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原初精霊


 まだ日も登り切らぬ早朝、昨日までの不調など嘘のように溌剌とした珠希の姿があった。


「師匠…、流石に早くない?」


 元気にテクテクと領主の城の中を歩く彼女の後ろ、眠い目を擦りながらスイバは寝癖の直らぬ頭を帽子で隠しながら急ぎ足で追い駆ける。

 キトリア皇都への出発を控え、一身上の我儘で迷惑は掛けられぬと超が付く早起きをした彼女は、超特急で身支度を済ませて単独で昨晩領主から紹介された噴水と聖樹を観に向かおうとしていた。

 幸い、隣の部屋に泊まっていて物音に気付いたスイバが「一人で行ったら、グラジオ団長に怒られるから!」と強めに止めて、擦った揉んだの末に護衛として同行に漕ぎ着けた。

 全く、体力と行動力があり過ぎるのも問題である。そもそも聖女という立場に対して、周囲への警戒心がなさ過ぎると言うものだ。


「だって千年前の噴水だよっ?しかも聖樹もある!見ないなんて勿体ない!」


 遠足前の子供のような興奮具合で、珠希は早く行くぞとスキップ交じりの駆け足。

 はいはい…、と半ば呆れながらスイバは足を踏み込み、待ち切れない彼女から引き離されないように歩幅を広げた。


「ふぉおおおおぉ…!これは…、なんて見事な…!」


 目が輝くとはまさにこの事。その絶景に珠希は声量を抑えながらも感嘆の声を漏らした。

 その庭は、領主館の建つ小高い丘を頂上に三つの段になって形作られていた。

 先ず領主館に続く上段は、貯水池を兼ねた睡蓮の池とその中に建つガゼボをメインとした左右対称(シンメトリー)の毛氈花壇。中央を突き抜ける石畳の園路を進めば、やや急な階段が降り口で出会うように左右に湾曲して設けられている。

 その階段を下った中段には整形式庭園があり、お目当ての一つである噴水は階段を降りきった眼の前に鎮座していた。


「…成程。逆サイフォンで水を噴き上げてるんだ…!」


 造りを観察し、珠希は先人の知恵と発想に舌を巻いた。

 元いた日本の兼六園でも見られる方式であるが、実に上手い高低差の利用方法だ。上段の睡蓮の池の底に管を設置し、逆サイフォンの原理で水を噴き上げている。

 外的動力要らずで恒久的。五角形の石台に据えられた女神のような石像を潤すように、五つの角に開いた穴から水を斜め上に噴き上げている。シンプルで変化や派手さは無いが、自然な水の勢いと流れは聖園に相応しい静謐とした空気を守っている。加えて階段の間、上から溢れた水が下段へと流れるように池の縁が切られている。そこから流れた水は石像周囲に水鏡を造り、それが朝日を反射して一層の美しさを纏っていた。


「…底は黒曜石かな…?」


 水鏡の底を覗き込み、使われている石材も確認。

 苔生した大理石と思われる石像とは対象的に、藻一つない黒色の光沢のある石を用いた細かな乱形石張り。遠目から見れば凹凸など分からないほどで夜になれば一面に星空を映すことだろう。


(…五角形の噴水に手の込んだ水鏡…、元はこの石像のモチーフである何かを祀る祭壇だったのかしら?)


 考えに耽りつつも、登りゆく朝日に急かされ、最後の下段へ。

 水鏡から続く流れは人の手により絶妙に配置された石組みによって勢いを得て、下方の池へと滝となって流れ込む。

 その滝の岸辺に第二のお目当て、聖樹は佇んでいた。

 ここの聖樹は、クリスマスツリーでお馴染みのモミやトウヒの仲間で、ヴォタニカリアの聖樹と同様、斑入り品種で葉の色が薄い。下に垂れるように実る臙脂の松ぼっくりが赤いオーナメントのようである。推測するに種類としてはドイツトウヒに近いのだろう。

