船上の語らい
香ばしい魚介の匂いが漂い、船乗り達が揚々と注がれたワインを呷る。
順調に航海を進める船の上、グラジオの電撃に仕留められたクラーケンの一匹は船内コックの腕に掛かって華麗に捌かれ、ご馳走となって皆の食卓に上がった。
「「美味しそう…!」」
食堂にて炭火で炙られた白く肉厚なクラーケンのステーキを前に、珠希とスイバは目を輝かせる。
捕れたて新鮮故に味付けは塩胡椒と仄かにバター。
そっとナイフで切り分けて口に運べば、もちもちプリプリの歯応えとイカに似た風味が舌を唸らせた。
「んー!美味しっ!仄かに甘くて柔らか〜い」
「クラーケンってこんな美味しいんだ…」
驚きと感動に珠希とスイバはうっとり。
そんな二人にテーブルを同じくするグラジオと船長は何処か満足げ。
甲板では、船乗り達と騎士達も串に刺したクラーケンを思い思いに焼いて晩酌を楽しんでいた。
「これならナスと一緒にトマトパスタも良いわね」
「それ、サイコー。あ、だったらフリッターは?」
「それはヤバい。ハイボールが止まらなくなる。スイバ、成人したら一緒に飲もうよ。奢るから」
「期待しときます」
完全に飲んだくれの会話である。
師弟と言うより、まるで年の離れた姉と弟だ。
「って、すみません!酒飲みの話で勝手に盛り上がって…!」
ハッと我に返り、珠希は赤面。
久々の魚介類のあまりの美味しさに、つい食べるのに夢中になっていた。
王城では肉が中心で魚は出ても干物や塩漬けが基本。まだ運送技術が発展途上で運搬中に傷む恐れから鮮魚は港町の特権扱いだ。
この船旅での献立もタンパク質は加工肉と鶏卵、野菜は日持ちするタマネギや人参など根菜で作れる物ばかりだ。
「…そう言えば、こちらでは魚介の冷凍保存ってされないのですか?お肉も加工肉ばかりですし…」
何気無い問いだった。
魔法で氷の矢が射れるのだから、冷凍品が有っても可怪しくはないが―――。
「したいのは山々なのですが氷結魔法は他の魔法に比べて魔力消費量が多く、大型魚や大量の魚を一気に凍らせるとなると難しいのです。攻撃魔法の氷の魔矢程度なら誰でも使えますが広範囲を高出力でとなるとグラジオ殿下程の腕でなくては…」
船長は出来るものなら苦労しないと言いたげに、半笑いで困ったように眉を下げながら答えた。
「なるほど…。小さな魚なら釣った側から検品を兼ねて凍らせればいけるかと思ったんですが…。私のいた世界では遠洋漁業…、遠くまで漁に行く船には大型冷凍庫が設置されていて、水揚げしたら急速冷凍して港に着く頃にはカチカチになってるんです。家庭でも生魚が食べ切れない時は下処理して冷凍庫で凍らせて日持ちさせたりとか…」
その考えに両者は目を剥いた。
「「それだ!」」
男二人の大声に珠希は吃驚。
目を丸くする彼女の手前、グラジオと船長はその考えに唸った。
「そうか!小さく大量になら…!」
「掌サイズなら多少の心得があれば皆、可能です…!まだクラーケンの肉が残っていますし、試しにやってみましょう!」
革新的な魚介の保存法にグラジオは膝を叩き、船長はこうしてはいられないと食事も放り出してコックのいるキッチンへ。
この世界での物理的に作用する魔法は、視覚と感覚の認識が重要で、対象の範囲が広ければ広いほどに扱いが難しく効力も薄くなる。
故にこれまで食品は冷やす程度が限界だったし、それが常識だった。食品そのものを凍らせるなど考えもしなかった。
(成程…、冷凍保存の概念そのものが無かったのね…)
夕餉の後、寝る前のひとり時間。こっそり甲板に出て綺麗な月を眺めていた珠希は、色々とこの世界の食糧事情について納得をしていた。
