北帝国へ
翌日の事である。恐れ多くも聖園に侵入し、珠希を襲った不埒者の件は、城のお喋り好きによって忽ちヴォタニカリア中に知れ渡った。
混乱を避ける為、実行犯がロザリア教の間者であったことは巧妙に伏せられたものの、国中の人々は国の精霊を救った彼女が襲われた事に唖然騒然。彼女の活躍に嫉妬した他国の嫌がらせだの、魔王の差し金だのと情報が錯綜した。
そんな中、夕刻になって珠希が持ち掛けた提案に女王の執務室が大いにざわついた。
「貴女はロザリア教の間者に襲われたばかりなのですよっ!?」
書斎机の前、堪らずマーガレット女王は声を荒げる。
珠希の提案はあまりにも大胆だった。
「だからこそです。情報が錯綜している今ならば、いくらでもはぐらかす事が出来ます。上手く行けば国家間の亀裂も取り繕う事が出来ます」
毅然と反論する珠希に、女王は頭を抱えた。
「流石にお人好しが過ぎます。ロマーノの聖樹を治そうなどと…」
そう、珠希の提案はロマーノへの派遣―――。瀕死の状況にあると言う精霊ロザリアンヌの救済である。
今朝方、ロマーノに詳しい外交官の元を訪ねてあちらの聖樹について聞き取りを行なった。結果、ロマーノの聖樹はつる性のバラである可能性が高く、時期的にも対処の範囲が広いと判断。善は急げで出向の相談に来た次第だ。
「聖樹が治れば、オルタンシア帝もこれまでのような凶行に出ずに済む筈です。そもそも現場を見ない限り、私の手に負えるのか判断も出来ません」
整然と珠希は説得を試みる。
北帝国ロマーノから来た一騎曰く、ロマーノの大地の魔力は最早無いに等しく、情勢は悪くなる一方―――。不作により餓死者も相当だという。
この世界を震撼させる魔王に会心の一撃を加えたグラジオを前に果敢に挑んだ事から、自身を攫いに来た間者もそれ相応の覚悟を持って凶行に及んだ筈だ。それ程に追い詰められていた。
―――これ以上、無益な争いと犠牲を増やしたくない。
想いはその一言に尽きた。
幸い今なら先一月は仕事が薄く、やることも春先までは見回りと適宜の草刈り程度だ。
これなら自分がいなくてもスイバとナズナを指示役に御用牧場や騎士団からの応援で回して行けるだろう。
「想いは固いようですね…」
強い決意を見せる珠希にとうとう折れた女王は深く溜息。
彼女の進言も一理あるし、ロマーノの聖樹が回復すればオルタンシア帝に恩を売る形にもなる。
却下する理由はなかった。
「解りました。ただし護衛としてグラジオと近衛騎士団の精鋭を何人か就けさせて頂戴。貴女はこの国の聖女…、何か遭ってからでは遅いわ」
そう了承の返事を述べ、女王は差し出された承諾書に渋々ながらもサイン。
書類を受け取って感謝を伝える珠希は、笑顔ながらも覚悟を決めた目をしていた。
「では、出発の日取りが決まり次第お伝えします。これで失礼します」
手短に挨拶し、珠希は快活に踵を返す。
それに続き、扉の横で待機していたグラジオもロマーノ行きに向けて退出せんとした。
「グラジオ」
彼の背中に向け、女王は名を呼んだ。
何気ない、けれど団長という敬称のない呼び掛けにグラジオははたと目を向けた。
「…珠希さんのことを頼みます。彼女、少し頑張り過ぎる所があるから…」
そう念を押しながら、手早くサインを書き入れた書類を差し出す。
受け取ってみれば、グラジオ個人に対する十分過ぎるくらいの追加手当てだった。
「ロマーノの皇都までは長いわ…、程良く息抜きを…ね?」
独り言のようで、念を押すような柔らかい口調―――。
その微笑みに何を言わんとしているか悟った彼は困ったようにはにかみ、自嘲気味に肩を竦めた。
「感謝します」
表向きは君主と家臣。
けれど、交わした視線は微かに温もりを纏っていた。
*****
ロマーノ行きが決まってから三日後の早朝、幌馬車丸々二台にぎっちりと詰め込まれた物資の量に、珠希は大事になってしまったと気付いて申し訳なくなった。
彼女自身としては、近頃乗り慣れたセルヴスドラゴンの相棒ポポに道具入れを持ってもらい、その他着替えや必要物資を革の背負鞄に詰めて身軽に行くつもりだった。元の世界でも遠方の現場の場合、休みの日にツーリングの足で現場に寄り、現地調査なんてこともやっていたから、その感覚でグラジオに護衛ついでに通訳をお願いして、さらっと様子を見に行くつもりだった。
