オルクトーフェ
豪奢な馬車の中、グラジオと向かい合う席に座した珠希は、中々な気まずさの中にあった。
僅かに遅れての朝食を領主と歓談の中で済ませ、盛大な見送りを受けて出発した宿場町は既に遥か遠い。こちらの世界では快速列車扱いの有翼馬曳きの馬車は、浮遊魔法で悪路も何のその。あっという間にキトリア皇都を視野に収めた。
その道中は、本来快適の一言の筈であったが―――、急遽、馬車への同乗を決断したグラジオの監視は実に肩が凝った。
まあ、仕方ない。朝っぱらに叱られたばかりだ。可哀想なのは、隣に座ってこの空気の中で過ごさねばならないスイバである。
表向きは奇襲に備えてとしているが、自ら死にに行くような真似が多い珠希に、威圧と言う重めのお灸を据えるのが目的だろう。
「…荷物増やして、すみません…っ…」
手元で煌めくティアラを見つめ、空気に耐え兼ねて堪らず謝罪。
極限までにヴェールを畳んでコンパクトにはしたが、それでも薄手のドレス一着分の嵩である。加えて足元にはアンディレイネの如雨露が鎮座。神にも等しき精霊王からの贈り物に対する扱いとしては如何なものかとは思うが何分、置く場所がない。
「仕方がありません。元来、精霊王は気紛れです。受け取ったからには、精霊ロザリアンヌの回復に一役買ってもらいましょう」
口は微笑みつつも、彼からは温度の無い返し。目の奥も何やら怒っているのが窺える。
雪でも降りそうな場の空気に、それ以上の会話は続かなかった。
今後の予定としては先ず、精霊王に頼まれたオルクトーフェに赴き現地視察。その場で出来ることがあるならば取り掛かるが、無理ならばキトリア皇都でガザーニア帝との謁見の場で精霊王からの依頼内容とその解決手法を伝え、後を任せるつもりだ。
―――どうか、簡単な仕事であってくれ。
そう願わずにはいられなかった。
元の世界での仕事でも大したボリュームじゃないからと言われて、いざ行ってみたらとんでもない大仕事だったなんてことは偶にしょっちゅうだった。
*****
窓から見えた惨状はまるで、SFか戦争映画のワンシーンのようだった。
かつて栄華を誇ったであろう町並みは建物の骨組みや壁のみを遺し、冬場と言えど温帯地域で十年以上の長い月日が過ぎたと言うのに草木も僅かに生えるに留まっている。
魔王クローヴァルトの襲撃により、瘴気に侵されたオルクトーフェの街にはもう人の姿は無い―――。否、厳密には人の身では長く留まれぬ程の魔王の強烈な瘴気が大地に染み付いて不毛の大地と化してしまっていた。
「今はいなそうですね…」
そう騎士の一人が不安な声を漏らす中、珠希を乗せた馬車は先を急ぐ。
話によればこの街には今も尚、不帰の大地――魔王の縄張りから遣わされた魔族が現れ、略奪や破壊を繰り返しているという。
「…藤崎女史、お体は大丈夫ですか?」
周囲の警戒に当たるグラジオは、乗り換えた相棒ダンテの背よりこちらの体調を確認。
危険地帯とあり他の騎士達も臨戦態勢だが、その顔色は正直芳しく無い。
「ええ、私は何とも…」
そう答えつつ、珠希は膝の上でぐったりするスイバの背を擦った。
オルクトーフェの土地に入って間もなく、彼は強烈な瘴気に当てられ、体調不良を起こしてしまった。
基本的に獣人は人族に比べて瘴気に耐性を有するが、まだ子供であることに加えて、これまで強い瘴気に触れたことがなかったのも要因だ。
外で警戒に当たる騎士達の顔色を見ても、早くこの場は抜けた方が良いだろう。
「師匠…、ごめんなさい…」
「謝らなくて良いって。ごめんね、私、瘴気には鈍いみたいで…」
尚も背を擦りながら、珠希はケロッとした顔で吐き気に涙ぐむスイバを宥める。
実質、瘴気に触れるのは初めてであるが、臭いや吸った感覚としてはディーゼルエンジンの排気ガスに似ている。かつての仕事で高所作業車やパッカー車を運転してきた彼女には懐かしくさえある臭いだが、長時間吸っていては確かに気持ち悪くなるだろう。
「…もう時期、西の村が見えます。スイバ、もう少しの辛抱だ」
先を急ぎつつ、グラジオも苦しそうなスイバを励ます。
凄惨な現場から逃げるように、一行は瘴気の影響が比較的軽い農村地帯へと向かった。
*****
馬車を急かす事、三十分。辿り着いたオルクトーフェ西側農村地帯。
尚も瘴気の独特な臭いが漂いながらも息苦しさの薄い遺された村には、質素ながらも人々の営みが続けられていた。
「…ん?何だ?」
