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エルダの聖剣


 暖炉の前、大きな氷を浮かべた琥珀色のロックグラスを傾ける。

 突撃訪問勇者による一騒動があったその晩、珠希は鬱憤を晴らすように聖樹管理の報酬として女王より頂いた上等なウイスキーを呷った。

 あの後、勇者に対してローレン王子や外交官立ち会いの下にキツめの説教をし、随行していた護衛には勇者が態度を改めなければ出禁措置も辞さない旨を通達。マーガレット女王とも相談の上、聖樹の実を毟ったことに対する弁償も請求した。

 明日までに謝罪をすれば大目に見るとの温情は与えたが、どう出るかはあちら次第だ。


(余程の馬鹿じゃなければ謝りに来るだろうけど…、あの様子じゃ無理かもな…)


 コトリとグラスをテーブルに置きつつ、揺らめく炎を眺める。

 叱られている間も憮然としていたからに、残念ながら忠告の言葉は響いてはいないだろう。


 元の世界でも公園管理仕事を通して、あのような阿呆の非行は嫌というほどに見てきた。

 ゴミのポイ捨てや唾や吐瀉物の吐き捨て、犬の糞の放置に始まり、トイレの悪戯(糞尿を撒き散らす、塗りたくる等)、ペーパーを盗む、花や木を折る毟る踏みつける、ペンキやスプレーでの落書き、禁止区域での花火、極めつけは放火や遊具など施設の破壊―――。

 窃盗や器物破損に該当する場合は容赦なく警察を介入させていたが、現行犯でなければ捕まえるのが難しく何度、辛酸を舐めたか分からない。加えて、それらの後処理の腹立たしさと来たら筆舌に尽くし難く、罵詈雑言を吐いても腹の虫は治まらない。

 故に、件の勇者のような非行を非行とも思わない非常識な人間は大嫌いだった。


「…失礼します」


 ノックを伴い、アリスの声がした。

 時刻は九時。どうぞと返事を返し、そろそろ寝支度かと残る酒を飲み干し、晩酌の片付けをしながら腰を上げた。


「夜分に恐れ入ります、珠希様。勇者の一騎様がお見えです」


 ドアの前、口早に告げた困惑気味のアリスに珠希は不機嫌丸出しで顔を顰めた。


「もう遅いから明日にしてと伝えて」


 素っ気なく面会を拒否。

 当然だ。あれから何時間経ったと思っている。謝罪に出向く時間はいくらでもあった。


「…ですって」


 ドアの向こうに向け、アリスがそう告げる。

 良い気味だ。壁を隔てた向こう側、狼狽えているのが手に取るように分かる。


「お、お願いします。ごめんなさい、赦してください…!金貨十枚も取られたらこの先進めません…!」


「知らないわよ。そもそも何でもっと早くに来なかったのよ?聖女様に悪態吐いて打首にならないだけマシじゃない」


 ナイスアシスト。的確な追撃である。

 腕組で呆れ返るアリスの視線の先、騒々しくガチャガチャと鎧の衣擦れの音やら剣を置く音がした。


「生意気言いました…!ごめんなさい!赦してください!」


 くぐもった謝罪の声に、珠希は溜息。

 片付けようと手に持っていたボトルの栓を開け直し、溶けかけの氷にワンショット分注ぎ入れた。


「おい、生意気勇者。聞きたいことがある。入ってそこに座れ」


 聞こえるように大きめの声で告げ、くいっと呷ったグラスをタンッとテーブルに叩き置く。

 再びの衣擦れの音の後、おずおずと入室した勇者の一騎は、珠希が指差す暖炉前の床に正座。

 対峙するように彼女も項垂れるその前に腰を下ろし、胡座を掻いた。


「…反省したな?」


 顔色を覗き込み、珠希は確認。

 一騎は半泣きでコクコクと頷いた。

 ならば、良し。幸い、根は素直な青年らしい。きっとここまで勇者と担ぎ上げられて天狗になっていたのだろう。

 面倒だが、若者のオイタを正すのは大人の役目だ。

 元の世界でも迷惑行為や危険行為を繰り返す子供を説教したことがあったが、その親が相当な非常識で揉めたことがあった。

 子供の言い分を鵜呑みにして逆ギレして話が通じないわ、何故か被害者ムーブでこっちに謝罪を求めてくるわで頭を抱えた。

 ほとほと困り果てて仕方なく上司にヘルプを依頼し、警察と教育委員会を介した上でどうにか場を収めたが、以来、対人に恐怖心がついてしまい公共仕事では極力、来園者には声をかけず、その他の仕事でも施主や依頼人(取引先)以外とは関わらないようになってしまった。全く世知辛い世界であった。


