聖樹に仕掛けられたモノ
長い回廊を進み、やってきた庭園に珠希は感嘆の溜息を零した。
場所はロの字型の宮殿の中央。迷路のようなシルバープリペットやイトスギの垣根を抜け、眼前に広がったのは見事な大理石の彫刻の噴水とそれを見下ろすように佇む立派な六角屋根のガゼボ。その屋根内に問題の聖樹はあった。
「これじゃ。今は葉を落としておる故、枯れているように見えるが…」
そう告げながらオルタンシア帝はガゼボの中に鎮座するオリエンタル風の植木鉢を指差す。
土面を覆うように白い化粧砂利が敷き詰められたその中央からは、近寄る者を拒むかのような刺々しい枝だけが淋しげに植えられていた。
「失礼します」
一礼の上、珠希は植木鉢へと接近。
ひと目で薔薇だと理解した。幹部の太さからして相当デカい株だ。
幸いなのは適切な冬季剪定がちゃんと行われ、春に向けた瑞々しい新芽が出ていること。
しかしながら、植えてある場所が非常に悪い。土も硬い。というか、観葉植物じゃあるまいに何故ガゼボの下の植鉢に植えたのか。これでは日がろくに当たらないし根も詰まる。尚且つ株の大きさに対して鉢が小さ過ぎる。
いくつも見られる切り戻しの痕跡から定期的な剪定は行われているらしい。
「聖女殿、どうにかできぬか?」
神妙にオルタンシア帝は訊ね、助けを乞う。
彼等にとっては死活問題だが、管理がダメダメ過ぎて寧ろ笑えて来る。
「…一先ずこのガゼボを撤去するか、聖樹の場所を変えて下さい。それから鉢が小さすぎて土も硬すぎます。これじゃ根が張れません」
素手で化粧砂利を退かしつつ、聖樹に影を落とす頭上のガゼボを指し示す。
察してはいたが、触って解るくらいに根が鉢全体に回っていた。完全に根詰まりしている。
「やっぱりガチガチだなぁ…、あの、畑みたいにフカフカの黒土の場所ってありますか?それかベニヤか何かで大きな箱って作れます?大体、二間…縦横三、四メーターくらいの。深さは今よりプラス五十センチくらいで…。一先ずメモ紙ください。必要な材料を書き出すので揃えてください。あ、ちなみにこの植鉢って壊しても?」
手の土を払いながら珠希は次々に指示を出し、鉢の破壊許可をオルタンシア帝に確認。
すると女帝は、怒りを湛えた眼差しで顔色を曇らせながら静かに頷いた。
「寧ろ壊してくれ。それはエリカが東帝国の名品だと宣って持ち込んだものでな…。あれに唆された先帝が、そこに聖樹を移植させたのじゃ…。妾が即位してから何度も植え替えろと言うたが、ルコール含めエリカに魅了された家臣らが邪魔をしてな…」
そんな話に珠希はまたかと唇を噛んだ。
まるでフラベール元教皇の時と同じだ。
植物は生き物であってインテリアではない。子犬の首輪を成長に合わせて調整してやらねばならないように、適切な世話をせねば痛むに決まっている。
珠希は女帝の侍女が差し出したメモ用紙に急ぎ必要な物品を書き連ね、移植作業の準備に取り掛かった。
作業準備に勤しみつつ、珠希はオルタンシア皇帝に精霊衰弱に至るまでのこれまでの経緯を訊ねた。
聞けば、以前はこの聖園にも専属の庭師集団がいたそうだが、ヴォタニカリアから聖女エリカが転がり込んできた頃から様子が可怪しくなったらしい。
先帝アザレオの寵愛を受けるエリカは何かに付けて聖園の管理に文句を付け、彼女の言いなりだった先帝は、エリカの要望を無視したり物申した庭師達を次々に追放。とうとう三年前に最後の一人も暇を出され、以来、オルタンシア帝自身とその最側近である数名の侍女と護衛官が密かに管理を肩代わりしていたそうだ。
