間者
煌々と燃える暖炉の前、スイバから借りたラウラセアの手記を手に一心不乱にペンを走らせる。
この世界ではまだ電気やガスは普及しておらず、暖房設備は暖炉に重きを置いている。
直火故に一酸化炭素中毒を危惧して窓を空けねばならないものの、部屋の作りが上手く出来ており、また床に敷いてある火属性の魔物の毛皮も優秀で厚手のガウンやショールを羽織っていれば過ごしやすい。
「…こんなものかな」
書き留めた内容を確認しながら、欠伸ついでの背伸び。
手にした紙には日付に天気のマーク、気温や風向風速を示す数字がびっしりと書き込まれていた。
(思った通り、この年と酷似してる…)
ある年の記録と昨年ここに来てから自身が付けた記録を照合し、珠希は眉を顰める。
元の世界での仕事の癖で、作業後にはその日の日報を必ず付けていた。
何月何日はどんな天気で、どんな作業をしたのか、何処まで終わったのか。人工は何人で誰が入り、道具や車両は何を使ったのか。特段変わったことや改善するべきことはあったのか―――。それらの記録を付けることで、次回の仕事に役立てたり事故防止、効率化に繋げていた。
ラウラセアも同様にその日の天気に気温、誰が何をして、材料は何を消費し、備考にはどんな生き物が居たのかまで記録に残していた。
「異様な長雨…、雨降り蛙の大量発生…、特異な羽虫に褐斑病の蔓延…」
ブツブツと呟きながら、珠希は腕組で頭を捻る。
こちらでの生活にも慣れ、必要な道具や材料の確保も着々と進めているが、あちらの世界のように何でもある訳ではない。
記録から推測される今後起きうる事態を想定し、対策を考えた。
「…うーん、また相談かなぁ?」
そんなボヤキを零し、ペンのインクを拭いてペン立てへ。
そろそろ寝ようと腰を上げて、用を足しに廊下に出た。
「うー、寒っ。やっぱり薄かったか」
戻り足、足早に部屋へと引き戻りながら、珠希は鳥肌の立つ両腕を擦った。
設備も然ることながら聖園が見渡せるようにと南向きの部屋は暖かいが、トイレのある北東側は極寒である。
どうせ見回りのメイドさんくらいしか歩いていないしと、寝間着で出てきてしまったのは失敗だった。
少し煩いかもとは思いつつ、パタパタと室内履きを鳴らして身体が冷える前にと急ぎ自室へ。
やれやれと換気に少しばかり開けていた窓を閉めようとした時だった。
カンカンと木を叩き合うような音が響き、目を向ければ聖園の片隅で一騎とグラジオが手合わせをしていた。
彼がヴォタニカリアに来てから、かれこれ二ヶ月ほど。まだまだ攻撃をあしらわれるばかりの一騎だが、その動きには機敏さと安定が出始め、顔付きにも真剣さが滲む。
グラジオもそんな彼の成長に最近は一目を置いているのか、指導する声と表情は何処か楽しげだった。
「今日はここまでとしよう」
暫く眺めていたが、グラジオのお開きの合図に両者姿勢を直して一礼。
お礼を言って駆け足で去っていく一騎の顔は精悍なものだった。
「…何か男になってきたかな?」
そんな感想を漏らしつつ、そっと窓を閉める。
生意気小僧に何があったかは知らないが、良い変化だと笑みを零した。
(さて、時間も時間だし今日は呑まずに大人しく寝るかな…)
遠くに聞こえる十二時の鐘の音に急かされ、レースカーテンを閉めて天蓋付きのベッドへ。
毎回、綺麗に整えられたリネンに滑り込み、上等な毛布に包まろうとした矢先だった。
軽快な足音を携えて、カーテン越しに駆け寄る人影。間もなく、開けてくださいと叫ぶ声と共に窓を慌ただしくノックされた。
何事かとガウンを羽織って駆け寄った珠希は、勢い良くレースカーテンを開き、そこにあった姿に目を剥いた。
「グラジオ様!?えっ…?!どうやって!?」
「開けてください!話は後です…!」
慌てふためく彼に混乱しながらも鍵を開ける。
途端に彼はガラス戸を抉じ開け、強引に珠希を抱き寄せるや引き抜いていた剣を構えてバルコニーへと後退った。
「居るのは分かっている!姿を見せろ!」
薄暗い部屋の中へと、グラジオは怒号を上げる。
抱き締められる腕の中、ドクドクと強く脈打つ彼の鼓動が警報のように耳元に響く。虚空を睨むその顔の鋭さに、抱きしめられて危うく胸キュンしかけていた珠希は只事ではないと悟った。
『…ほぉ…、これは驚きました。影這いの術を見抜くとは…』
くぐもった声色が誰も居ない筈の部屋から聞こえた。
直後、暗がりから影に紛れていた黒い靄が蠢く。月明かりの差す床に這い出たそれは、粘土細工のようにグニャグニャと人の形を成し、俄に黒のローブ姿が出現した。
「流石はヴォタニカリアの賢者殿…、お見逸れ致しました」
感心の言葉を述べ、ローブ姿は恭しく頭を下げる。
「ロザリア教の間者だなっ?藤崎女史をどうするつもりだった…!?」
敵意を剥き出し、グラジオは問い質す。
より強く抱き寄せる彼に、身の危険を感じた珠希も身を窄めてその胸に縋った。
「無論、我らが祖国へとお招きしたく…」
