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恋愛前線異常あり


 朝の支度を済ませて出立の準備を進める中、スイバは師匠の異変に気付いた。

 一応、人伝にキトリア皇帝の前で啖呵を切ったことは聞いたが、どうにもグラジオ団長との接し方が可怪しい。

 余所余所しいと言うか、距離の取り方を手探りで探していると言うか―――。

 元より威勢が良くて思い立つと後先考えずに動いてしまうタイプではあったけれど、まさか昨晩の晩餐会で何かやらかしたのではと弟子なりに心配になった。


「ねえ師匠…、昨日何かあったの?」


 荷物を積み込みながら、スイバは思い切って聞いてみた。

 しかし、直後に後悔した。

 荷物の整頓のため荷台の上にいた珠希は彼の一言に動揺したのか縁から足を踏み外し、そのまま落下。幸い受け身は取れたものの、足を踏み外した拍子に荷台の縁に臀部を強か打ってしまい、激痛のあまり声も出ず土下座状態で蹲った。


「師匠っ!?」


 尻を押さえて倒れ込んだ師に、スイバは悲鳴。

 その声を聞きつけて、少し離れた場所で双頭竜の御者と話していたグラジオは絶句した。


「藤崎女史…!」


 全速力で駆け寄り、倒れていた珠希を抱き起こす。

 痛いやら情けないやらで起き上がれなかっただけだが、眼前にグラジオの顔が迫った事で彼女は硬直。熟れ過ぎた果実のように顔を赤らめ、俯き加減に大丈夫だとは返したものの、隠し切れぬ心の乱れと声のか細さにグラジオは困ったように溜息を吐いた。


「すみません、困らせてしまいましたか…」


 周囲に聞こえぬように耳元で囁き掛ける。

 弱った声に珠希は只管に目を泳がせた。


「えっと…あのっ…、そ、そう言う訳では…」


 上手く繕いたい反面、しどろもどろも良いところ。

 動揺する彼女にグラジオは刹那、目を伏せて騎士団長の顔に戻るや、ひょいと華奢な体を抱き上げて直ちに医務室へと駆け込んだ。


「…幸い打撲で済んでますが、少し寝不足のようですね。あまりご無理はなさらないでください」


 担ぎ込まれた医務室にて宮廷医師の立ち会いの下、宮廷魔道士に治癒魔法を掛けてもらいつつ珠希は情けなさに赤面。

 怪我をしたと聞きつけて、ガザーニア帝まで駆け付ける騒ぎとなってしまった。


「昨日の騒動で、ちと心労が出たか…。必要なら、神殿に連絡して神官を寄越すが…」


「そ、そんな!唯の尻餅ですから…!」


 眉を下げる皇帝に珠希は恐れ多いと断る。

 皇宮から見て目と鼻の先にある木蔦に覆われた白亜の神殿は、この世界に召喚されてすぐに彼女が成敗することになったフラベール元教皇が牛耳っていた聖樹教の本拠地だ。今はヴォタニカリア出身のシナモニア新教皇が組織改革に取り掛かり、是正措置を行っているがあの一件以来、個人的に蟠りがある事には変わりない。

 加えて教会神官による治癒魔法は確かに効くし治りも早いが、往々にして高いお布施を必要とする。医師では手に負えない呪いや重病、命に関わる大怪我でもない限り、極力世話になるのは避けたい。


(本当は、キトリア皇都一帯の魔力を維持する聖樹があるから、見に行きたくないあるんだけどね…)


 痛みの引いた尻を擦りつつ、出立の準備に戻った珠希はそんな心残りに溜息を零した。

 ここの聖樹はキイチゴの仲間らしく、秋の収穫祭にはその聖樹の実を使った菓子が街中で振る舞われる。また、皇室の結婚式があると聖樹の実を漬け込んだ特別な祝い酒が出回るのだが、皇都ではこの酒を意中の相手と一緒に飲むと恋が実ると言われているそうだ。


