キトリア皇帝との謁見
戻って来た村では案の定、土地の魔力の回復を感じ取った人々の歓喜の声に包まれていた。心なしか瘴気も薄まり、人々は珠希に駆け寄って涙ながらに感謝を伝えた。
「すっかりお世話になりました」
翌朝、皇帝との謁見に向けた正装を纏い、出立の支度を済ませた珠希は、別れを惜しむ村の人々の前にいた。
村人からはお礼をしたいと懇願されたが、既に同行の騎士達やスイバと共に二晩も世話になった。加えて土地の魔力が戻ったとは言え、村の経済状況は依然厳しい。とてもではないが物や金銭は受け取れなかった。
「どうか皆さんで森を見守り続けてください。本来ならこんな早さで自然の森は取り戻せません。いつの日か歪みが出る時が訪れるかもしれません」
別れ際、珠希は警告のように告げ、村人達は真摯にその言葉を受け止めた。
いくらファンタジーの世界で魔法という奇跡があるにしても、人の行いなど大自然を前にしたら些細なもの。持ち得る知識が何処まで通用するかは分からない。以前の世界で得た知識も、先人達が長い時間を掛けて調べ、努力した結果だ。
彼等には土地を守り、必要に応じて対処し続けてもらうしかない。
「お元気でー!」
「聖女様ー!さよならー!」
熱烈な見送りの声を後に、珠希達は次の目的地へ。
崖崩れで足止めを食らっていたキトリア皇都警備隊に続く形でペガサス馬車を走らせること半日。見えてきた都はそれはそれは華やかであった。
何処もかしこも人で溢れ、建物が所狭しと立ち並ぶ。けれども同じ色味と類似した意匠の屋根と壁が一体感を醸し出し、整然とした統一感がある。実に計算し尽くされた街並みだった。
聞く所によれば、ここは元々要塞で中央のお城―――、皇宮殿を中心に発展。放射状に街が広がったらしい。
「成程、環状の水路はその名残って訳ね…」
皇都に入って3つ目となる橋を渡りつつ、珠希は街の作りを観察。
そうこうしている内に皇宮殿の正門へと辿り着いた。
ヴォタニカリアから持ち寄ったマーガレット女王直筆の手紙と身分証明書類を提出し、入場の手続き。一旦ペガサス馬車と荷物は警備兵に預け、いざ宮殿へと足を踏み入れた。
*****
何処までも続く静謐とした回廊を静々と進んでいく。
隠し切れぬ緊張を噛み締めながら、聖女らしい微笑みを保つのは中々に疲れるものだ。
幸いなのは謁見の為に持ち寄った一張羅と道中で風の精霊王シルフェイドから授けられたティアラが絶妙にマッチしていること。
魔法至上主義のこの世界において、精霊王からの贈り物はこの上ない名誉の勲章であり、それを身に着けることは相当なステータスであるらしい。
しかしながら、珠希にとって一番の勲章は別にある。
それは学生時代に二回、就職してから更に一回。己の知識と技能の証明であり、死に物狂いで挑み、そして勝ち取った国家資格。造園に従事する者として、己の力量に誇りと自信を持ち続けられるよう常に財布に忍ばせていた。
元の世界にて仕事をさせて貰うに中型運転免許や造園施工管理技士、各種安全講習なども多岐に渡って獲得してきたが、試験の難易度、過酷さは段違い。
無念を言えばこちらの世界に突然召喚された為、今ではもうそれ一つしか証明するものがないことだ。
背筋を伸ばす珠希の胸元、金に輝く【技】の文字を刻むバッジ―――、それこそが一級造園技能士の証である。
「ヴォタニカリア王国より、聖女フジサキ・タマキ女史、並びに近衛魔導騎士団長グラジオ・ヴォタニカリア閣下のお出ましにございます!」
玉座の間への閉ざされた大扉の前、高らかに声が響く。