 そもそも聖樹とは、大気中の魔力(マナ)を吸収および放出する性質を持った樹木のことで、二酸化炭素を光合成で有機物と酸素に変えるように精霊が放出した魔力を吸収し、光合成による酸素排出に伴って世界へと拡散している。

 因みに精霊が創り出す魔力は濃度が高過ぎる上、瘴気などの不純物が若干含まれる為、他生物には毒になるらしい。例えるなら精霊の魔力は原油で、聖樹がナフサや軽油に分解生成しているようなものだ。

 実際、ヴォタニカリアにいた時に精霊エルフィエナが魔力を放出する所を何度か目撃した。精霊虫の姿で聖樹に群がったかと思えば、黄金色の粘性のある液状の魔力の塊を糞をするが如く根本や葉の上に落としていた。最初はそれが何か分からず、樹液かと思って触ってしまったりもしたものだ。葉や枝にこびり付いて、やや見汚かったので水に溶けるし、雑に池の水をぶっ掛けて灌水がてらに流し掃除までしていた。エルフィエナ曰く、精霊にとって魔力放出は脱皮や排泄のようなものらしい。


「下段は自然的だね…!わぁ、見たことない花がある!」


 聖樹を横目に、大きな石を据えただけの無骨な階段をピョコピョコと無邪気に下りながら珠希は先を急ぐ。

 時間的にそろそろ戻らないと朝ご飯に間に合わない。


「ちょっ、師匠…!そんな急ぐと…!」


 駆け足で追いかけながら、スイバは危ないと注意を呼びかける。

 石肌が滝からの飛沫で湿っている上、今彼女が履いている革靴も踵があって滑りやすい。

 ―――こんな所で転けたら大怪我する。

 そう懸念した矢先だった。

 最後の一段を軽快に飛び降りた瞬間、ズリッと滑った革靴。仰向けにバランスを崩したコンマ一秒、ヤバいと本能で感じ、反射で受け身を取ろうとした。


「何をしているのですかっ!」


 痛みを覚悟して細めた視界に、その声がガンと響いた。

 ハッと我に返って目を向ければ青褪めたグラジオの姿が眼前にあり、ぎゅっと握り締めていた拳の手首を掴み、彼は抱え込むように珠希を抱きしめていた。


「グラジオ団長…!ごめんなさい!」


 後ろから血相を変えてスイバが駆け寄る。

 グラジオは掴んだ手首を引き起こしながら、非はないと首を振った。


「いや、君が謝ることではない。私も注意するべきだった」


 今にも泣き出しそうなスイバを宥め、グラジオは一つ溜息。

 静かに珠希から距離を取り、鋭く怒りに満ちた視線を彼女へと向けた。


「藤崎女史、好い加減ご自身の立場を理解してください。恐れながら貴女は、聖女としての自覚があまりにも無さ過ぎる。これでは護衛である我々の命が幾らあっても足りません」


