波乱の宴
促されるままに衣装部屋へと通された珠希は、理由を聞く間も無く身包みを剥がされた。
何がどうしたと混乱する中、あれよあれよと着せられたのは、これまた高そうな深緑のイブニングドレス。更に鮮やかな手際で自分でやった引っ詰め団子髪を解きほぐされて、香油を塗り込められ―――。
そうして姿見鏡の前、目を疑うような洗練された淑女が現れた。
「さ、お早く…」
久々の高いヒールに戸惑いながら随分遅れて大広間へ。
高らかに鳴り響くトランペットは、否応無しに視線を集めた。
せめてもの繕いに淡桃の唇で弧を描き、背筋を伸ばす。持たされた扇子は上品に両手を添え、お腹の辺りで固定。
澄まし顔で深くお辞儀をして、喝采の中、緋色の絨毯を静々と玉座へと進んでいく。
先んじて皇帝の隣で待っていたグラジオの下へと本当は駆け寄りかった。
こんな注目は聞いてないとガザーニア帝には怒りたかった。
そもそも晩餐会だと聞いていたのに、大広間の中央にはテーブルは無く、セッティングが完全に舞踏会である。
騙された。
こんなの聞いてない。
こんな事なら、さっきの食前酒で出された軽食を頬張っておくべきだった。しかも社交ダンスなんて中学生の時にちょっと齧ったくらいだ。踊れる訳がない。
「…あの方がヴォタニカリアの…?」
「ええ、何でも神聖力ではなく剪定をして、聖樹を癒したとか…。随分博識らしい」
「黒い髪に黒い瞳…、極東の皇国の方のようね…」
「おや、成人か…?過去の聖女は皆、若かったが…」
「あの様子だと、もう三十近いかもな…」
「ちょっ…!聞こえるぞ…!」
「グラジオ閣下とどっこいだな…。うちの息子を紹介しようかと思ったが…」
「あらやだ、あちらは聖女様よ?婚姻予定は無いんじゃなくて?」
全く口さがないものだ。観衆から様々な思いが聞こえる。
複雑な心境の中、何とか玉座へと辿り着き、何やら満足そうなガザーニア帝に一礼。
手の動きでグラジオの隣に設けられた席に腰掛け、微かに溜息を零した。
間もなく、皇帝の開始の挨拶が執り行われ、配られたシャンパングラスを皆で掲げた。
鳴り合うグラスと拍手を合図に弦楽器が奏でられ、ドレスの花が開き出す。
取り敢えず、余興なりのダンスには駆り出されずに済み、珠希は安堵のあまりホッと息を吐いた。
「…藤崎女史、大丈夫ですか?」
そっと距離を詰めたグラジオが囁くように耳元で訊ねる。
掛かった吐息に珠希は飛び上がりそうになる肩に力を込めて平静を装った。
「ええ、何とか…」
おしとやかに微笑み、吹っ飛びかけた聖女の仮面を必死に被った。
内心はバクバク。けれど、そんな心情を悟られては心配を掛ける。そもそも取り乱しかけた要因が、彼自身にあるなどとは断じて気付かれてはならない。知られたら最後、これからどう接して良いか分からなくなる。きっと彼も困惑する。
「いやはや…、すまんな、本当は美味い鹿肉を存分に食わせてやりたかったのだが、お主達が村で足止めを食らっておる間に群れが逃げてしまったらしくてなぁ…。まあ、オルクトーフェの地力が回復すれば、また御用牧場で牛なり羊なり始められるだろう」
大きな体をこちらに傾け、ガザーニア帝は眉を下げる。
詰まる所、晩餐会にするには食材の確保が出来なかったらしい。
オルクトーフェへの魔王襲撃以来、キトリア帝都では御用牧場や備蓄庫で確保していた食糧を庶民への配給に優先的に充て、貴族向けには狩猟遊戯を兼ねたジビエ―――鹿や猪の肉を食卓に並べているそうだ。
お陰で、瘴気から逃げ出して人里へと降りてきてしまった害獣の問題や住む場所を失った避難民を飢えさせずに済んでいるらしい。
「いいえ、少しばかり驚きはしましたが陛下の民を思う御心は理解しております。この度はオルクトーフェの復興に助力でき、とても光栄です」
