヤキモチ〜?』
静かに嫉妬に燃えるグラジオに、目敏く気付いたロザリアンヌは蕩ける珠希を抱きしめて、あげないもん!とばかりに挑発。
その冷やかしでハッと我に返った珠希であったが、只今のロザリアンヌはスーパーモデル張りの高身長。ギュッと回された腕は絡みついた蔓のように離れず。
ジタバタと藻掻く彼女と悶々とする賢者、それを見て嘲笑う精霊。その混沌を場の一同は生温かく見守った。
「失礼します!陛下!第二騎士団より連絡が…!」
精霊の悪戯にそれぞれが困惑する中、オルタンシア帝の侍従が血相を変えて駆け込む。
何事かと身構える一同を前に侍従は主へと駆け寄り、その耳元で何かを報告。
ロマーノの女帝の顔に戻ったオルタンシア帝は報告を聞き、俄に顔を歪めた。
「直ちに国土全域に手配書を出せ。それからキトリアとインチャナにも連絡を」
その指示に侍従は御意と答えるや一礼も早々に駆け出し、物々しい空気感に戯れていたロザリアンヌも珠希を開放。
何があったと視線で問う精霊に、オルタンシア帝は神妙な顔で事態を話した。
「幽閉先からエリカが逃亡したとの連絡があった。恐らくルコールの乱はあの者が焚き付けたのじゃろう。皇都に張った妾の結界を解き、監視の目を掻い潜るのが目的だったらしい」
その見解に誰もが驚愕した。
皇都全域に張られたオルタンシア帝の氷結結界は、雨風は通せど小虫一匹逃さない緻密さを誇る。故に出入りは東西二つの関所のみに限られ、都全体が入るも出るも困難な要塞と化している。
詰まる所、それを突破するにエリカは反乱を起こさせた―――。
大胆にして狡猾な遣り口に、グラジオは怒りを隠せず。溢れ出した積年の怒りは熱となって、手にしていた氷結結界の欠片を水に戻る間もなく蒸気に変えた。
「グラジオ様っ…」
怒りに震える彼に珠希は堪らず寄り添い、その背を擦って宥めた。
無理もない。非業の最期を余儀無くされた父君の仇敵にあと一歩で届く筈だった。彼が抱え続けた怒りと憎しみを昇華できる筈だった。復讐を成し遂げられる寸前だった。
「グラジオ殿、すまんが民の混乱もある故、暫く皇都に厳戒態勢を敷かせてもらう。まだ反乱の火種があるとも限らぬ。エリカの行方は我らが必ず突き止める。すまぬ、今は耐えて欲しい」
女帝より端的に告げられたその通達は、事実上の皇都封鎖―――、彼等ヴォタニカリア一行の足止めを意味した。
反射的にグラジオは反論しかけた。
けれど、傍らに寄り添う珠希の戸惑う視線に思い留まった。
「…御意にございます」
拳を握り締め、同意の言葉を絞り出した。
かつての己なら単身でロマーノの衛兵を力尽くで振り切ってでもその行方を追っただろう。しかし今は―――、愛しい彼女を放り出す事の方が出来なかった。