「はっ!お招きっ?拉致の間違いだろうっ!協力を願いたいのならば正式な手続きを踏めと女帝に伝えろ!私が居る限り、この方には指一本触れさせんぞ!」
そう怒鳴りつける彼は部屋の中のローブ姿では無く、城の屋上や周囲のバルコニーを睥睨する。
その視線の向け方で、珠希は初めて間者は一人ではないことに気付いた。と、同時に姿を消していた影が次々に出現。ざっと見ただけで十人はいた。
ゾッとした。これだけの人数に囲まれていたなんて―――、グラジオが気付いてくれなかったら抵抗の余地なんてなかった。
青褪める珠希に、傍らの彼は苦しい笑みを浮かべた。
「すみません、藤崎女史。この数は流石に分が悪いので、胸ポケットにある警笛を吹いてもらえませんか?」
間者を睨む彼からのそんな頼みに、珠希はその首から胸ポケットへと垂れる鎖を手繰り、銀の笛を引っ張り出した。
「思いっ切り?」
ジリジリと迫る間者に、特に意味は無いが確認を取る。
否。多分、吹いた瞬間に襲い掛かって来ると察していた。そして、中途半端な吹き方だと上手く鳴らずに不発に終わるとも―――。
かつての仕事で臨時で交通誘導をしたことがあり、ホイッスルの吹き方が以外と難しいと知っていたのもあるだろう。
「ええ、思いっ切り!」
やっちゃってくれとばかりの声色に遠慮はなかった。
途端にピィー!とけたたましく鳴り響いた笛の音。警備に回っていた兵達は眠い目から一転、緊張を走らせ、城中の者が一様に飛び起きた。
「ご無礼を!」
鳴り響いた警笛に、余裕を無くした間者が一斉に飛び掛かると同時。軽々と片腕で珠希を肩に担ぎ上げたグラジオは、現在地の三階の欄干から地上へと飛び出す。
瞬間、地面へと引き寄せられる二人を燻し銀の翼が掻っ攫った。
「ダンテ、西の塔へ!」
剣を握る手で手綱を掴み、肩に担いだ珠希を鞍の上へと乗せ直す。
浮遊感にしがみつく彼女をしっかりと抱き締めながら、グラジオは飛行魔法で追い掛けてくる間者を氷の槍で次々に叩き落とした。
「…証言を取るならこんなものか…、藤崎女史、目を瞑ってください」
そう告げ、彼は珠希の頭を抱えてその耳を塞ぐ。
迫る残りの間者を目視し、高く剣を掲げたグラジオが何かを呟いた次の瞬間だった。
衝撃波を伴って耳を劈く雷鳴が轟く。目を瞑っていても酷く眩しく感じた。
俄に暗くなった辺りにそっと目を開ければ、黒い煤と灰のようなものが宙に浮遊し、異様な焦げ臭さが鼻を突いた。
「…見ない方が良いです。敵は一掃しました」
そんな声と共にその胸に顔を押し当てられ、視界を遮られた。
彼の声は淡々としながらも、何処か悲しみを孕んでいて―――、グラジオが何をし、何が起きたのかはとても聞けなかった。
*****
物々しく調査隊が聖園に打ち落とされた間者を回収する中、珠希はグラジオと共に王宮西の塔の上からその様子を眺めていた。
侵入者があった珠希の部屋からは、間者が仕掛けたと思われる薬や転移魔法の術式がいくつも見つかり、その解呪や危険物撤去のため封鎖措置が取られた。
警備の厳しい王城内の三階とあり、少しなら大丈夫だろうと戸締まりを怠ったのが侵入を許した原因だった。
「申し訳ありません、もっと早くに気付いていれば…」
詫びの言葉を述べながら、グラジオは怯える珠希の背を擦った。
聖園は元より王城には宮廷魔導師達による強力な結界が張られている。そんじょそこらの魔法使いではとても回避など出来ず、足を踏み入れた瞬間に排除攻撃を食らうか警報に引っ掛かる筈だ。それを掻い潜って来られるだけの術者をあれだけの数で送り込むとは全くの想定外であった。
「いいえ。寧ろ助けてくださり、ありがとうございました。グラジオ様が気付いてくださらなかったら、きっとあのまま攫われていました」
フルフルと首を振り、珠希は感謝を伝えた。
彼曰く、稽古を終えて窓を閉める音がしたので何気なく見上げれば彼女の部屋で、漠然と勇者の頑張りを見守ってくれていたのだと思っていたら、窓に不審な影の揺らぎが有って侵入者に気付いたそうだ。
「ロマーノは相当、追い詰められているのでしょう…、今後は出来る限り私が警護に入れるように調整します。あれ程の手練を寄越してきたくらいですから…」
「そんな…!それは流石に申し訳無いです!グラジオ様は一騎君やスイバの指導もあるのですし、そこはお気持ちだけで…!」
彼の多忙さを顧みて、珠希は堪らず断った。
聖女の肩書があるにしても高々庭師の護衛に騎士団長が就くのは分不相応。彼にとっても役不足と言うものだろう。
何より本を正せば部屋の戸締まりをしっかりしていれば済んだ話だ。前の住まいでも女一人暮らしとあって用心に用心を重ねていたのに、とんだ平和ボケである。
「私がそうしたいのです。貴女に何か遭ったらと思うと…っ…」
縋るように食い下がるグラジオに、珠希は困り果てた。
責任感の強いお方だけに、此度の事は責任を感じているのだろう―――。どうしたものかと頭を抱えた彼女は、はたとある事を思い出し、そして閃いた。