「…アリス、悪いけど二人で話したいから席外してくれる?」


 異世界人同士として込み入った話があり、目を光らせるアリスに退室を促す。

 案の定、彼女は渋ったがどうしてもと頼めば五分だけだと渋々ながらに出てくれた。

 静まり反る部屋の中、暖炉の火だけがパチパチと音を立てる。

 カランとグラスの中で溶けた氷が嫌に鳴った。


「単刀直入に訊く。この世界は何のゲーム?それともラノベ?」


 その問いに一騎は息を呑んだ。

 俯いた頭を上げ、彼はキュッと口を結ぶ。

 静かに握られた膝の拳は、その背に圧し掛かっていた重責の輪郭を浮かび上がらせた。


「藤崎さん、気付いてたんだ…」


「…何となくだけどね。勇者だの魔王だの、展開がRPGに有りがちだから。それにここの植生も、ちょっとイギリスにしてはね…」


 戯けるように肩を竦め、身体を捻ってテーブル上のグラスを掴む。

 それは来た時から気付いていた違和感だった。

 ここはあちらの世界で言えばイギリス。建物や文化も見た目もそれに準じているが、しかし日々ここで生活しながら、肌に感じたのは妙な親近感だった。

 まるでイングリッシュガーデンを売りにする小洒落た地方の旅行先に来たような―――。

 決定打はコーディアルにして楽しんだヤマモモだ。日本ならお馴染みであるが、本来は日本列島か中国大陸が原産で、欧州諸国には自生していない。気候や風土を思えば、ここにあるべきは西ヨーロッパやアイルランド原産のイチゴノキ(ツツジ科の常緑小高木。実はヤマモモに似ているが秋頃から実り、アセビに似た壷形の花が冬に咲く)が妥当であるが、見当たるのはヤマモモの仲間ばかりだ。


「………、ここはエル剣…【エルダの聖剣】の【ヴォタニカリアの騎士】っていう作品の中です」


 そう告げた一騎は、ぎゅっと膝の拳を握った。

 瞬間、珠希は呷ろうとしていたグラスの手を止めた。


「マジ?エルダの聖剣って、あのっ?」


「知ってますか?」


「知ってるも何も…、うちの世代のゲーマーなら知らない人間いないわよ。二作目の【絶海の皇(すめらぎ)】なんて一世風靡した謎解き激難(むず)鬼畜ゲームってネット荒らした名作よっ?ステージ四の鬼の巣窟、私の世代はほぼ全員トラウマ…!酒の肴に語れるレベルよっ?」


 氷の溶け出すグラスを傾け、珠希はやや興奮気味に語る。

 まさか知っているゲームシリーズとは思わなかった。高校時代、SNSやネットニュース、動画サイトでも話題にもなった作品で配信者は挙ってやってみた動画を配信し、その難易度に阿鼻叫喚。興味を唆られて珠希も実際に遊んだ一人だ。