しかしながら、いざ準備に取り掛かってみれば、あれもこれもな大騒ぎ。後を任せるつもりだったスイバもついて来ることとなり、総勢十人の大所帯となった。
軽い下見のつもりが、ガチの出張仕事である。
「野営の物品はこれで全部か?」
「ウーラの森でオオヌマザメが出たとの情報があります。迂回した方が安全かと」
「まだ冷えるから気付の酒、多めにな」
「海路の具合ってどうなってる?」
「エルフィエナ号を手配してます。特使としての顔もあるので」
ワチャワチャと準備を進めながら同行する騎士達は右往左往。
道程としてはヴォタニカリア南東の港から船に乗り、西帝国皇都を経由。その際にキトリア皇帝ガザーニアより渡航許可証――ビザとパスポートを合わせたような書類を発行してもらい北帝国に入る。海路も陸路も安全な路が確保されてはいるが、大陸を横断するようなものなので着くのは八日後くらいだ。
加えて、表向き彼女等はヴォタニカリアからの特使と言うことになっており、それぞれ相応の格好が求められた。仕事に当たって作業着と道具入れは勿論、晩餐会などへの招待を加味して同行者全員の礼装一式に下着肌着の替え、多少の化粧品などなど―――、服飾が荷物を嵩ませている主な原因である。
今更ではあるが、珠希は聖女と言う自身の立場を思い知った。
「考えが軽率でした!私の独断に巻き込んでしまい、本当に申し訳ありません!」
王家所有の大型帆船に乗り込んで早々、珠希は同行する騎士達と挨拶に来た乗組員一同にごめんなさい!と頭を下げた。
その角度たるや、ほぼ直角。
本当は土下座レベルであるが、他所行きの一張羅を汚す訳にはいかない。
申し訳無さに縮こまる彼女に、一同は苦手笑いで、まあまあと宥めた。
「どうか気に病まれず。こちらとしては聖女様を乗せて航海でき、光栄の限りです。さあ、ここで立ち話もなんですから食堂へどうぞ」
船長は恐縮する珠希をにこやかに歓迎。
寛大な言葉に痛み入りつつ、珠希とスイバ、それからグラジオは船長と一緒に場所を変えて今後のスケジュールを確認へ。
他は三々五々荷物の移動や確認、仕事へと戻った。
「現在この辺りの海域で、クラーケンの大量発生が確認されています。迂回するのが賢明ですが…」
「いや、このまま行きましょう。迂回すると更に一日掛かってしまいます。駆除ついでに直進しましょう」
テーブルに広がる海図を前に、船長とグラジオは訥々と進路の算段。
横で見守る珠希とスイバは、クラーケン駆除と言う内容に怖さ半分、興味半分。
この世界のクラーケンはダイオウイカとミズダコを足して二で割ったような生き物で巨軀故に船と接触して船底を傷付けたり、肉食で攻撃的な気性から周辺の魚が減ってしまったりと漁師や船乗りを困らせる珍味として知られている。また、クラーケンを好んで食べる海獣型魔物もいて、それが人的被害を起こす場合も―――。
「船長!二時の方向にクラーケンの残骸を確認!更に黒幻鯱が十二時の方向に見えています!」
駆け込んだ乗組員の報告に、瞬時に空気が張り詰めた。
全員で駆け足で甲板に出てみれば、進行方向の水平線上に黒い塔のような影が聳え立っていた。
「嗚呼、間違いなく黒幻鯱ですね…」
あちゃーと眉間を寄せ、グラジオは苦笑い。
黒い塔は俄に傾き、大きな波を立てて海中へと姿を消した。
「ダークォルカ?」
と、珠希は首を傾げる。
「ザトウクジラと鯱を合わせたような大型魔物です。基本的に五、六頭の群れで活動していて、縄張り意識が非常に強く、通りかかっただけでも怒って船を沈めに来ます。気付かれたみたいなので間もなく襲ってくるでしょう」
そう答えながらグラジオは甲板の荷物の傍らで羽を休めていたダンテに鞍を乗せた。奇襲などの有事に備えて随行する騎士は全員、竜を連れてきた次第だ。
「団長、援護入りましょうか?」
急ぎ討伐の支度を整える彼に、望遠鏡で迫ってくる黒い影を注視する騎士が尋ねる。
「いや、お前達は船の警護を頼む。少々手荒だが雷撃でクラーケン諸共蹴散らす。黒幻鯱は頭が良いから一度痛い目を見れば、この海域から逃げる筈だ。暇なら夕食用に痺れたクラーケンを拾っておいてくれ」
「じゃあ、今晩は炭火焼きパーティーっすね!」
冗談半分に言葉を交わし、グラジオは軽やかにダンテに跨るや甲板を走り出し、舳先を足場に飛翔。
見る見る小さくなった姿を見送って間もなく、轟音を伴って海上に強烈な閃光が迸った。