元よりヴォタニカリアでは真水が貴重なのもあるが、食品の殺菌滅菌は直火加熱処理一本に頼る世界だ。珠希のお陰で煮沸やアルコール消毒の概念も生まれたが、端から雑菌を増やさない冷凍保存という発想は皆無だった。
思えば城の料理はどれも味が濃く、煮込みが多かったのもこれが原因だろう。歴史漫画などで知ってはいたがかつての世界の大陸料理がスパイスだのソースゴリゴリな理由を思い知った。
(手洗いとかお風呂用石鹸があるのがせめてもの救いだなぁ…)
こちらでの生活を振り返り、思わず溜息。
前の世界の便利さや文明からすれば、この世界は随分と遅れている。便利を知っている分、不便さが身に滲みるものだ。
「…眠れませんか?」
そんな声掛けに目を向け、思わずはにかむ。
ラタンの籠にワインボトルとグラス二つを入れてグラジオが肩を竦めていた。
「宜しければ、寝酒に如何でしょうか?白の辛口ではありますが…」
そんな提案に、珠希は思わず苦笑い。
彼女の好みのワインは白の甘口である。細かな好みを把握しているとは恐れ入る。
「では、お言葉に甘えて」
折角の好意を断るのも失礼だし、珠希はグラスを受け取った。
注がれる芳醇な香り。軽くグラスを傾け合って口に運び、その味わいに唸った。確かに辛口だが喉越し爽やかで飲み易い。
「甘味の代わりと言ってはですが…」
そう続けた彼は籠からオレンジを一つ取り出し、包むように青白い光を帯びる手を翳す。
間もなく、艶やかなオレンジの皮に霜が張り付き、彼は潰すようにトンっとひと叩き。ぱっと手品のように八つに割れて花のように開いたオレンジを勧められるがままに一切れ取ってみれば、氷のような冷たさ。冷気を纏ったオレンジ丸ごとシャーベットの出来上がりである。
「ん〜!贅沢〜!」
ワインで温まった身体に滲みる甘美なひんやり感に笑顔が溢れる。
そんな彼女を微笑ましく見つめていたグラジオだったが、はたと主帆を見上げて眉を顰めた。
「少し風が出てきましたから中へ戻りましょう。晩酌の続きは温かな客室で…」
そんな提案を添えて、グラジオはそっと背に手を回して船内へと案内。
刹那、彼は真っ白な帆の影に隠れて飛ぶ存在を睨み、その眼光に忍び寄らんとしていたカモメは怯んだように天高く飛び上がった。
―――全く油断も隙もない。
船内への扉を締めながら、グラジオは苛立ちを彼女への微笑みにひた隠した。
「何だか少し天気が荒れそうですね…」
丸窓の外、薄暗くなる海にほろ酔いの珠希はツマミのナッツを齧りながら呟いた。
ワインの喉越しが良い分、少しペースを早めてしまった。思ったより酒の回りが早い。
「少し降るかも知れませんね…。船酔いが心配ですか?」
「正直言えば。こんな大きな船に乗るのは初めてなので…。父と遊覧船に乗ったことはありますけど、それすらちょっと酔ったので…」
肩を竦め、酔い覚ましに生のオレンジを齧りながら苦笑い。
天気の下りに船の揺れが大きくなったのを感じて、腰掛けているソファの背凭れを兼ねた板張りの壁に凭れた。
「藤崎女史の父君はどんな庭師だったのですか?」
そう問われて珠希は少し困った顔をした。
こちらでは技術職は一子相伝が一般的。そう思うのも無理は無い。
「実を言うと父は庭師では無いんです。その…、自衛隊の…国を守る人達が運転する車を作ってました」
「車…ですか?」
グラジオは小首を傾げる。
しまった。こちらでは唯、車と言っても何のことか分からないし、そもそも自動車の概念も無い。精々大八車や馬車を想像してしまう。