 淡々とした声ながら、その声の冷たさにサーッと音を立てて背筋が冷えた。

 それは新人の頃にダンプトラックの操作を誤って、盛大な物損事故を起こした時以来の焦燥感だった。


「…っ…申し訳ありません。仰る通りです」


 嫌な喉の渇きに唾を飲み、冷静に謝罪を述べる。

 脈打つ心臓に呼吸が苦しくなった。

 近頃は順調に仕事が進んでいたから忘れていた感覚。打ち解けたと思っていた相手に怒られている事に焦り、言葉が続かない。

 馬鹿だった。

 本当に馬鹿だ。

 今、己がここにいるのは仕事だからだ。しかも自分で進言して取り付けた国際問題にも直結する大きな仕事―――。

 己の振る舞い一つで大勢の人に迷惑を被りかねないと言うのに、目新しい物を前にして、つい浮足立ってしまった。

 改めて現実を思い知らされ、思わず口籠る彼女にグラジオは再びの溜息。もう朝餉の時間だと告げ、領主館に引き戻すべくその肩に手を添えた時だった。


『おやおや、痴話喧嘩かな?』


『これ、誂(からか)うでないわ。グラジオが剥れるであろう?』


 そんな声が降ってきて、思わず身構えた。

 目を向けた聖樹の枝先、人ならば居られる筈もないそこに腰を下ろし、もしくは佇み、興味深そうにこちらを見つめる人の姿を真似てはいるが人ならざる存在達の姿があった。


『唯ならぬ強き魔力(マナ)の波導を感じて来てみれば…、またお主であったか。相変わらず人の子の癖に、とんでもない魔力(マナ)をしておる…』


『まぁまぁ…!アンディ、昼寝を邪魔されたからってそんなに怒らないの!ねぇねぇ!その子が異界の聖女?獣人の君はラウラセアの子だよね!』


 片や不満げに、片や楽しげに―――、思い思いに話し掛けながら、人ならざる存在達はふわりと羽もなく宙に浮き、誂うように珠希やスイバに接近するや髪や尻尾に触れて翻弄。

 尊大な口ぶりに長くサファイアのような群青の髪が特徴の方は、足の代わりに人魚のような鰭を持ち、気さくに話しかける萌黄色の巻き毛が特徴の方は翼のような耳をしている。

 好き勝手に弄ばれる珠希とスイバが戸惑う中、グラジオはサッとその場に跪いた。


「お久しゅうございます、アンディレイネ様、シルフェイド様」


 恭しく挨拶して彼は深く頭を垂れる。

 その名に珠希もスイバも目を剥き、慌てて腰を落とした。

 眼前に現れた存在の事は、この世界の人間ならば必須教養と言っても過言ではない。

 四大原初精霊―――、またの呼び名を精霊王と言い、この世界に遍く魔力(マナ)の権化であり、現存する精霊のほぼ全てを創造した神にも等しい存在。

 魔法を扱う者は必ず、その名もしくはその存在を示す言葉を唱えて魔法を行使する。それがこの世界の規律(ルール)ですらあった。


『ほう、身の程を弁えるとは感心…。我が名はアンディレイネ。近頃この一帯を縄張りにしている水の原初精霊じゃ』


『同じく風の原初精霊シルフェイド。丁度、近くを通りかかったもんでね!先の折には我が子が世話になった。礼を言うよ』


 そんな自己紹介と共に告げられた感謝の言葉に、珠希はすぐに精霊エルフィエナの事だと理解。恭しく頭を下げて、恐縮だと言葉を返した。


『…おや?この髪飾りはエルフィエナの魔力結晶かえ?』


 ふと珠希の髪飾りに気付いたアンディレイネに、どれどれとシルフェイドも注目。

 やいのやいのと髪を弄り始める二柱に珠希は緊張のあまり硬直した。普段は仕事中に落とすといけないからと大切に仕舞っていたが今回、旅のお守りとして着けてきた次第だ。


『ふむ、これほどの物を身に着けていて何とも無いとは…』


『成程、無魔力(ノーマ)だからね…。ねぇ、アンディ?これなら…』


 弄る延長でシルフェイドが髪を三つ編みにする中、何やら二柱は白羽の矢が立ったとばかりに頷き合う。

 そうして、不意に珠希と向き合った精霊の王達は何やら神妙な顔をした。


『聖女よ、一つ頼まれてはくれぬか?』


 腕を組み、改まった様子でアンディレイネが問う。

 依頼なれど、とても断れる空気ではない。

 珠希は静かに唾を飲んで、緊張をひた隠しながら「私に出来うることならば何なりと…」と答えた。


『このところ、グノムジカの様子が可怪しい。キトリア皇都の西の里オルクトーフェに赴き、様子を見て来てほしい。あの一帯には今、我らは近付けぬ故…』


 そんな依頼に、珠希は戸惑いを隠せなかった。

 先ずとしてグノムジカと呼ばれる存在は彼等と同じ四大原初精霊の一柱、大地の精霊王のことで間違いないだろう。そして、オルクトーフェと呼ばれるその地域は今―――。


「恐れながら、先の襲撃に因る瘴気の影響でしょうか?」


 神妙に問い掛けるグラジオに、アンディレイネは悲しみを堪えるように静かに瞼を伏せ、シルフェイドは真剣な眼差しでコクリと頷いた。


『よりによってクローヴァルトの瘴気だ…。新たな聖樹と精霊を育てるためにグノムジカを向かわせたが、奴の縄張りであるインチャナ皇都に戻った気配がない。恐らく、上手く精霊が育たないんだろう…』


