告白
宵闇を蹴散らすように燦然と輝く大広間では、尚も紳士淑女が音楽に合わせて踊り、語らい、甘美な一杯を傾ける。
続く華やかな宴の影、酔い覚ましとの名目で薄闇の庭園にある大温室へと席を外した珠希とグラジオは気不味さの中にあった。
大きな硝子の壁に囲われた鉄骨造の建物の中には、珍しい南国の花が咲き、見たこともないこちらの世界特有の草木が所狭しと辺りを彩る。
本当ならハイテンションで見学したい所だが、今はそんな空気ではなかった。
「………、…ごめんなさい、先程は驚かれたでしょう?」
滾々と水を吐き出す双頭竜の彫刻の前、何とか言葉を絞り出すも目は合わせられなかった。
彼が魔王の魂の器であること―――、それを公衆に知られれば、これまで彼が死に物狂いで築き上げた全てが水の泡になる。
我ながら非常に上手かった先程の機転とガザーニア帝の豪胆さで今は有耶無耶に出来たが、無差別にばら撒かれた疑念の種を潰すことは最早、困難だ。
今夜の事はこの先必ず彼の人生に絡み付き、厄介な障壁となるだろう。
「…ええ、色々と。ですが、助かりました」
彼らしい返しだ。
本当は聞きたいことが山程あるだろうに―――。
勇者の一騎から知らされて以来、誰にも言えなかった、この世界の設定は当事者の彼には極めて残酷だ。
一つでも選択肢を間違えれば、彼を待ち受けているのは壮絶な死―――。ゲームの世界のままだったなら世界を救う為の尊き犠牲と割り切れただろうし、いざとなればボタン一つで何度でもやり直しも利いた。
けれど、ここは紛れもない現実。やり直しの利かない一本道だ。
「藤崎女史」
改まった呼び声。
とても表情は繕えなかった。
振り向いて、彼の顔に浮かぶ不安の色に腹を括った。
「貴女は何処まで知っているのですか?」
拳を握る彼の眼差しは疑念に満ちていた。
正直、辛かった。
こんな形で、ネタバラシ―――、彼に課せられた運命を話す羽目になって申し訳なかった。
「…私が一騎君から聞いたのは、グラジオ様がこの世界最強の騎士である一方、魔王の器にもなり得る存在だと…、その上で、私はグラジオ様が魔王に体を乗っ取られ掛けた時、その魂を繋ぎ止める存在だと…。だから、彼からは何でも良いから、グラジオ様の特別になれと…」
辿々しくそこまで言葉を絞り出したけれど、それ以上は口を噤んだ。
それ以上は言いたくなかった。
聖女と言う肩書きで――、色仕掛けで彼を懐柔しようとしていたなんて―――…。
「………、…貴女はそれを了承してっ…」
考え倦ね、グラジオは重い口を開く。
それを聞いた瞬間、堪らず顔を歪めた珠希は素を丸出しで反論した。
「する訳が無いでしょっ!!?そもそも私は只の造園屋なんですっ!」
思いの外、大きくなったその声に彼は面を食らった。
目を丸くするグラジオを前に、珠希はやっちまったと俄に頬を赤らめ、やり場の無い苛立ちを抑えるように前髪を掻き上げた。
「見ての通り、私は聖女なんて柄じゃ無いんですよ…!そりゃまあ、木とか花とか自然に関しては人より多少は詳しいですけど、女としてはその辺に転がってる小石と一緒なんです…!」
「小石…」
「そう、小石…!洗って磨けば多少は小綺麗になりますよっ?けど、結局宝石にはならんのですよ…!それこそ小石は小石でも那智黒とか御影なら庭を彩るし、小石でもコンクリにとっては欠かせない骨材ですよっ?けども、数なきゃ何にもならんのですよ!石っころ一つじゃその辺の石!魅力が無いんすわ!」
始めの内は淡々と告げるつもりが、気付けばゼェハァと息を乱していた。
途端に彼女は目に涙を滲ませ、その場にしゃがみ込むや膝を抱えて蹲った。
「あー、もう…、言ってて悲しくなってきたっ…。聖女として呼び出すんなら私じゃなくて正統美人なハルちゃんとか、ゆるフワ系のユメちゃんとか居たじゃん…。私、造園以外に何の取り柄もないのにっ…、何で私なのよぉ…」
抱えた膝の内側、弱々しく悪戯な神に文句を垂れた。
聖女と言うなら自分の周りにいくらでも相応しい人間はいた。何故に選りによって自分なのか。
暫しの沈黙の後、ムクリと顔を上げた珠希は、化粧が剥がれないように気を配りつつ目元の涙を拭い、深呼吸で気持ちを整えた。
「ごめんなさい…、みっともないでしょ?結局、強がってるだけなんですよ、私って…。仕事柄、特にですけど女ってだけで舐められる事あるし体力的にもしんどいから、どうしても遅れを取っちゃって…。先輩とか上司にしがみついていくに自分を強くしなきゃいけなくて、そしたら気ぃばっか強くなってっ…。…こんなガサツな女、一体誰が惚れるかって…っ…」
涙に引き摺られて垂れてくる鼻水を啜りつつ、見苦しいとは分かりつつも御託を並べる。
嗚呼、終わった。
完全に幻滅された。
ごめん、勇者。
さらば初恋。
これから別の方法でのトゥルーエンドに持ち込む方法を考えなければ―――。
そもそもこの先、先ずとしてロマーノでの仕事がある。
最悪だ。最悪すぎる。
これからこの気持ちに、どうけじめを付ければ良いのか。
一先ずしゃがんでいても仕方ないと腰を上げ、ドレスを整えるついでに自分を落ち着けようと深呼吸。ぐちゃぐちゃの感情に苛立ち、恥じらいに火照る首筋を叩いて悶々と考えを巡らせる。
刹那、月明かりを遮って迫った影に目を向けた。
何も言わず、見下ろす榛色の視線。
責められている気がして思わず目を背けた。
「……十分に魅力的ですよ」
それは笑いかける様な穏やかな声だった。
聞き返す代わりに見上げた黒の瞳に映ったのは、何処か真剣な眼差し。
戸惑う珠希の前で静かに跪いた騎士は、縋るように彼女の手を取る。そして、秘めた想いを暴くように纏ったレースの絹手袋をするりと引き抜き、その指先へと口づけを落とした。
その一連の所作が示す意味を珠希は知っていた。知らない筈がなかった。
初めて出会った日の晩にも、彼はこうして指先へと口づけをした。
あの時は漠然と無知を揶揄われた。
でも、今は―――…。
「これが私の答えです」
照れ臭そうに告げながら、こちらの返事を乞うように上目遣いの彼は指先へと再び口づける。
あまりにも唐突で突飛な彼の意思表示に、混乱のあまり唇が震えて言葉が出なかった。
代わりに見る見る頬が赤くなった。
全身から噴き出す変な汗。体の芯から火照っているのが分かる。
決して離さぬ大きな手は、彼に芽生えた独占欲の表れだった。
「…返事は急ぎません。ですが、魔王にはなりたくないので…、出来れば色好い返事をお待ちしています」
意地悪な笑みを浮かべ、彼は握り締めた手袋を優しい手付きで腕に通していく。
微かに皺になった部分に残る温もりは、まるで彼に触れられているようで―――、最早、珠希に残された答えの選択肢は一つしかなかった。