「あ、えっと…、自分で動く馬車みたいな感じでしょうか。エンジンと言う動力が付いていて凄く力があるので、荷物や人を一度に沢山運べるんです。父の作っていたトラックは特に凄くて…、水没した道路でも走れる車で、災害の時に沢山の人を助けて沢山の物資も届けたって…、父の仕事は私にとっても誇りでした。一時期は父のようになりたいとも思ったんですが生憎、物理が苦手で向いてなくて…、そしたら父が「珠希は花が好きなんだから、母さんのように植物を扱う仕事をすれば良い。造園屋さんなら土木や都市開発にも携われる」って言ってくれて…。父の言葉に触発されて造園の勉強が出来る学校に進んだんですが、入学式の直前に大きな地震があって…」
きっと酔いの所為だろう。滑らかになった口はサラサラと己の幼少から青年期を語る。
刹那、月が厚雲に遮られ、窓の外が深い闇に呑まれる。
揺れる天井の琥珀色のランタンは、憂いた眼差しを手元のグラスへと落とす珠希の顔に影を差した。
「あの頃はずっと災害に負けない街作りをしたいと思っていました。大学への進学も考えましたが学費が中々で…。だからその分、現場経験を積んで資格を取って…、力をつけてその仕事に就こうと思いましたが…、結局、公務員もデザイナーも力不足でした…」
自嘲気味に嗤いつつ、彼女は遣る方の無い想いを呑むようにグラスを傾ける。
それは「好きこそものの上手なれ」では―――、好奇心と人並みの使命感で造園の世界に飛び込んだ珠希には、あまりにも高過ぎる夢だった。
ある程度勉強が出来ればスタートラインには立てる。けれど、職にするには一握りの才能とセンスがせめぎ合い、勝ち取った人脈と運が物を言う努力だけでは有象無象に埋もれる厳しい世界。
二十代半ばの若気、上を目指さんと職場に内緒で密かに行なった転職活動を通し、そんな現実を目の当たりにして、その道に進むことさえ諦めてしまった。
―――だからこそ。
大それた夢を抱き、表舞台に立つこともなく破れ、その辛酸を経ての今がある。
誰かに褒め称えられることも、目に見える栄光を手に目立つことも、後世に名前なんて遺らなくったって良い。
只々素朴にこの仕事が好きだから―――、だから今に辿り着いた。
「でも…、今は、造園管理職を走ってきて良かったと思っています。この世界に来て、聖樹や聖園の手入れをして…、それで喜んでくれる人や助かる人がいるなら…」
そう告げ、不意に顔を上げた珠希は、迷いを払ったようにグラジオへと自信に満ちた笑みを浮かべた。
「例え地味で泥臭いと言われようと、私はこの仕事を誇りに思います。私の掻いた汗は無駄では無いと…、誰かの大切な場所や想い出を遺していく仕事ですから」
戯けつつも誇らしげに。
薄桃色の唇が仄かに弧を描き、少し眠たげな目を彼女は細める。
見計らったように雲の切れ間より覗いた月明かりは、そんな気丈な珠希を照らし、見つめるグラジオは彼女の気高さに心を奪われた。
「…って、ちょっと格好付け過ぎですね。酔っぱらいの戯言だと思ってもらえれば…」
ふと肩を竦め、珠希はお茶目にくしゃりと笑みを零す。
もう夜も更けた。そろそろお開きにしようと、グラスに残るワインを飲み干した。
「そんなことはありません。私は貴女のっ…」
真剣な声色で言い掛け、グラジオはハッと己の口を塞いだ。
―――私は今、何を言い掛けた?
思わず飛び出し掛けた秘めた思いに、彼は柄にもなく狼狽えた。
「グラジオ様?」
テーブルの上、皿に残る食べかけを手早く口に運びつつ、珠希は心配そうに小首を傾げる。
「いえ…、私は藤崎女史のそんな心意気を深く尊敬します…。すみません、私も深酒が過ぎたようです」
自嘲するように肩を竦め、少し困ったように嗤いながら、グラジオはグラスに残るワインで喉に引っ掛かる言葉を流し込む。
―――今日はお互い飲み過ぎた。
手早く片付けを終え、軽い挨拶を済ませるや二人はそれぞれの部屋へ。
暖かいベッドの中、少し喋り過ぎた後悔と口走り掛けた本心に熱る頬。
その夜、お互い中々寝付けなかったことは本人のみの秘密であった。