 そう見解を述べるシルフェイドは、腕を組みながら悔しげに俄に拳を握った。


 それはヴォタニカリアにいた頃、耳にしていた歴史的事件だった。

 キトリア皇都から見て西にあるオルクトーフェと言う村では、魔光草という魔力を込めると光る不思議な花が自生していた。長年ランタンなどにも使われてきた花であるが、今より二十年前、この花を燃やした灰が魔物には毒なる事が解り、更にその灰を塗布して鍛えた剣は魔物を一撃で仕留めるほどの魔剣になることが判明。各国が挙って魔光草を求め、しがない村は十年あまりで一大都市へと発展した。

 しかし、それを良しとしなかった魔王クローヴァルトが魔光草を根絶やしにせんと町を襲った。

 三日三晩の劫火の果てに、森を開拓して築かれた大きな町は焼け野原に。何千という多くの市民が犠牲となり、土地も瘴気に穢れ、忽ち町は打ち捨てられた廃墟と化した。

 更に一帯を守っていた聖樹も強烈な瘴気によって枯れ、間もなくその樹に宿っていた精霊も消滅。最早、草も生えぬ不毛の大地とされたオルクトーフェであったが、襲撃から五年後、留まる瘴気に業を煮やしたキトリア皇帝の指示により、聖樹教の聖職者等による大規模瘴気浄化が開始された。

 精霊無き大地となったことに加え、あまりにも強烈な魔王の瘴気に土地の浄化は困難を極めた。懸命な聖職者等の苦労の甲斐あり、月日が巡った現在オルクトーフェの瘴気は人が立ち入れる限界値まで薄められたが、その濃度は依然として高い。去年からは聖職者達の勇姿に心打たれた、大地の精霊王にして聖樹を育む力を持つグノムジカが、新たな精霊の定着を試みているらしいが未だにその誕生には至っていない。


『異世界の聖女よ、どうかグノムジカの力になってやってほしい。お主ならばグノムジカの魔力に当てられることなく森を再生させられるじゃろう…』


 嘆願するようにアンディレイネは告げ、そっと滝壺へと手を翳す。

 瞬間、螺旋を描くようにいくつもの水柱がそそり立った。


『餞別じゃ。持ってゆけ』


 そう水柱を寄せ、内より引っ張り出されたのは銀の斧―――、では無く、燻し銀の如雨露だった。螺鈿と思しき輝く曲線は繊細な流水模様を描き、試しに傾けてみれば汲んでもいないのに清らかな水が湧き出す魔法の如雨露。取っ手もお洒落で掴み心地が良く、とても軽いのに素材は鋼のように硬く丈夫である。


『よろしく頼むぞえ?』


 そう言い残してアンディレイネは不敵に微笑み、珠希の頭をひと撫で。朝日に煌めく虹となりながら霧散した。


『では、僕からも…』


 続いて、シルフェイドも呟きながら精霊エルフィエナから貰った髪飾りを抜き取り、フッと一息吹きかける。

 途端に髪飾りは形を変えて、浅葱のヴェールひらめくティアラとなり、それをポンと被せて風の精霊王は彼女の額に口付け。

 刹那、その目が複雑な面持ちで珠希を見つめるグラジオを嘲笑したが、それに気付いたのは当人のみ。あからさまにムッとする彼に飄々と手を振り、旋風となったシルフェイドは庭に咲く草木を悪戯に揺らし、空に舞う若葉の色に溶けるように姿を消した。

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