精霊エルフィエナ
翌日はまたも生憎の雨だった。
作業に協力頂いている皆に今日の作業中止を通達後、珠希はこれまでに仕事の傍らノートに書き留めたこの世界の事柄を整理。
道具の手入れがてら侍女のアリスと理解の擦り合せを行った。
来た時から感じてはいたが、幸いなことに異世界転移のチート作用でこの国の言語や文字はすぐに理解する事が出来た。
王子が参考にと取り寄せてくれた世界地図も、元の世界の地図を縮小してデフォルメしたような感じで分かりやすい。
感覚的にはヴォタニカリアはアイルランドとイギリスで、隣国のユグドラシルはスカンジナビア諸国。これらが属する【西帝国キトリア】はヨーロッパの一帯である。
更に【北帝国ロマーノ】はロシアなど旧ソ連地域、【東帝国インチャナ】はその下の中国やアジア一帯を領地に持つ。その東帝国の更に東には見覚えのある島国があった。
「ヤマト皇国…」
そう書かれていた日本に似た小さな島国に、思わず胸が詰まった。
こうして違う国名が書かれているのを見てしまうと本当に別の世界に来てしまったことを痛感した。
「聖女様?」
顔色を覗うアリスに珠希はハッとして、思わず苦笑い。
「ごめんなさい、ちょっと元の世界の事を思い出してしまって…。えっと、聖樹教会の話に戻るけど、教会は西帝国が主な活動拠点で間違いない?」
気を改め、元の世界で言うヨーロッパを指差しながら確認。
「はい。そもそも聖樹教は南のサパナ共和国プラムス自治区付近で始まったとされるアラガーシャ信教からロザリア教と共に派生した宗教と言われています。元は自然崇拝の穏やかな宗教だった筈がフラベールのような改革派が教皇の座に就いてからは過激さが目立つように…。近年ではロザリア教との衝突で、国家すら巻き込む事態になっています」
そんな説明に、成程と珠希は腕を組んだ。
何だか元いた世界と似たような宗教対立である。
そもそも西帝国で信仰される聖樹教と北帝国で信仰されるロザリア教では精霊に関する世界の成り立ち話が異なる。
どちらも初めに創造神アラガーシャが世界を創造するところから始まり、マナを巡って人が争い大地を傷付け、戦いに巻き込まれて息絶えた精霊の亡骸から瘴気が発生。瘴気は生きとし生けるもの全てを蝕み、神は世界を浄化するため自らの指を切り落として聖樹を創造―――、と、ここまでは同じ。
そこから聖樹教の教えでは、生き残った精霊は人に愛想を尽かして神に縋り、聖樹と一体となることで神に守られる道を選んだとされる。
対してロザリア教では、同じ過ちを人が繰り返し、聖樹が傷付けられぬよう見張るため、精霊は聖樹の側に留まるようになったとされる。
この違いから、聖樹教では神の代理は聖樹であり、精霊は聖樹の詞を語る預言者。ロザリア教では神の代理そのものとして精霊を祀っている。
ちなみにロザリア教のロザリアとは、その教えを広めたとされる北帝国の聖樹に宿る精霊ロザリアンヌに由来する。
「そう言えば今回の件で、フラベールの一派は軒並みヴォタニカリアから追放ってことだけど、今後、考えられる影響は?既に出てるの?」
気を改め、珠希は質問。
するとアリスはフルフルと首を振った。
「フラベール教皇の逮捕時にその悪行について女王陛下が直々に公表したので国内反発は軽微です。元より教皇に対しては、弾圧を受けた国民の不満が蓄積していましたし…。西帝国全体としても今回の件で衝撃が走っていて、皇帝に至っては西帝国の食糧庫である我が国を脅かしたとして激怒ものだったそうです。勿論、聖女様が聖樹を癒し、我が国の元来の神である精霊エルフィエナを救った事も大々的に報じておりますので、その点はご安心ください。聖女様の御身は我々が守るとお約束します!」
鼻息荒くアリスは断言。
この数日で気付いたことだが、どうやらアリス含めた宮殿の女中は、珠希を羨望の眼差しで見ている。
さながら人気アイドル扱いだ。
恐らくは初日からの立ち回りに職業柄の男っぽさが興味を引いていると見える。
(単にガサツなだけなんだけどなぁ…)
温かい紅茶を頂きつつ、尾ひれ背びれの伸びる視線に苦笑い。
今後の為にもこちらの礼儀作法を早急に身につける必要がありそうだ。
尚、余談として現在、聖樹教会はこれまでヴォタニカリアに対して行った諸悪を組織として謝罪。大元凶であるフラベールとその一派を破門―――、切り捨てた上で、その処遇をマーガレット女王に一任した。