同時に大扉が開かれ、緋色の絨毯が眼前に真っ直ぐと道筋を示す。
その両脇にはキトリア帝国の重鎮が、ヴォタニカリアの新たな聖女を見定めんとばかりに並び立つ。
一層の緊張に脈が早まる中、グラジオのエスコートで優雅に玉座におわすキトリア皇帝の前へ。
歳は凡そ六十。ヴォタニカリアのマーガレット女王より少し上くらいだろうか。草原に立つ獅子を彷彿とさせる金髪に金の瞳は全てを見通すように精悍―――、素朴に綺麗だとさえ感じた。
「ヴォタニカリアの聖女よ、遠路遥々よくぞ参った。朕がこのキトリア帝国皇帝ガザーニアだ。グラジオも久しぶりだな…」
朗々とガザーニア帝は労いの言葉と共に名乗り、歓迎を示す笑みを浮かべる。
「ご無沙汰しております、陛下」
先ずグラジオが頭を下げたが、その口振りと浮かべた表情は何処か親しげ。
皇帝の眼差しもまるで遠方から戻ってきた息子か弟を迎えるように温かかった。
「皇帝陛下にご挨拶申し上げます。お初にお目に掛かります。藤崎珠希と申します」
続いて珠希も事前に何度も練習していたカーテシーを披露し、脳味噌に書き込んでいた挨拶文を述べる。
苦労の甲斐あって身に付いた優美な所作に、皇帝は満足そうに顎に蓄えた髭を撫でた。
「さて…、オルクトーフェでの一件は耳にしている。新たな精霊の誕生に尽力してくれたそうだな?加えて、魔王が送り込んだ不帰の大地の蛮族を見事に生け捕りにしたとも聞いた。実に大義であった」
「恐れ入ります、陛下」
「お褒めに預かり、恐縮の限りにございます」
こちらも練習通り。
よし、後は北帝国ロマーノへの出立に向けた国璽入りの書類を受け取るのみ―――。
そう安堵しかけた矢先だった。
「しかしながら…、ヴォタニカリアの聖女よ、貴殿は朕が村に送った貴重な苗木を無惨に伐り倒したとも聞いた。あの苗木は東帝国や極西のユザ共和国との友好の証でもあったのだが…?」
声のトーンを落とし、冷ややかな眼差しで真っ直ぐに珠希を捉えながら皇帝は訊ねる。
途端に心臓が跳ねた。
これは魔法か、はたまた唯の威圧か。
急に息苦しくなりながら、珠希は臍の前に揃えていた手を握り締めた。
「陛下、僭越ながら弁明の余地を頂けないでしょうか?」
平静を装いながらも毅然と訊ねる。
本当は怖くて膝が震えていた。
―――これでしくじったら、不敬罪でロマーノどころかヴォタニカリアにも帰れなくなるかも知れない。
そう直感した。
密かな深呼吸で覚悟を決める珠希に対し、皇帝は不機嫌そうに、やれるもんならやってみろとばかりに頷いて許可を示した。
「先ず、陛下より賜った苗木の内、切らざるを得なかった物も確かにございます。しかし、切り取った木々は薪や農業資材に活用しております。また残りの苗木も廃棄ではなく村の周囲や民家の木陰として移植致しました。決してぞんざいに扱った訳ではございません。水の精霊王アンディレイネ様の如雨露の力により、苗木は新たな場所で根を張り直し、確かに根付いております。次の春には見事な若葉や花を咲かせる事でしょう…」
「ふむ…、成程。だが、薪や農業資材に使えるのなら態々伐り倒す必要はなかったのではないか?元あったオルクやトーフェの木と共に育てれば良かったではないか?」
不機嫌そうに腕を組み、皇帝は無機質に小首を傾げる。
綺麗だと思った金の瞳が今は酷く冷たい。
「恐れながら陛下…、ここからは例えの話を致します」
凍てつくような空気と視線。
張り付くような緊張感に声が揺らがぬよう、珠希は腹の底に力を込めた。
