寒冷紗
その日の晩の事である。慰労会を兼ねたオルタンシア帝との夕食会を終えると、移植作業の裏でロマーノ城のお針子に頼んでおいた一品が届けられた。
「ありがとうございます。これでロザリアンヌ様も寒くないと思います」
品物を確認し、笑みを零して届けてくれた女官に感謝を述べる。
出来上がったのは麻の糸で作られた大判の布だった。かつての世界で言う幹巻きテープを大きくしたようなもので広げたガーゼのように透けている。
こちらの世界ではまだ不織布が普及しておらず、類似品として仕立ててもらった。
「師匠、また怒られるよ?」
そんなボヤキが漏れたのは夜更けのこと。
大判布の他、八掛支柱に使った物より長くて細い丸太と必要な道具を抱えたスイバは呆れ顔。師弟はこっそりと聖園へと向かっていた。
「えっと、この辺だね」
精霊蟲の仄かな光を帯びる聖樹の傍ら、鎹で天端に布を打ち付け、幹に添わせるように真っ直ぐ柱を立てる。
スイバの風の魔法でスカートを捲るように吹き上げて広げた布地は、八掛支柱を骨にパラソルの如く展開。すっぽりと聖樹を覆い隠した。
雪吊りを模した寒冷紗である。
「よし、急げ急げ…!」
玄翁を手に珠希は大急ぎで布の四隅に作ってもらった穴にピンを刺し、風で飛ばないよう地面に固定。
最後に布の張りを確認して、その場から逃げようとした矢先だった。
「…何をしているのですか?珠希さん」
背後からジトリとした声が耳元で囁かれ、思わず硬直。
ゼンマイ仕掛けのブリキの玩具みたく振り返れば、怖い笑顔のグラジオがいた。
「ぐ、グラジオ…様…っ…」
タラタラと冷や汗を掻きつつ目を泳がせる。
既に腕を掴まれた。
逃げ場は無い。
「前にも言いましたよね?勝手な行動は控えてくださいと。そもそも他国の城を歩き回るのも頂けませんねぇ?それに護衛も付けずに一人歩きとは…、中々な度胸と根性ですねぇ?」
溢れ出す怒気に震え上がりながらも、一人歩きとの言葉に、えっ?とスイバを確認。
何と逃げ足の速い。今さっきまであった姿が忽然と消えた。
流石は猿獣人。近くの木に飛び移って姿を晦ませたらしい。
道具を一緒に持って行ったことは称賛する。どうか、このまま逃げ切ってくれ。
「珠希さん?」
その呼び声と同時にくるりと身体をひっくり返され、ずいっと整った顔が迫る。
ヤバい、これはヤバい。
これはとんでもないご褒美―――、ではなく、待て。そうじゃない。このままだと特大の雷が落ちる。
「ご、ごめんなさい。その、夜の冷え込みで聖樹が痛まないようにしたかったのでっ…、お、お声掛けしようかとも思ったんですが、あの、グラジオ様、最近あんまり寝てないみたいですから…、そのっ…、け、決して反省してない訳ではなかったのですが…!」
必死のあまり半泣きで御託を並べる。
刹那、フッと視界が翳った。
状況を理解するに何秒掛かったか。
抱き寄せられた身体を包む温もり。腰元に回された腕に身動きを封じられ、頭に充てがわれた手の指が髪を握るように絡む。
頬に掛かる吐息は微かに乱れ、乾いた唇に柔さが強く重なった。
状況を頭が理解し始めた途端、俄に全身が熱を帯びた。
「……っ…、…あまり私を心配させないでくれますか?理性を保つのに苦労するので…」
星明かりを遮り、こちらを見下ろす優しくも憂う熱の籠もった眼差し。
その眼に囚われて動けない珠希に、再び雄々しい顔が迫った。
『ふーん?案外、情熱的なのね?』
冷やかすような声に、互いにパッと離れた。
目を向ければ、愉しげなロザリアンヌが寒冷紗の天端に立って高みの見物。
刹那、ひらりと芝に舞い降りた精霊は、気を遣って気配を消していたオルタンシア帝へと擦り寄った。
「すまんの。覗き見するつもりは無かったのじゃが…」
気不味そうに目を逸らし、オルタンシア帝は火照る顔を扇で隠す。
まだあどけない女帝には、今ほどの光景は少々刺激的だったらしい。
「も、申し訳ありません!勝手に…!」
一転して青褪める珠希に、オルタンシア帝は落ち着けと手を翳し、コホンと咳払い。軽く扇を仰いで火照りを冷まし、穏やかに微笑んだ。
「何、怒ってはおらぬ。そちがここに来たのはロザ様の為じゃろう?こんな夜更けまで働いてくれたこと、寧ろ感謝せねば…。妾も霜が気になった故、ここに来た次第じゃ。ロザ様、良き天幕を貰いましたな」
『ええ、悪くないわ!ロザはね、元々今の不帰の大地に生まれた野バラだったの。だけど、ロザの魔力を欲した移民団共がここへと移してね…。冬は寒いから寝てやり過ごしてたけど、これなら起きていられるわ…!』
嬉々とロザリアンヌは答え、オルタンシア帝へと頬擦り。
曰く、これまで何度も温室を作ろうとは検討されたそうだが、建設費用やメンテナンスの問題から実現出来ずにいたらしい。