「見慣れない馬車ね…」
「おい、あの紋章ってヴォタニカリア王家のもんじゃねぇか?」
こちらの到着に気付き、人々は不思議そうに様子を窺う。
見た所、ここの人々は人族よりも獣人が多いようだ。
「お仕事中に失礼。村長はおられますか?至急のお話があるのですが…」
先頭を走っていた騎士が近場にいた村人に声を掛ける。
人々は小首を傾げながらも、村長の家へと案内してくれた。
「御免下さい!」
大きめの声で告げながら、騎士は村で一番大きな屋根の家のドアを叩く。
家から出てきたウサギと思しき獣人の男性は寝起きなのか、怪訝そうにこちらを一瞥。直後、その中にあったグラジオの姿に目を剥いた。
「グラジオ殿下!?殿下ではありませんか!」
嬉々と呼びながら男性は彼の元へと一直線。
グラジオもまた男性の顔を見て、気が付いたように笑顔を見せた。
「ケルカス殿、お久しぶりです」
「お久しゅうございます!その節はお世話になりました…!いやはや、またお会いできるとは…!」
握手と抱擁を交わしながら、ウサギ獣人の男性―――、ケルカスは笑顔ながらに感極まったように目に涙を浮かべる。
「申し訳ありません、今朝まで夜間見回りをしておりまして…!今、中を片付けますので少々お待ちを!」
そう告げるや彼は慌ただしく建物の中へと駆け戻る。
その背を見送り、グラジオが振り返れば、珠希が戸惑った様子でこちらを覗っていた。
「あの…、お知り合い…ですか?」
聞いても良いのか迷いながらも、彼女は思い切って質問。
するとグラジオは穏やかに微笑んで、コクリと頷いた。
「実を言うと、ここには来たことがあるのです。もう十年近く前になりますが…」
そう答え、彼は物思いに利き手に視線を向けるや、その手で徐に自らの頬をひと撫で。
刹那、手袋の隙間から垣間見えた手首の酷い火傷痕に珠希はハッとした。
「もしかして、魔王襲撃の時…ですか?」
息を呑む彼女に、グラジオは自嘲気味に肩を竦めた。
それは彼が二十の歳を迎えた頃―――、近衛騎士団長に座に就いて各国へと就任挨拶に出向いていた最中だった。
挨拶回りの終盤、キトリア皇帝ガザーニアへの謁見中、魔王出現の報が舞い込んだ。
キトリア諸国内でも数少ない賢者として彼はその場で皇帝より魔王討伐の命を受け、直ちにこのオルクトーフェへと急行。魔王の配下である不帰の大地の魔族に襲われていたカルカス含む人々の避難と保護任務に当たり、怒涛の快進撃で村を奪還した。
彼の出現に間もなく魔王は撤退を決断。軍の殿を努めた三貴将の一人ディジタリアと一戦を交えたものの討ち取るには至らず。グラジオにとっては少々苦い戦果となった。
「いやはや、ディジタリアの糸に絡め取られて操られた時はもう駄目だとばかり…っ…、殿下が来てくださらなければ、この命はありませんでした」
招かれた応接間にて、苦笑ながらにケルカスは当時を懐かしむ。
曰く、三貴将ディジタリアは毒蛾の魔族で、魔力を練り込んだ糸を駆使して村人や常駐の警備隊を操って仲間討ちをさせた挙句、応援に駆け付けた帝国騎士団は奴の生み出す毒毛虫の群れに手も足も出せなかったそうだ。
「殿下の火炎魔法は、もう華麗の一言で…!」
「思い出しますなぁ…!まさに救世主でした!」
「まあまあ皆さん、昔話はそのくらいに…」
興奮冷めやらぬ当時を知る村人達に、グラジオは恥じらいを伏せた苦笑いで宥める。
困惑気味の貴人に、彼等は失敬とばかりに照れ笑いやら咳払い。改めてケルカスの口から今回の来訪の理由を訊ねられた。
「なんと、水と風の精霊王様が直々に…。確かにグノムジカ様はこの先の森にある祠に籠もられたまま何年も過ごされています。実を言えば、グノムジカ様の力を持ってしても新たな精霊の苗床となる聖樹が育たないのです。我々も瘴気の浄化の為、皇帝陛下から賜った聖水を撒いたり植樹をしたり尽力はしているのですが…」
ケルカスはそう答え、暗い顔を見せる。
静かに膝の上で握り締める拳の力は、弱々しくも消えぬ怒りを滾らせていた。
「あの…、恐れ入りますが、その森を見せて頂く事って出来ますでしょうか?」
おずおずと恐縮ながらに珠希は質問。
彼等の苦労を垣間見て、何か出来ないかと居ても立ってもいられなかった。
「ええ、勿論です。少し歩きますが…」
快く答えたケルカスは、すっくと腰を上げ、壁に掛かっていた魔法のステッキを手に取るや玄関へ。
一行は早速、村から程近い森の中へと向かった。