我ながら、さらっと言えた。
噛まずに綺麗に言えた自分を褒めたい。そして、ヴォタニカリアにいる間、染み付いたガサツな所作と口調を矯正するに協力してくれた侍女のアリスや淑女教本を貸してくれたマーガレット女王達に感謝である。
「おやおや、陛下は相変わらず麗しい御婦人に目が無いようで…」
そんな慇懃な声に、はたと目を向ける。
七三分けの黒髪にモノクルを掛け、でっぷり太ったちょび髭紳士がいた。言い方は悪いが、これぞ悪徳貴族と言わんばかりの見た目である。
「クレマティス子爵か…、お主も懲りん奴だなぁ…」
「何をおっしゃいますか!陛下からのキツ〜いお灸に改心して、今はちゃ〜んとした人材派遣業を営んでおりますとも…!」
子爵は大袈裟な身振りで弁明するが、内容からして九分九厘、奴隷商であった事を推測する。
この世界にも奴隷制度が存在した時代がある。その犠牲者の殆どは貧困地域の獣人や人魚と言った魔族が占めていた。しかし、魔王クローヴァルトの存在が世界に知られるようになるに連れ、奴隷にされた魔族達は決死の覚悟で不帰の大地へと逃亡。逃げ果せた者たちは恨みを晴らすかの如く次々に魔王軍となって牙を剥き、世界を震撼させた。
この事態を重く見た西帝国、東帝国、北帝国の三大国は十年に渡る協議の末、奴隷制度の暫時撤廃を決断。加えて、当時新たに見つかった新大陸に、行き場を失った解放された奴隷身分の人々を集め、各国の知識層と共に開拓事業を依頼。それが現在の極西の国ユザ共和国の始まりである。
しかしながら、奴隷売買により巨万の富を得ていた者達の抵抗は激しく、奴隷制度撤廃の宣言がなされて半世紀経った今も尚、闇取引が横行しているとの噂である。
「…胡麻を擂った所で、定期監査は続けさせてもらうぞ?一度失った信用は取り戻せんからな?」
「勿論でございます!是非是非、ご確認を!」
肘置きで頬杖を突きながら、ガザーニア帝は呆れ顔で釘を刺すも、それでも子爵はめげず。皇帝はその後もいくつもの小言をぶつけたが、その舌の油が切れることはなく、のらりくらりであった。
「…して、態々挨拶に出向いた訳を聞こうか?」
根負けしたように皇帝は姿勢を直し、何用だと問う。
その言葉を待っていたように、子爵はニヤッと嫌らしい笑みを浮かべた。
「実を申しますと、私め、良からぬ噂を小耳に挟みまして…」
「噂とな?」
気怠そうに皇帝は聞き返す。
瞬間、子爵の視線がグラジオへと向けられた。
「はい、陛下…!何を隠そう、そちらのヴォタニカリア近衛魔導騎士団長グラジオ閣下に関しまして…!何と閣下は魔王の魂の器であり、いずれ新たな魔王となる人物であると…!」
とんだ爆弾発言だった。
敢えて周囲に聞こえるよう声のボリュームも上げてきた。
当然のように周囲がざわめく。
間もなくガザーニア帝はワナワナと拳を震わせ、玉座より飛び上がらんばかりに怒号を飛ばした。
「貴様!!何を言うとるか解っておるのかっ!?」
獅子の咆哮の如く、その声が轟く。
皇帝の怒号に大広間は途端に静まり返り、俄に何事かとざわめきが波紋のように広がる。
―――あ、これはヤバい。
空気感に背筋が音を立てて凍てつく。
グラジオが魔王の器であると言うこの世界の設定は、聖剣の勇者である一騎と珠希、そしてあの時同席したアリスしか知らない筈―――、否、きっと一騎がロマーノにいる間に何処かで漏らしてしまったのだろう。
名指しされたグラジオでさえ、動揺を隠せていない。彼のことだ。思い当たる節がなければ毅然としている筈。狼狽えているのはきっと心の何処かでその可能性を感じていたのだろう。
このままでは不味い。
非常に不味い。
鬼の首を取ったかのようにニヤついている子爵を黙らせなければ。