昨年、アザレオ帝が崩御したのを皮切りに、新皇帝に即位したオルタンシア帝は、隠居という体でエリカを城の隅にある離宮へと幽閉。元いた庭師達を呼び戻そうともしたそうだが、既に彼等はキトリアやインチャナに移っていた。謝罪の文を出して、和解しようとも尽力したが、理不尽に追い出されたことにプライドを傷付けられたとして彼等は帰国を拒否。加えて聖樹の精霊ロザリアンヌは気難しい精霊で、土が乾いた水遣りをしろ、肥料を寄越せ、剪定はここを切れだの自ら指示。今季の休眠に入るまで文句があると伸びた蔓で作業者を引っ叩くと言う傍若無人ぶりで、その所為もあって今ではオルタンシア帝以外は近寄るのも嫌がっているそうだ。
「エリカが来るまではここまで気難しい精霊ではなかったのだがな…、昨年辺りから、まるで何かに取り憑かれたように気性が激しくなった。幸い、妾に対しては正気を保っておるが、このままではな…」
騎士と侍従達が力を合わせてガゼボの下から聖樹を横倒して転がして運び出す中、オルタンシア帝はその様子を眺めながら憂いげに話してくれた。
精霊と聖樹は表裏一体。己の半身である聖樹を物のように扱われ、縄張りである庭も荒らされたとなれば怒り狂うのも無理はない。
「さて、始めますか」
物の一時間で準備してもらった品々を前に、作業着に着替えた珠希は気合を入れるようにヘビーローテーションですっかり色褪せた手拭いを頭に巻いた。
先ずは植え穴の調整だ。場所は聖樹が置かれたガゼボの目と鼻の先にある芝生広場の中央。流石は魔法至上主義の世界。元の世界ならユンボ投入もしくは永遠、掘って切って剥がすの力仕事となる芝生撤去が一瞬であった。
そんなこんなで手分けして必要な深さまで植え穴を掘り、客土を開始。芝生の下の土は目砂や芝の根が多く、掘り進めれば下から地盤基礎と思しき砂利も出てきた為、近場の畑からふかふかの黒土を分けて貰った。
聖樹の大きさからざっくり計算して、一輪車二杯分の黒土に元肥となる骨粉、油かす、鶏糞を混ぜ込み、珠希は大地の精霊王のスコップをバカ棒(目安の棒)に、聖樹の根鉢の大きさを陶器鉢の上から再確認。必要な深さを考慮しつつ、根が肥料の土に直接触れないよう唯の黒土を上に被せるように追加。穴底を緩い築山のように少し盛り上げ、株を据え易いよう整えた。
「本当は苦土石灰があれば尚良いのですが…」
「苦土石灰とな?」
珠希の呟きにオルタンシア帝は興味深そうに小首を傾げる。
「白っぽい粉みたいなもので、土壌改良になるんです。ドロマイトと言う鉱物から出来てまして…」
そう語りつつ、はたと傍らで護衛官が片付ける鶏糞の空袋に注目。
鶏糞を意味する文言の下に描かれた鶏と数匹のひよこ。その一羽が被る卵の殻に学生時代の記憶が呼び起こされた。
「そうだ!卵の殻とにがり…!」
思い出した記憶にハッと閃いた。
高校生の時、農業クラブの県大会で、とある学校が地域の特産物である鶏の卵の殻を活用した有機農法の研究発表をしていた。
その中で、苦土石灰の代わりとなる製品の開発をしていたのを思い出した。
「あ、それなら知ってる。父上が作ってた」
鉢の中の土を均しながらあっけらかんと告げたスイバに珠希はぐりんと首を向け、期待の眼差し。
「作り方はっ?」
「知ってる」
その返答に彼女は手を叩いてガッツポーズ。
ハッカ油に続いての灯台下暗しである。
「神!ただし今回は割愛!作り方のメモだけ宜しく!」
「りょりょいのりょーい!」
お手柄!とばかりに背を叩き、さっき借りたメモ用紙の余りを手渡す。
唐突ハイテンションの御機嫌な師匠に、スイバも調子に乗って返事を返した。
