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ロマーノの女帝


 とうとうロマーノの皇都へと辿り着いたが、最初に目に付いたのは街の廃れ具合だった。

 元より寒い地域とは言え、何処もかしこも雪に覆われ、道の除雪さえも殆どされていない。中には雪の重みに耐えかねて押し潰された建物も見受けられ、道行く疎らな人影は皆、厳しい寒さに俯き、各々の家に逃げ込んでいた。


「…やはり魔力(マナ)が薄いな」


 ロマーノ皇帝の居城を目前に、グラジオは悴む掌の感覚を確かめるように握っては広げる。

 賢者たる彼でも魔力の薄い地域では持てる力が半減する。周囲への警戒を強めながら一行は先を急いだ。


「む?止まれ止まれ!」


 目的地であるロマーノ城の正門前、接近する珠希達一行を目視した門番は殺伐とした雰囲気で槍を差し向けて制止を求める。

 直ちに相棒ダンテの背より降りたグラジオは全員分の渡航許可証を手に入場の手続きに入った。


「…確かに。今程は失礼致しました。このまま直進して中央宮(メインパレス)に向かってください。そこで正式手続きを行います」


 門番は事務的に答え、鉄格子の扉を開く。

 広がったのは白銀に染められたポプラの並木道。その先にはクレムリンを彷彿とさせる独特な宮殿が鎮座していた。


「藤崎女史、足元に気をつけて。凍っています」


 宮殿の正面玄関前、馬車の降り口にてグラジオに手を取られて珠希は降車。

 言われた通り足元の石畳が凍てつき、用心を強いられた。


「失礼致します。ヴォタニカリア御一行様ですね?ようこそおいでくださいました。書類の確認を行いますので、フロントへお進みください」


 豪奢な扉の前、駆け寄った衛兵が一礼の上で丁寧に建物内へと案内を始める。

 開かれた大扉を潜れば、途端に暖かさが身を包んだ。

 筋道を示すように敷かれた緋色の絨毯の先には入城受付のフロントがあり、その後ろには見事なまでの大階段。辺りには絵画や調度品が品良く飾られ、まるで博物館のようだ。


「失礼します。渡航許可証を確認させて頂きます。お荷物はこちらで…」


 間もなくフロントから駆け寄った宮廷女官が書類確認に入らんと、声を掛ける。

 その時だった。


「待ちなさい。手続きの必要無い」


 降り掛かった声に、何だと珠希達は一様に視線を上げた。

 何処かこちらを敵視するような眼差しで大階段より降りてきたのは、絵に描いたような口髭を蓄えた老紳士だった。


「私はロマーノ宰相のルコールと申す。貴殿らの武勇は聞き及んでいるが、これより先への立ち入りはお断りする。申し訳無いがお帰り頂けるかね?」


 慇懃無礼にして一方的な指示だった。

 当然のように珠希とスイバ、騎士達もどういう事だとざわめいた。


「失礼ですが理由を伺っても?」


 整列を意味する手を翳して部下達を宥めつつ、冷静にグラジオが訊ねる。

 すると宰相は無礼にも彼を指差し、軽蔑の視線を向けた。


「先日のキトリア皇宮での騒ぎは聞き及んでいる。何でも、貴殿は魔王の器だと言うではないか…」


 その発言に隣りにいた珠希は思わず物申さんと歩み出たが、すぐにグラジオ自身が制止した。

 他の騎士達も彼女と同様の仕草を見せたが、同じくグラジオは動くなと睥睨。

 その視線から彼等は直ぐに整列の姿勢を取り直した。


「魔王が今の肉体に憑依してから約三十年…、新たな器を求め始める頃合いの今、そんな危険な輩を中央宮(メインパレス)に入れるなど実に恐ろしい。挙句にキトリア皇帝の威を借る女狐が我が国の聖樹に触れるなど笑止千万。かの獅子帝の黄金の目も歳には敵わぬようだな…」