「現在オルクトーフェ地域の旧市街地は高濃度の瘴気により、瘴気に耐性を持つ獣人族ですら過酷な地となっております。そこで、もし…、もしもオルクトーフェ地域の復興に必要な人員として、不帰の大地の魔族を住まわせたとしたら…、どのような事が起こり得ると、お考えになられますか?」
その問いに冷気を纏ってさえいたガザーニア皇帝の金の瞳が、僅かに怪訝に揺れた。
「もしも、この世界の誰もが野蛮と恐れる彼等を…、魔王軍の捕虜をオルクトーフェの村に集め、村の復興に必要だからと共生をお命じになったとして…、果たして村の方々は彼等と仲良く幸せに暮らせるでしょうか?」
毅然と続く問いに、皇帝は物思いに口元の短い髭を撫でる。
沈黙する皇帝に対し、両脇の聴衆は身の毛もよだつとばかりにざわめいた。
―――嗚呼、我ながら嫌な例えだ。
けれど、外来種問題や生物多様性を知らないこの世界の人々に、上手く語る方法が他に見つからない。
自然は弱肉強食。一斉に強い外来の種が入り込んだら、在来種は戦う術も無くあっという間に淘汰されてしまう。そうなってしまったら、もう取り返しがつかない。
以前の世界のように生態系がグチャグチャに混ざり合ってからでは遅過ぎる。
ハブとマングースで有名な話だ。良かれと思って安易に取り入れた外来種が土地固有の生態系を破壊する。在来固有種を遺すため途方も無い時間と労力を掛けて、その外来種を根絶やしにするしかなくなる。
「これまで陛下がなされていた事は、それと同じなのです。元の自然環境を取り戻したいのならば、その土地に元からあった草木を植えなければ意味がありません。確かに外来の種は物珍しく有益な部分もあるかと存じます。ですが、その生態が在来の種に如何なる影響を及ぼすのか、正確に予想することは困難です。故に陛下、どうかお覚悟をお持ちください。異なる土地より招き入れた命の責任は、招き入れた者にあると私は考えます」
淡々と言葉を出しながらも、警鐘を鳴らすように脈打つ鼓動に今にも心臓が口から飛び出そうだった。
酷く喉が渇き、口の中が粘る。油断すれば意識が遠退いてしまいそうだった。
嫌な静寂に耐え切れず、ゴクリと喉を鳴らす。
刹那、皇帝は口元を歪ませたかと思うや噴き出すように破顔大笑した。
「ハッハッハ!流石は異界の乙女だ!朕に啖呵を切るとは…!」
爽快だとばかりに皇帝は大きく膝を叩く。
今程とは違うざわめきが玉座の間に満ちる中、ガザーニア皇帝は笑い転げるあまり目に浮かんだ涙を拭って一呼吸。再びの君主の覇気を纏い直し、にっこりと満足げな笑みを浮かべた。
「実に肝の座ったお嬢さんだ…!気に入った!その度胸と覚悟…!北の小娘と渡り合うに相応しい!お主ならば、あの聖女の皮を被った物の怪も退治できるやも知れんな…!」
期待を孕んだ眼差しで皇帝はニッと微笑み、隣に控えていた近侍から豪奢な杖を受け取る。
そうして、少しばかりぎこちない足取りで玉座から起立。カツンコツンと杖を鳴らしながら歩み寄り、マジマジと珠希を凝視した。
こうして間近に見て気付いたが、ガザーニア皇帝は随分と体格が良い。背丈が百八十以上あるグラジオと比べても更に十センチはあるだろう。まるでお伽噺に出てくる巨人みたいだ。
「ふむ、意志の強そうな良い目だ…。望み通り、ロマーノへの渡航許可証を出そう。今日はここで羽を休めると良い」
髭を撫でつつガザーニア帝はそう告げ、緊張に強張る肩を解すようにポンポンと撫でる。
その手は思いの他優しく、珠希は思わず安堵の笑みを零した。




