新たな精霊
次の朝は案の定、寝坊した。
皆、魔族の奇襲があったのだから仕方ないと温かく許してくれたが、原因はそれではない。
一先ず取り置いて貰った朝餉を口に押し込み、身支度を急いで済ませる中、窓の外で荷馬車に荷物を運ぶ騎士達の姿に気を取られた。
その中に際立つ赤い髪―――、つい視線がグラジオの姿を追ってしまう。
―――嗚呼、どうしよう。
鳴り止まぬ胸の高鳴りと、俄に熱を帯びる頬に困り果てた。
昨晩見た、あのクシャッとした笑みが頭から離れない。
今日もこれから同じ馬車に乗らねばならないのに、平静を装える気がしない。
「失礼します」
ノックを携えて聞こえた声に、思わず猫の如くビャッと飛び上がった。
グラジオの声だ。
「は、はい!」
「藤崎女史、申し訳ありません。少し宜しいでしょうか?」
ドア越しに聞こえて来たのは、何やら気不味そうな声である。
急いで見られたくないものを鞄に押し込み、鏡の前、気合を入れるように後ろで結んだ髪をギュッと引き締める。
軽い深呼吸で営業スマイルを作り、満を持してドアを開いた。
「お待たせしました。どうしました?」
ドキドキをひた隠し、真剣に訊ねる。
彼は困ったように眉を下げ、一枚の手紙を手にしていた。
「すみません、少々トラブルです。出発を遅らせることになりました」
単刀直入にグラジオは告げ、文面を見せる。
それは魔導伝報と呼ばれるもので、向こうの世界で言う電報とか速達のようなものだ。
特殊な封筒に入れた手紙に特別な魔法を掛けると手紙が折り紙の鳩になり、届けたい相手へと飛んでいく。
此度の送り主はキトリア皇都警備隊と記されていた。西帝国の警察組織だ。イメージとしては日本の警視庁に近い。
「昨晩の内に不帰の大地の魔族を確保した旨は伝えていたのですが、皇宮への護送に人員を頼んだところ崖崩れで今日中には来られないようで…」
詰まるところ、この先の道が交通止らしい。
珠希達はペガサスの馬車の為、いざとなれば空を飛んで行けるが、昨晩、捕縛した魔族を村に置いたままには出来ない。現に今も例の魔族は、殺してやるだの物騒な雄叫びを上げながら、グラジオが作った氷の筐体の中、自前の鎌の腕を叩きつけたり、抜け出せる隙間を探して体を溶かしてみたりと脱走を試みている。
こちらの世界に来てから散々噂は聞いてはいたものの、不帰の大地の魔族は他の地域の魔族とは比べものにならない程に力が強く、見ての通り獰猛で気性も荒い。一般市民にとってはかなりの脅威だ。
そもそも不帰の大地は元の世界で言うアフリカ大陸に当たり、大陸全域が高濃度の瘴気に犯されている。その原因は偏に魔王クローヴァルトの存在とされている。魔王が現れる前は、サバンナやジャングルも存在していたそうだが、今や沙漠しか無く、土地の魔力もほぼ無いと言われている。
「…では、警備隊の方が到着するまで待機ですかね?」
「そういう事になります。ガザーニア陛下には既に遅れる旨は伝わったようですので心配は要りません」
その返答にホッと安堵。
以前の世界と違って、ここでは連絡手段が限られるし、メールや電話のようにすぐには繋がらない。それを見越して長めに余裕を持って日程は組んだが―――。
「…良ければ、昨日の森とグノムジカ様の様子を見に行きますか?」
不意の提案に珠希は思わず期待の眼差し。
思った通りだと言わんばかりに、グラジオは肩を竦めた。
*****
深い緑生い茂る森の中、僅かに残る朝霜を踏みながら二人並んで祠へと突き進む。
最初の内は今後の相談をしながら。そこからポツポツと他愛もない話をした。
向こうの世界の話は良いネタだった。以前の職場の笑い話には彼も破顔した。
不自然にならないよう、お喋りを途切れさせないよう―――、何処となくお互い少し気を使いながら。
そうして大地の精霊王グノムジカが閉じ籠もる祠に辿り着いた時、その異変に気が付いた。
頑なに閉じていた入口の扉が開いている―――。加えて昨日は辺りに漂っていた精霊王の香りもしなくなっていた。
「いなくなっちゃった…?」
唖然としながら、珠希は考えを巡らせた。
これはどうしたものか。
見た目は見事な森になったが、気に食わなかったのか?やはり、人の手が入った森では駄目なのか―――。
これでは村の人々に申し訳が立たない。
役に立てなかった悔しさと自らの驕りへの情けなさに涙が込み上げた時だった。