 尚も続くルコールの侮辱に珠希やガザーニア帝まで馬鹿にされ、流石のグラジオも聞き捨てならんと拳を握る。


「…僭越ながら」


「何の騒ぎじゃ?」


 良い加減に物申さんとグラジオが口を開くと同時だった。

 冷ややかな若い声が珠希の背後から忍び寄り、場の空気が凍った。


「ひ、姫様…」


 それまでの勢いが一転、怯えたようにルコールはその存在を見つめ、ごくりと唾を飲む。

 そっと振り返った珠希の目が捉えたのは、纏うドレスや装飾こそ豪奢なれど、その顔からはあどけなさが抜けないお人形のような女の子だった。

 真っ白な雪のような巻き髪に真っ青な瞳で、そのあまりの美しさに思わず目を奪われた。


「妾(わらわ)はもう姫ではない。何と言うたら分かる?全く、貴様がしゃしゃり出ると話が拗れる。下がれ」


 深い溜息を零し、彼女は失せろとばかりにルコールを睨んだ。


「し、しかし…!」


「下がれと言っているのが聞こえんのか?」


 冷徹な声と共に場の空気が更に冷える―――、否、正確には怒気と共に強烈な冷気が放たれ、一瞬で空間そのものが凍った。玄関ホールに飾られた調度品も花卉も絵画も窓に垂れるカーテンすらも―――、全てに霜が張り付き、動きを封じた。

 その桁外れの魔力は歯向かう者を圧倒し、捻じ伏せ、跪かせる。

 見た目はまだ中学生くらい。しかし、纏う覇気と洗練された所作はキトリア皇帝ガザーニアに並ぶ高貴さを放っていた。


「すまんな、ヴォタニカリアの御一行。さ、こちらじゃ」


 恐れ慄く宰相を尻目に、そのお方は一行を奥へと手招き。殺伐とした空気の中、珠希達は中央宮へと足を踏み入れた。




 気不味さの中、珠希達が通されたのは暖炉の火が煌々と照るロマーノ皇室の私的な談話室だった。

 護衛の騎士やスイバも一緒にと中への入室を許され、一様に淹れたての紅茶と焼き立てのマフィンが振る舞われた。


「何処もかしこも冷え切っておって、すまんな。寒さに弱い魔王軍を退けるため妾の魔力で皇都一帯に氷結魔法の結界を張っておるのだ」


 そんな謝罪を述べつつ対面の革張りのソファの上で、お人形のようなその方は上品にミルクティーを嗜んだ。


「さて、挨拶が遅れたの。妾がこのロマーノの君主オルタンシア・デ・ロマーノスじゃ。先程は愚かな臣下が無礼を働いた。心からお詫び申し上げる」


 ティーカップを置いた上、改めての謝罪と挨拶で頭を下げるお人形―――もとい、オルタンシア帝に、珠希とグラジオは同時に深々と頭を下げた。

 予想はしていたが、この可愛らしいお方こそがロマーノの君主であった。


「お初にお目に掛かります、ヴォタニカリア王国近衛魔導騎士団長グラジオ・ヴォタニカリアと申します。先程はありがとうございました」


「お初にお目に掛かります。藤崎珠希と申します。重ねて感謝申し上げます」


 胸に手を当て、グラジオは感謝の所作。珠希も再び頭を下げての感謝を示した。


「礼には及ばぬ。本を正せば、全て妾とロマーノス皇家全体の力不足じゃ。何よりロザリア教の凶行を許し、藤崎殿には大変に怖い思いをさせた。その上での我が国への来訪…、心から感謝する」


 微笑みを浮かべ、オルタンシア帝は重ねて感謝を述べながら歓迎を示すように女中が置いた菓子を勧めた。


「さて、本題と行こうか。先んじての書簡は既に目を通した。成功報酬は三万ベイルと、聖女エリカに対する処罰の執行権を譲渡してほしいとのことじゃが…、追加や変わりはないかの?」


 近侍が差し出す書類を手に取りながら、彼女は気を改めて君主の顔で確認。

 サラッと交渉の額を訊ねて来られたが、ヴォタニカリアの王都に豪邸を建てられる金額である。日本円にして三億に相当する。


(中々吹っ掛けたな、おい…)


 営業スマイルで繕いつつ、珠希は思わずグラジオの顔を見た。

 元の世界で億単位の仕事はいくつかしたことはあるが、大規模公園の年間管理の総額だったり新規公園の土木外構工事、もしくは相当デカい範囲の草刈りや伐採だったりとどれも長期間の仕事だった。

 正直、単発仕事でその金額は大分怖い。かつての感覚で言えばドジった時の損害賠償が恐ろしい。


「飽くまで成功報酬ですので現時点では…。先ずは聖樹の状態を確認せねばなりません。早速ですが、拝見させて頂いても?」


 金額にビビる珠希に代わりグラジオは話を進める。

 これまでの仕事振りを見てきて、彼女が何を訊ねたいかは理解していた。


「勿論じゃ。また邪魔が入らんとも限らん。一同で来ると良い」


 深く頷きながら答え、オルタンシア帝は神妙な顔つきで起立。

 それに続いて珠希達も腰を上げ、小さくも一国を背負う毅然とした背に続いた。

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