策を講じて行動まで、僅か二秒。正確には、コンマ一秒で体は動いていた。
「それを聞いたのは、ロマーノの誰かさんかしら?」
皇帝と子爵が睨み合う中、こちらに注目を逸らすべく扇子をバサッと音を立てて広げ、珠希はグラジオを庇うように起立。
怒りを湛える冷ややかな視線で子爵を睨み、悪役令嬢さながらに腕を組んだ。
口調を繕っている余裕はなかった。
寧ろ、それが相手を威圧するには丁度良かった。
カツンカツンとヒールを鳴らし―――、厳密には履き慣れなくて鳴ってしまうヒールで子爵へと歩み寄りながら、珠希は不機嫌全開で畳み掛けた。
「魔王の魂の器…、確かにそれは聖剣の勇者である一騎殿が授けられたと言う天啓の内容です。そんなことなら私も存じ上げております。勇者殿と私は同じ世界より、この世界へと遣わされた者…、その程度の…そんな事も知らないとでも?」
こういう時は、なまじ誤魔化すのは悪手。だから開き直る。
あちらの世界で散々、悪役令嬢ものの漫画は見てきた。真の悪は堂々とした方が映える。
「私は聖剣の勇者とは別の使命を受け、この世界へと召喚されました。一つは、かつての世界で得た知識と技術を駆使して聖樹を癒し、各国の精霊を救済すること。そして…」
アドリブの台詞を唱えながら、子爵を脅すように背後に周ってぐるりと一周。そうして、呆気に取られるグラジオの隣へと寄り添った。
「もう一つは、聖女として聖剣の勇者と共に魔王を打ち倒す魔導騎士グラジオ様をお支えし、魔王が付け入る隙を与えぬようその心の拠り所となること…」
戸惑う榛色の瞳を見上げ、さり気なくその手を握り締める。
―――大丈夫。ここは任せて。
緊張で手が震えていて情けなかったが、この状況で一番苦しいのは彼だ。
再びキッと子爵を睨んだ珠希は、扇子をパチン!と閉じる。そして、小悪魔的な微笑みを浮かべて小首を傾げた。
「クレマティス子爵と言ったかしら?何が目的かは知りませんが、各国の悲願である魔王討伐の切り札たるグラジオ様を貶める言動は慎んで頂けるかしら?それとも…、貴方自身がグラジオ様を欲する魔王の手先なのかしら?」
「なっ!?何だと!?」
こちらの問いに、反撃など思っても見なかったのか子爵は声を荒げて赤面。
「あら、違うの?だって、こんな公衆の面前で国賓を貶めるなんて…。彼を困らせて孤立させるつもりだったんでしょうけど、やり方がお粗末と言うか…。そもそも、オルクトーフェやユグドラシル遠征の件でグラジオ様はヴォタニカリアのみならずキトリア諸国でも英雄ですよ?彼を困らせて得するのは魔王くらいでは?」
今度はキョトンと純粋な顔をしておきながら大火力で追撃。
流石に舌の油が切れたのか、子爵はぐうの音も出ずに黙り込んだ。
これぞ形勢逆転。集中する観衆の鋭い視線に耐え兼ねて、子爵は聞き取れぬ文句を垂れながら踵を返して逃げ果せた。
「…ったく、クソったれめ。喧嘩売る相手が間違ってるっての…。グラジオ様、大丈夫ですか?碌でもないのに絡まれましたね」
若干、本性が顔を出したが、すぐに仕舞い込み、営業スマイルでグラジオを気遣う。
直後、背後から噴き出す声が聞こえた。
見れば、玉座に座り込んでガザーニア帝が腹を抱えて溢れ出す笑い声を押し殺していた。
「これは…!とんでもないお嬢さんだ…!あのクレマティスを言い負かすとは…!」
耐え切れずゲラゲラと笑い出す皇帝に、珠希もグラジオも観衆さえも呆気に取られる。
次第にその笑い声につられて、珠希やグラジオも笑い出し、安心したように観衆も失笑。
張り詰めた空気は何処へやら。
仕切り直しだと音頭を取ったガザーニア帝の一声に音楽隊は再び弦楽器を奏で、宴は何事も無かったかのように再開された。