視界の端にひらりと一羽の鳥が映り込み、祠の上へと舞い降りる。
鷺のような真っ白な鳥だった。
『…ごきげんよう、異世界の乙女殿』
「うぉおぅ!ご、ごきげんよう…!」
これは吃驚。
ファンタジーの世界らしく、白鷺はしれっと話しかけて来た。
驚きながらも反射で挨拶を返したが、隣のグラジオは特に顔色を変えることもなく会釈。
どうやら、動物が話しかけてくることは特に珍しくは無いらしい―――…。
『…私は大地の精霊王の眷属。我等の王が貴女を待っています。どうぞ、こちらへ』
そう告げるや白鷺はふわりと彼等の前へと飛び降りるや長い脚をのそりのそりと進めて祠の中へ。
薄暗い祠の中は洞窟になっていて、真っ暗な通路が奥へと続いていた。
白鷺に置いて行かれぬよう湿る壁伝いに歩き出す珠希に、グラジオはそっと掌に火の玉を召喚。途端に明るくなった通路に、彼女は感謝を伝えつつ先を急いだ。
*****
大体、数分だろうか。
緩く曲がりくねった通路を暫く黙々と歩いていると、ポツリと日の光が差した空間が現れた。
逸る気持ちを堪え、白鷺の後ろに続く。
地上から見ればポッカリと底の抜けた隔絶された場所。そこには野花が咲き誇り、中央には新芽を芽吹かせる立派な大木が鎮座していた。
最初はこの世界独特の樹木かと思った。
しかし、落ちていた独特の掌状複葉を見て気付いた。
「トチノキ…?いや、マロニエの方…?」
眼前の樹の枝振りや朽ちかけた木の葉の下に隠れていた実を拾って樹種を考察。
すると、上の方から朗らかな笑い声が聞こえてきた。
視線を上げ、辺りを見回す。
直後、背後からビュウ!と風が吹き、巻き上げられた花弁が大木の前でその姿を形作った。
現れたのは仙人のような長い髭を蓄えた翁だった。
瞬間、グラジオはその場に跪き、ワンテンポ遅れて珠希もお辞儀の仕草。
翁はまたも朗らかに笑って、満足そうに髭を撫でた。
『我が名はグノムジカ。大地の原初精霊だ。乙女よ、よくぞ我が怒りの理由に気付いた』
落ち着いた低い声で精霊王は名乗り、徐に掌を天へと掲げる。
二人が見守る中、その掌に光が集まり、大きな繭のような塊が出来上がった。
『お主への旅の土産に、良いものを見せてやろう…』
尊大な口振りで告げたグノムジカは出来上がった繭を大樹へとボールのようにひょいと投げる。
投げられた繭はペタリと立派な幹へと張り付き、蛾や蝶が羽化するように中から半透明な翅を携えた精霊が生まれ出た。
精霊は背伸びをするように皺になっていた翅を伸ばし、辿々しい羽搏きで飛翔。
フワフワと蛍のように珠希の周りを飛び回り、お礼を言うように頬にキス。
宝石のような赤い目を細めて微笑むや身を隠すように聖樹の木の葉の影へと潜って行った。
そして間もなく―――、大樹を覆い尽くさんばかりに黄金の光がその枝先から溢れ出し、タンポポが綿毛を飛ばすように空へと飛散。地上へと金色の雪のように舞い落ちた光は大地に染み込み、乾いた土に雨粒が染み入るように魔力を巡らせた。
『ふむ…、これで安泰…。時期に以前のようなマナが戻るだろう…』
黄金の光が静まり行く中、満足そうに空を見上げたグノムジカは髭を撫で、徐に光の群れに目を輝かせる珠希に目を向けた。
『…気分屋シルフェイドと気難しいアンディレイネの加護を受けるとは大したものよ…』
感心したように呟き、再び掌を掲げる。
その手から繰り出された蔓は、忽ち固く締め固まり、螺旋を描く長杖となった。
『持って行け。この先、役に立つだろう』
そう言って、グノムジカは出来上がった杖をまたひょいと投げる。
珠希は思わず、うぉおぅ!と野太い声を漏らしながら蹴躓くように両手で杖をキャッチ。すると杖の先に花が咲いて、かと思えば大きな実がなり、その実が形を変えてスコップへと変貌。まるで手品だった。
見た目は木製だが指で弾いてみれば、小気味良い金属音。かなり硬そうだし、刃物のように鋭利だ。
珠希は急いでお礼を言わんとした。
しかし、その時には既に精霊王グノムジカは無数の花弁となって天へと舞い上がり、大層満足そうな高笑いを木霊のように響かせながら、自らの縄張りである東の地へと去って行った。
「…何ていうか…、嵐のような精霊王だわ…」
ポカンと呟き、珠希は呆気に取られた。
何と自由な存在だろうか。
「取り敢えず、戻りますかね…」
気を改めて振り返り、彼女は苦笑い。
グラジオも戯けたように肩を竦め、静かに微笑んで頷いた。