そもそも豪雪地域のロマーノで温室を造るには雪の重みや凍結に耐えられる特殊な資材と設計でなくてはならない。加えて魔力はガラスに反射する性質を持つ。故に国土全体に魔力を拡散させるには小さな温室に聖樹を閉じ込める訳にはいかず、ある程度の広さや開放性が求められた。
しかしながら、この世界の文明はかつての世界で言えば産業革命前。かつての世界で見られるような大規模温室は建築技術的にも難しいのが現実である。
「出来ることならば、キトリア皇宮殿の大温室を設計した建築士ルノートルに依頼したいが、何分、彼はガザーニア帝の臣下じゃ…。キトリアと長年、小競り合いを繰り返す我が国ではな…」
自嘲気味に肩を竦め、オルタンシア帝は憂い顔。
そんな彼女の背を擦り、ロザリアンヌは困ったように溜息を零した。
「………、交渉してみましょう」
そう意見を発したのは珠希だった。
驚きを隠せぬ幼き女帝に対し、彼女は強い意志を眼に宿した。
「ヴォタニカリアの聖女としてキトリアのガザーニア陛下と話してみます。上手く行けば国交回復の機会にもなるかと」
「じゃが、キトリアがまともに相手にするとは…」
「ならば、天然ガスや石炭を引き合いに出してみてはどうでしょうか?近年、ロマーノでは魔力減少の対策として天然ガスによる照明や暖房器具の普及が進んでいると伺いました。石炭も蒸気機関の開発に当たり、ヴォタニカリアの機械工学者と取引していらっしゃいますよね?どちらも魔法のあるこの世界では効率の悪いエネルギーかも知れませんが、私のいた世界では重要な資源です。使い過ぎは環境破壊に繋がりますが、魔力の薄い地域にとっては利用価値があるかと」
「成程。精霊が居ない土地ならば良い商売になりそうですね。キトリアはサパナ共和国の支援も行なっていますから」
彼女の意見に賛同するようにグラジオも見解を示した。
かつての世界で言うトルコからサウジアラビア辺りにある南の国家サパナ共和国は不帰の大地に面し、極めて瘴気が濃く魔力が薄いことで知られる。
魔王軍との最前線として近隣諸国が支援を行なっているが、魔法至上主義のこの世界では不毛の荒野扱い。国として開発が進まないのが現状である。
「魔力と違って化石燃料は有限ですし、環境破壊のリスクもありますが、飽くまで新たな精霊が生まれるまでの繋ぎです。時間は掛かっても聖樹となる木々を各地に増やし、精霊を育み大地を均等に潤せば、これまでのような小競り合いをする必要も無くなるのでは?」
珠希の考えにオルタンシア帝は、ハッとさせられた。
魔法の力を持ってしても、森羅万象の理には敵わない―――。それがこの世界の掟であり、これまでのロマーノとキトリアの諍いも、偏に実り有る凍らぬ大地を求めるが故であった。民が寒さに凍え、飢え死ぬことがなければ血を流す必要はない。
「オルタンシア陛下、確かに魔法は万能ですが、この世界は本当に魔力が全てでしょうか?技術であったり、資源であったり…、それぞれが持っている強みを活かしながら、皆でいがみ合わずに済む方法を考えて行くことは出来ないでしょうか?人間は思考する生き物です。簡単じゃないし過去の蟠りもあるでしょう…、けれど考えることを諦めて、傷付け奪い合う簡単な手段ばかり取るのでは堂々巡りではありませんか?これまで出会った精霊王は皆、真摯に向き合えば話の出来る存在でした。彼等への敬意を忘れず、彼等の意志を尊重し、共にこの世界をより豊かにしようと志ざせば、これまでのような国同士、人同士が争い、傷付け合う必要も無くなるのでは無いでしょうか?魔法とはそう言うものでは無いのでしょうかっ?」
そう問い掛ける彼女は、何処か腹立たしげに拳を握った。
これまでの人生で我武者羅に造園を―――、樹木を、環境を、自然を学んだからこそ、この世界の矛盾が悲しかった。
魔法の存在するこの世界なら聖樹を守り、精霊を育くめば魔力という大地を潤し、実り豊かな土地に変えられる万能のエネルギーを創り出せる。
いつ無くなるかも分からない石油や石炭、天然ガスと言った化石燃料を―――、採取精製するにどう足掻いても環境を汚染したり生物に害となる物質を出さざるを得ない有限のエネルギー資源を奪い合わなくて良いのだ。
「………、そちの言う通り、魔王の脅威が迫る今、人同士が争っている場合ではないな…。良いじゃろう、妾からもガザーニア帝に一筆認めてみよう」
感服した様子で出された返答に、珠希はパッと表情を明るくして思わずグラジオへと目を向ける。
彼も満足そうに頷いてくれた。
「さて、今日はもう遅い…、今ほどの件は明日の昼に改めるとしよう。共に文の内容を検討しようではないか。何せ我がロマーノ帝国建国以来、三百年越しのキトリアとの和平じゃ。慎重を期さねばな?急いでは事を仕損じる」
すり寄るロザリアンヌを撫でながら、オルタンシア帝は一つ溜息。
また明日にと踵を返す若き皇帝に、珠希は深く感謝を込めて頭を垂れた。




