船酔いと片思い
ヴォタニカリアを出発してから四日目の朝、順調な航海の末に珠希達を乗せた帆船は、キトリア帝国領のある中央大陸を目の前にしていた。
「予定より早く着けそうだね、師匠!」
「そーねー…」
初めての中央大陸の地を前に、年相応のウキウキ気分のスイバに対し、珠希は船酔いでグロッキー。
何とか魚の餌を撒かずに乗り切ったが、ほぼ寝て過ごす羽目となった。
「あ゙ー、陸だ〜」
キトリア帝国属国領の港に無事に到着し、降り立った珠希は野太い声で安堵。
まだ吐き気と足元の揺らぎは残るものの、根性で待っていた幌馬車に荷物を載せ替え、宿を頼んである町へと急いだ。
「…皆、荷物の確認が済み次第、休憩に入ってくれ。皇都への出発は明日七時だ。以上解散」
夕刻、辿り着いた街道沿いの町の領主館にて、グラジオは部下一同にスケジュールを通達。
各々散っていく仲、彼はここまでの疲労でとうとうダウンした珠希の部屋へと見舞いに出向いた。
「…あ、グラジオ団長」
建物二階の部屋の前、書き物をしていたスイバはこちらに気付いて会釈。
これまでの鍛錬でそれなりに力を付けている彼だ。念の為、部下達との打ち合わせの間、見張りを頼んでいた。中では相棒のダンテも番犬ならぬ番竜をさせている。
「藤崎女史の様子はどうだい?」
「まだ寝ています。本人が思っていた以上に疲れたみたいで…」
「そうか…。スイバ、君は先に会場に行きなさい。藤崎女史の体調次第で私も合流する」
「了解です。ありがとうございます」
そう答えたスイバはペコリとお辞儀。
小走りで階段を駆け下り、丁度それぞれの身支度を済ませて腹拵えに向かう部下の騎士達と合流した。
現在、領主のご厚意で館の庭先では町の人々も交えた歓迎の宴が催されている。
酒樽から注がれるエールもたっぷりあるし、彼女のことだ。きっと参加したがるだろう。
「…失礼します」
一言、断りを入れてそっと扉を開く。
薄暗い室内ではダンテがこちらを見つめ、その隣の寝台の毛布の中、寝息を立てる彼女が横たわっていた。
静かに歩み寄り、顔色を伺うように跪く。
泥のように眠る酷く疲れた表情に胸が詰まった。
「…無理をさせてしまったな……」
悔いるように吐露し、そっと頬に掛かる黒髪を払い、その頭を撫でる。
無防備に微かに開いた唇の何と柔らかそうなことか―――。
気付けばその薄桃色をなぞるように指を這わせ、腹の底から湧き上がる欲望にごくりと喉が鳴った。
劣情に呑まれまいと腰を上げ、嫌に潤う口元を押さえながら無意味に部屋の中を一周。ざわめく鼓動を鎮め、気を取り直すように寝返りで乱れた毛布を掛け直した。
その刹那、小さく深呼吸した珠希の瞼が薄く開いた。
「…グラジオ様…っ…?」
寝惚け眼で訊ねつつ、ゆらりと身体を起こす。
重い頭をふらふらと揺らしながら、大きな欠伸を掻いた彼女はキョトンと彼を見つめた。
「失礼。起こしてしまいましたね。具合はどうですか?」
平静を装いながら皺になる毛布を畳み、具合を確認。
再び欠伸を掻きながら、珠希は大丈夫だと手で丸を示した。
「すみません、すっかり寝入ってしまって…、あ、もしかしてご飯呼びに来てくださったとこだったり?」
乱れているであろう髪を掻き上げつつ珠希は床に足を下ろし、グラジオは支えるように手を差し伸べた。
「そんな所です。食べられそうですか?」
「意地でも食べます。腹が減っては戦はできませんから…!」
そう無邪気に答えた彼女は、差し伸べられた手を取って起立。
さり気なくエスコートされながら、賑わう庭先へと急いだ。
*****
一晩の宿に立ち寄った町の領主は愉快で気前の良い方だった。
山のような酒樽から注がれるエールに、炭火で焼かれる側から消えてゆく肉や串焼き。並べられたテーブルでは人々が集って語らい、綺麗な芝生の大きな庭は宴会場に早替わり。まるでお祭りだった。地の農産物の紹介を兼ねて、領主はご馳走と上等なお酒を珠希達のみならず集った人々皆に振る舞う。
領民もそんな領主を慕っているのか酒の勢いに任せて声を掛け、去年の実りは何が良くて、来年はどうしようか、こう言うものが欲しいなどと気さくに意見交換。アットホームな温かな空気に誰もが酔いしれた。
「いや〜、食べて過ぎてお腹苦しい…」
幸せそうに膨れた腹を擦りながら、珠希は満面の笑み。
一眠りして空腹だった所為かいつも以上によく食べた。
「ハッハッハ!聖女殿を食い倒れさせられるとは光栄光栄!なにしろ、このエールは原初精霊アンディレイネ様もお気に入りの酒ですからな!」
傍らで満足気に言い放つ赤ら顔の領主は、エールを掲げながら哄笑。
原初精霊と言う言葉に珠希は目を丸くした。
「原初精霊って新たな精霊を生むと言われている、あの?」
思わず確認を取る彼女に、領主は頷く代わりにニッコリ。
原初精霊は精霊の中でも一線を画す存在だ。特定の聖樹を持たずに世界を遍き、気に入った聖樹に己の魔力の結晶【コクーン】を植え付けることで新たな精霊を創り出すと言われている。多くは単体の原初精霊のコクーンであるが、気まぐれに二柱の原初精霊が力を融合して創る場合があり、そうして生まれた精霊は新たな原初精霊となって精霊を生む事が可能となるそうだ。
「良ければ明日、我が城の裏手にあります聖園にいらしてください。千年前に作られた噴水もございます故…!」
実に魅力的な誘いである。
是非にと珠希は食い気味に答えた。
元よりこの町にも聖樹が在ると聞いており、一目見たいと思っていた所だった。




