ガザーニア帝との対談
謁見を終えて間もなく、宮殿の外交に携わる事務室に通された珠希は、そこでキトリア帝国の国璽が刻まれた渡航許可証他いくつかの書類を受け取った。
どうやら皇帝は既に書類自体は作っていたらしく、そこからの手続きは実に迅速だった。
「まさか、双頭竜までご用意頂いていたとは…」
皇帝主催の歓迎晩餐会までの待機時間、談話室の上質なソファに腰掛け、各種書類を確認するグラジオは舌を巻いていた。
北帝国ロマーノまでの移動手段には引き続き、ペガサス馬車を利用するつもりでいたが、ガザーニア帝の心遣いにより皇室所有の双頭竜を貸してもらえることとなった。本来はキトリアの皇族しか所有も使用も許されていない言わば御用車両みたいなものだ。
加えて双頭竜に曳かせる馬車も一級品である。例えるなら戦車にファーストクラスの座席をくっつけたようなものだ。
「なぁに、気負うな。お主等ヴォタニカリアはキトリアの属国。ロマーノの高飛車連中を威圧するにはこのくらいは当然だ」
そんな声に顔を上げ、グラジオは急いで起立。横に並んで書類に目を通していた珠希も慌てて腰を上げた。
近侍と侍女を引き連れて、ワインボトル片手にガザーニア帝のご登場である。
「聖女殿も飲める口だと聞いてな。歓迎会の前に一杯どうかね?」
何とも気さくな誘いであるが内心はかなり焦った。
勿論だと答えるグラジオに賛同する形で頷き、にっこり微笑んで緊張に引き攣る頬をひた隠した。
(スイバ達を客室に待機させておいて正解だった…!)
そんな心の声を喉元に押し込めつつ、取り敢えず自らの判断を褒め称える。
只今、スイバと随行騎士達は一足早い夕飯がてら客室にて渡航許可証への署名を急いでいる所。そうと言うのも、この後の晩餐会は珠希とグラジオのみの参加としたからだ。
明日にはロマーノへの長距離移動だし、到着後にはそのまま大仕事になるかも知れない。体力勝負の手前、未成年のスイバや他の騎士達まで精神的に疲れるであろう公式な場に連れ回すのは忍びなかった。
「まあ、楽にな。久方ぶりにグラジオが来ると聞いて今宵は楽しみにしていたのだ。嗚呼、そうだ。インチャナ皇帝から貰った珍しい果物があっただろう?折角だから持ってきてくれ」
対面の席へと腰掛けながら、ガザーニア帝は侍女に指示を出し、慣れた手付きでワインボトルの栓を引き抜く。
全く、調子が狂う。これではまるで親戚のおっちゃんだ。
間のテーブルには酒のアテにしてはボリュームたっぷりの食事まで並べられた。晩餐会の食前酒にしては豪華が過ぎる。
何だ、キトリア帝都の人々は皆が皆、大食いなのか?
「しかし、聖女殿は実に度胸があるな。朕に気圧されなかったのは、オルタンシアの小娘以来か…」
近侍が並べたグラスへと遠慮なく黄金のワインを注ぎつつ、皇帝は感心の様子。
恐縮ながらに差し出されたグラスを受け取り、横目でグラジオの所作を確認しながら、口に運んだ。
―――おお、これは美味しい。
食前酒にぴったりな、すっきりとした味わい。とても飲みやすい。
思わず笑みを零すと、皇帝は満足そうにニッと白い歯を覗かせた。
「どうだ?美味いだろう?」
「はい、とても美味しいです」
素直な感想に皇帝は益々上機嫌。
隣のグラジオも、静かに笑みを浮かべてグラスを傾けた。
「…それにしても、聖女殿はよく精霊ロザリアンヌを助けに行こうなど思い切った決断をしたものだ。今のロマーノは情勢が極めて厳しい。火中の栗を拾うようなものだぞ?」
いつの間にか空になった互いのグラスに二杯目を注ぎ入れながら、ガザーニア帝は直球で訊ねた。
確かに、ご尤もな意見だ。現にヴォタニカリアを発つにマーガレット女王からも最初は反対された。
珠希はグラスを手に取り、揺れるワインに映る己の顔に視線を落とした。
「確かに無謀な挑戦だとは私自信、思っております…。しかし、オルタンシア皇帝から直々に助力を求められた手前、力不足を恐れて手を拱き、何もせずに後悔するくらいならば…、何かしら尽力して後悔する方が互いに蟠りは少なく済みます。ロマーノの人々も出来る限りの事をしたとなれば、覚悟を決め、それぞれ準備が出来るかと…。過去の事例を見ても聖樹の寿命に因る精霊消滅の場合、大地の荒廃が始まるまでは多少なりとも猶予がありますので…」
静かに視線を上げ、珠希は言葉は選びながらも飾る事なく意見を述べる。そして緊張を呑み込むように二杯目を口に流し込み、ゴクリと嚥下。
酒の力か、饒舌に語り出す様を眺めながら、皇帝は物思いにグラスを傾けた。
「成程…、覚悟させる為…か…」
納得の様子で呟き、ガザーニア帝はひと想いに飲み干したグラスをテーブルに滑らせる。
ある日突然、異世界から呼出された彼女だ。その言葉の意味は、実に重い。
生まれ育った故郷も、愛した家族も、積み上げてきた信頼も―――、それら全てを唐突かつ理不尽に奪われた彼女だからこそ、辿り着ける回答でもあった。
「…失礼致します。陛下、準備が整いました」
頃合いを見ていた近侍が、そっと耳打ち。
皇帝はおお!そうか!と膝を叩いてのそりと立ち上がり、それに合わせて珠希とグラジオも起立。
化粧直しの有無を問われ、念のため十五分ほど時間を頂いた。酔いはしていないものの、季節柄トイレが近いし中座は出来ないかも知れない。
皇帝の侍女の案内の下、急ぎ足で用を足し、万全を期して大広間へと向かおうとした折だった。
「失礼致します」
手洗いを終えて、廊下に出るや待ち構えていた五人の女官。
何事かと身構えた。
「皇帝陛下より聖女様のお召替えを申し付かりました。どうぞ、こちらへ」
にっこりと微笑む女官達。有無を言わさぬ案内に、珠希は何やら嫌な予感がした。