「中々個性的な師弟じゃな…」
ボソリと溢れた女帝の呆れ声。
思わず我に返った二人は、植穴に黒土を追加する随行騎士や護衛官が苦笑いする中、気恥ずかしそうに仕事に戻った。
植え穴の準備を済ませ、珠希は満を持して聖樹と向き合った。ガチガチに固まった根鉢は、もう陶器の鉢を割る以外に取り出せない硬さだった。
「片付け面倒だし、綺麗に割りたいな…」
そう呟きながら、珠希が年季の入った道具入れのバッグから取り出したのは、釘袋こと植栽時に道具や材料を入れておく腰袋。
その中に入れっぱなしだった五センチの釘と玄翁を手にした。
「欠片が跳ねるかも知れないので離れてください。根がミチミチなんで多分、一気に来ます」
周囲に警告を放ちながら、ガゼボの中で横倒した陶器の底に釘の先で真っ直ぐに傷を引いていく。
正直気休めだが、この線通りに割れれば片付けが楽だ。
若干の緊張の中、線に沿って等間隔で釘を打ち付け罅を入れる。その次の瞬間だった。
ビンッ!と嫌な音を立て、鉢に無数の亀裂が走った。
―――よしよし、これなら剥がせる。
咄嗟に引いた身を戻し、割れた鉢を剥がそうと手を伸ばした。
「珠希下がれっ!」
後ろで作業を手伝っていたグラジオが何かに気付き、声を荒げたのと同時だった。
欠片の隙間より、ぶわりと黒い靄―――否、無数の小さな黒い甲虫が溢れる。
うぉおぅっ!と野太い悲鳴を上げて反射で飛び退いた珠希をグラジオは背後から抱き寄せ、襲い掛からんとする甲虫の群れに手を翳し、火の防壁を展開。
蛇のようにうねった虫の群れはその火に焼かれ、大半は煤塵となったが一部は空へと逃げ果せた。
「魔王の呪物だ…!ロザリアンヌ様はこれに呪われていたのか…!」
怯える珠希を強く抱きしめ、グラジオは顔を歪める。
彼女に襲い掛かったのは鉢に仕掛けられた召喚魔法で、鉢を割った者を集団で襲って食い殺す危険な魔物を呼び出すもの。更に鉢底にも聖樹を弱らせる呪いが掛けられていた。
「グラジオ様…」
か細く名を呼ぶ声に、はっとグラジオは珠希に視線を向ける。
腕の中、彼女はしおしおと縮こまっていた。
「珠希さん、怪我はっ?」
訊ねつつ、手や顔に触れて安否を確認。
珠希は小さく頷きながらも、困ったように目を泳がせていた。
「怪我の方は大丈夫です…、唯…、あの…今、名前で呼んだの…、皆さんに聞かれたかと…」
口籠りながら頭に巻いた手拭いを解いて、彼女は赤らむ顔を隠す。
その指摘にグラジオは漸く墓穴を掘った事に気付き、周囲を確認。
二人の恋路を知る部下の騎士達は少なからず驚きと歓喜の表情を浮かべ、スイバに至っては、あらま〜!とばかりに口元に手を充てがう。
「すみません、つい咄嗟で…」
やってしまったと口元を押さえ恥じらいつつ、グラジオは視線を彼方に逸らして反省。
そんな彼等にロマーノの一同もやいのやいのと興味を示した。
「何じゃ、そち等そういう仲であったか…。女官長よ、グラジオ殿と聖女殿の部屋を同室に…」
「「別室で結構です!!」」
態とか否か、気を回さんとするオルタンシア帝を二人は全力で制止。
揃いも揃ったその声に耐え兼ねたように若手騎士達は失笑した。
「恐れながら、オルタンシア皇帝陛下、この二人が付き合い出したの多分昨日です。特に師匠は初心が過ぎるので、お手柔らかにお願います」
そんなトドメを刺しに来た弟子に、珠希は堪らずダッシュで駆け寄り、助走をつけて後頭部に一発スパン!と平手打ち。
勿論、加減はしたが誂われた乙女心の痛みに力が入ったらしい。間もなく蹲ったスイバから痛ったい!と言う悲鳴が轟いた。