「…もう行くのか」


 いよいよ出立の時、見送りに来たガザーニア帝は淋しげに微笑みを浮かべた。

 多忙を示すように後ろでは近侍がソワソワ。大国の君主に大層気に入られたのは有り難いが、側近の方々の為には長居は憚られた。


「日程に余裕がありましたら、報告がてら帰路にまた伺います」


 ご機嫌を取るようにグラジオは告げ、爽やかに一礼。

 珠希も続いて、一晩世話になった礼を述べて頭を下げた。


「お主達の健闘を祈っている。それと旅の手土産だ。持って行きなさい」


 別れの際、ガザーニア帝は親しげにグラジオの肩を叩きつつ、ボトルと思しき包みを珠希へと手渡した。

 有り難い事に中身は皇都の聖樹の実を漬けた果実酒だった。しかも上等品。

 これはロマーノ皇帝に対して有効な手札なる―――。キトリア皇都聖樹の果実酒は、その希少性から国外でも人気が高く、ビジネスに度々使われる。

 元の世界では公平性の観点から行政相手には贈り物はご法度であったが、ここでは賄賂も商戦の内である。


「ありがとうございます。大切に使わせて…」

「陛下っ…!」


 良い笑顔で感謝を伝えようとした珠希であったが、慌てたようにグラジオは皇帝との間に割って入り、恐れ多くも肩を掴んで後ろを向かせた。

 声量は抑えつつも彼は、ゴニョゴニョとお怒りモード。

 てっきり国家間交渉の有用な手札をくれたのかと思いきや―――。


「まぁまぁ…!次に来る時は、良い知らせを期待しているぞ?」


 そう怒るなとばかりにグラジオの肩を叩き返すガザーニア帝は、振り返ってお茶目に珠希へとウインク。

 柄にもなく狼狽える彼の様子に、珠希は無垢な微笑みで取り繕いつつも、確実に外堀を固められ始めていることを悟った。




 乗り込んだ馬車の中、広々とした座席の端で珠希は怯えた猫のように膝を抱えて蹲っていた。


「…マジか…、いやぁ、マジかぁ…」


 溢れ出る困惑のボヤキ。

 キトリア皇都を出て間もなく、ダンテに乗って並走するグラジオに確認を取った所、やはりあの後ガザーニア帝との密談があり、酒の勢いで温室での一件を漏洩。根掘り葉掘り聞かれたらしい。

 当人からは口が滑ってしまった、申し訳無いと謝罪を受けたが、正直、態とではなかろうかと勘ぐってしまっている状態である。


「…いやぁ…ガザーニア陛下は駄目でしょぉ…」


 顔を上げ、文句を垂れながら熱を放つ頬を手で仰ぐ。

 何やら狼狽える師を前に、同乗中のスイバは溜息を吐いた。


「師匠…、やっぱり何かあったよね?」


 今朝方の一騒動で有耶無耶にされたが、再チャレンジ。

 珠希は腹を括るように姿勢を正し、視線を合わせた。


「…やっぱ分かる?」


「うん」


「誰にも言わん?」


「うん」


「昨日、グラジオ様に告白された」


 あまりにもさらっと言った。だから一瞬、理解に至らなかった。

 数秒の沈黙の後、スイバは言葉を咀嚼し、驚愕の表情で、見てはいけないものを見てしまった主婦のように手で口元を覆った。


「本当(マジ)でっ?」


「マジ…」


「あらま〜…、…え?返事は何てぇ?」


 驚きのあまり何故が若干オカマ口調に。

 青天の霹靂とばかりに驚く弟子に珠希は目を泳がせた。


「そのぉ…、冷静になる時間をくださいって…」


「何でっ!?」


 身を乗り出し、スイバは大声を上げた。

 あまりの声量に珠希はヒエッと仰け反り、直後、取り繕うようにピシリと席に座り直した。


「だ、だって行き成りよっ?二つ返事で返せると思うっ?」


「いやいやいやっ!そこは二つ返事で返そうよ…!何で焦らすのっ!?」


「じ、焦らしてない…!心の整理よ、心の整理!だって突然よ…!?あの正統派イケメンに急に好きですって言われて動揺しない女いる…!?最早バラエティ番組の企画よ!?つーか、私これまで彼氏居ない暦イコール実年齢よ!?この歳で男性経験無しとか相当なレアもんよ!?」


「ちょ、声でかいって…!そもそも俺、男!そういう話は女子同士でして…!俺だって免疫無いから…!」


 言い合う内にヒートアップして段々と声量の上がる珠希に、外に聞こえるとスイバは慌てて口元に指を立てる。

 そんな弟子に珠希は、しまった!と口を押さえて沈黙。

 恐る恐る窓から外を確認してみれば、随行する騎士達が居た堪れない表情であからさまに視線をそらした。


「…全員、現時点を持って箝口令を敷く。適宜、必要ならば忘却魔法を掛けておくように」


 嫌な静寂の中、グラジオがピシリと部下達へと命令。

 騎士達は口を噤んで了解を意味する敬礼を執り行った。

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