また新たにヴォタニカリア出身にして穏健派のシナモニア枢機卿を教皇に据え、西帝国皇帝からも宗教団体としての承認を受け直した。
これにより、一先ず事態は収束へと向かっているそうである。
*****
傾き始めた陽の光に世界が琥珀色に染る。
止み掛けの雨が黄金の陽射しを乱反射し、雲間から差し込む光が空に七色のリボンを浮かべる。
雫を払うように木の葉がさざめき、太陽と雨の匂いが鼻を擽る。
夕餉の前に聖樹の様子を見たいと申し出た所、雨具の代わりにとフード付きのマントとお洒落なブーツを頂いた。
元より聖女の外出用衣装らしく、マントは白地に光沢のある生地で縁取るように裾やフード、首元の飾り紐に至るまで繊細な刺繍を施した見るからに上等な代物だ。刺繍の模様は風魔法の呪文で、防水加工をしたようにしっかりと水と汚れを弾いてくれる。通気も良くて着心地は最高だ。
前の世界では雨の中、仕事をすることもしばしばで上下の雨具は必需品だったが、泥と草ゴミでドロドロになりやすく定期的な洗濯を強いられた。
これがまた面倒で、防水が効いている分、用心しないと洗濯機が暴れるし、無事に洗い終わっても取り出してみたら脱水が上手く行ってなくてビショビショが当たり前。やっと乾いても防水スプレーの掛け直しが待っていて、そうまでして綺麗にしても、四、五回も使えばまた汚れて防水も剥がれて洗い直し。尚且つ夏場は汗で蒸れてサウナスーツ状態―――、中も外もドロドロの地獄だった。
その苦労を思うと、このマントは夢の代物である。
ブーツも同様に魔法で濡れず、汚れも弾く。更にデザインもフェミニンで可愛らしい。
(おー、もう新芽が出てる。煤も連日の雨で綺麗に流れたね)
聖樹の回復具合を確認して、珠希はにっこり。
他の木々も見て回り、順に片付けねばならない仕事の段取りを組みながら、のんびり暮れなずむ聖園を散策した。
(雨の見回りって嫌いじゃないんよねぇ…)
そう考えながら、微かな雨の音に耳を澄ませる。
雫の重みに撓る枝先、濡れた木の葉の艶めき。重みに耐え兼ね、零れた雫が石に爆ぜてパチンと鳴る。
聞こえてくる自然の旋律に微かに瞼を伏せ、胸の奥から溢れたのは元いた世界で好きだったアーティストの一曲。
何の主題歌だったかは忘れたけど当時は流行って年末の歌番組で流れたりもした歌で―――、こんな静かな雨の日にはぴったりだった。
そんな歌のリズムで朽ち掛けの飛び石を踏み、くるりとステップ。
誰かに見られたら赤面物。けれど、偶にはこんな乙女な気分も悪くない。
窓際に揺れるてるてる坊主のようにマントを靡かせ、雨の終わりを告げるように飛び始めた精霊蟲と戯れる。
そんな折だった。
不意に吹き抜けた風に煽られ、咄嗟に身を屈めて瞼を伏せる。
雨雲を吹き飛ばし、途端に差し込んだ西日の温もり。
足元に向けていた視線を戻し、外れたフードを直そうとした時だった。
ふわりと眼前に舞い降りた姿に、思わず息を呑んだ。
浅葱色のシフォンのドレスを揺らし、銀の唐草模様を描く雪白の手足が雨露に艶めく。背にはガラス細工の二対の薄翅。ルビー輝くヒイラギの冠を白銀の御髪に乗せ、そこから覗く金に輝く羽根のような触角。
零れそうな大きな瞳は瑠璃に輝き、人ならざるものながら、その美しさに目を奪われた。
「…精霊エルフィエナ…っ…」
その存在が何であるかを悟り、そっと敬意を示さんと戻し掛けたフードから手を離す。
濡れることも厭わず静かに片膝を石畳に突き、胸に両手を当て、こちらで最も格式の高い所作をとった。
国の神と崇められる精霊エルフィエナはそんな彼女に静かに微笑みを浮かべ、踊るように擦り寄るや嬉しそうに珠希を抱擁。
ふわりと包み込む陽だまりのような温もりと甘い蜜のような香りは天上の心地であった。
一頻り抱き締められ、微風と共に温もりが離れる。
刹那、フッと微笑まれたかと思うや精霊は忽ちその姿を小さな虫へと崩し、気ままに辺り一面へと散って行った。
「お礼…、かな…?」
夢心地も抜けぬまま、腰を上げつつ戯けるように雨粒に湿った前髪を掻き上げる。
すると、指先に何かが触った。
何だろうかと髪を探ってみれば、それはヒイラギを模した銀の髪飾りだった。
―――これは有り難い。
伸びて来た前髪が少し煩わしくなってきた所だし、ヘアピン式なのでこれならショートヘアにしても使えそうだ。
思わぬ贈り物にホクホクしつつ、珠希は雨上がりの夕焼けを映す水溜りをスキップで飛び越えた。