「それを超えたのが【ヴォタニカリアの騎士】なんです。てか、藤崎さんってもしかして平成初期生まれ?」


 そんな問いに思わず固まった。

 しまった。墓穴を掘った。


「………、…ばれたか」


 苦し紛れにテヘペロとお茶目に舌を出して肩を竦める。

 三十路手前が痛々しいがバレてしまっては仕方ない。


「俺等世代は【ヴォタニカリアの騎士】で阿鼻叫喚ですから。結局俺も全クリ出来ず仕舞い…。チャリでスマホなんかしなきゃな…」


 仄かな後悔を滲ませ、一騎はそっと正座を崩して体育座り。

 どうやら事故か何かの折にこっちに飛ばされたらしい。自業自得だがその薄暗い目に反省を見て、追撃はしなかった。身を持って後悔はしている。


「…ちなみに、その【ヴォタニカリアの騎士】が発売されたのっていつ?」


「去年の令和十五年です」


 その返答には目を丸くした。

 記憶間違いでなければ、珠希がこちらに呼び出されたのは令和五年である。


「マジか…、え、待って、次元歪んでる?いや、そうか…召喚術はそうだって言ってたな…」


 頭を押さえ、ブツブツ言いながら記憶を整理。

 当時は混乱していたが間違いない。ここに来たのは令和五年のゴールデンウィーク前。

 つまり、こちらでの一年は向こう側の約十年に相当する。

 もうあちらの世界には戻れないが、更に浦島太郎かと思うと余計に物悲しい。


「あの…、ちなみにですけど、三貴将はどこまで倒してあるんですか?」


 独りで何やら狼狽える珠希に、勇気を出して一騎は訊ねる。

 気を取り直すように、彼女は酒に熱った頬を叩いた。


「グラジオ様曰く、エレウシネだけ。夏至祭の時にサイペルスには出くわしたけど分身だったらしい…。うちのスイバを傷付けおって、次は只じゃ済まさんわ…」


 少し眠くなってきた頭を擦りつつ、怒り交じりに現状を報告。

 すると途端に一騎は膝を叩いて歓喜の雄叫びを上げた。


「っしゃ!グラジオ生還ルート!良かった〜!」


 安堵のあまり込み上げた涙を拭い、しみったれから一転、一騎は笑顔を見せる。


「は?え、待ってどういう事?あの時グラジオ様、危なかったってこと?」


 彼の言葉から不穏なものを感じ取り、珠希は詰め寄った。


「夏至祭戦ってゲーム最大の分岐点なんですよ。チャレンジ失敗するとメインキャラのグラジオが死んで、その先のストーリーがバッドエンド確定で…、てか、グラジオ生かすの激ムズで何度リセットしたか…」


 そう答えつつ、彼はポケットに仕舞っていたメモ書きを見せた。

 そこにはエルダの聖剣のシリーズごとの大きな出来事と時系列が並んでいた。


「…バッドエンドって?」


「世界滅亡エンドです。正確にはこのヴォタニカリアを残して他の全大陸が海に沈むんです。まあ、それが一番最初のエルダの聖剣に繋がるんだけど…。初めて見た時は衝撃でした」


 メモの矢印を追いながら一騎は説明。

 下側に書いてあるヴォタニカリアの騎士での各分岐点の一角には赤字で最悪の未来が綴られていた。


「え、てことは、この国があの天空大陸になる訳?」


 プレイした過去作のシナリオを思い出し、珠希は唖然。間もなく、彼女は重大なことに気付いて天井を仰いだ。


「そうだ、思い出したっ…、絶海の皇のラスボスの名前もエルフィエナだ…!何で気付かなかったんだろ…!」


 まさに盲点、痛恨。大ヒントが直ぐ側にいた。

 そもそも【エルダの聖剣】は3Dグラフィックにオープンフィールドが売りのRPGゲームで、シリーズを通して大陸の殆どが海に沈んだ荒廃した世界で、戦女神エルダの聖剣を手にした主人公が世界を救う物語だ。

 珠希がプレイした【絶海の皇】でも、海底都市の皇子である主人公が魔神を封じていたエルダの聖剣を魔神の手下に唆されて引き抜いてしまう所から始まり、魔神に攫われた封印の巫女である妹を助けに旅に出て、最終的には神の国とされる天空大陸にて魔神に操られた浄化の神エルフィエナの救済に向かう。


「あの…、マーガレット女王とグラジオって、今、仲悪いですか?」


 はたと投げられた問いに珠希は一瞬、考えて渋い顔を見せた。


「んー、正直、母と子って関係ではないわね。完全に君主と臣下」


「やばいな…、まだAエンドとBエンドの可能性が残ってる…」


 メモ書きに視線を落とし、一騎は顔を顰めた。


「それって、やっぱり世界滅亡?」


「Bはもっと最悪です。終盤で不意打ちからグラジオを庇った女王が死んで、今際の際の言葉から女王の想いを知ったグラジオが錯乱。魔王がグラジオの体を乗っ取って、この星ごと消滅します。女王を守ればAエンドですが魔王に身体を乗っ取られかけたグラジオが世界を滅ぼすまいと自決して…、失意の女王に代わってローレン王子が王位に就くけど、戴冠式でグラジオを慕っていたゼフィ副長に因る反乱が起きてヴォタニカリアは滅びます」


「全部、バッドエンドじゃん!」


 堪らず珠希は大きめの声を上げる。

 途端に廊下で待機していたアリスがドアを壊さんばかりの勢いで槍を片手に登場。

 キッと一騎を睨むや敵意剥き出しで間に割って入り、誤解だと慌てふためく彼に近付くなとばかりに刃を向けた。


「アリス、取り敢えず落ち着いて。てか、この槍どっから持ってきた?」


 殺気立つ彼女から槍を取り上げつつ、珠希は苦笑いで宥める。侍女として護ろうとする姿勢は有り難いが、少々過激だし方向性が間違っている。

 一先ず危ないので槍は元あった廊下の壁に戻し、誤解を解くべくここまでの話を多少オブラートに包みつつもアリスに説明した。


「つまり、勇者様は創造神アラガーシャから神託を受けていると?」


 メモ書きを指差しつつ、アリスは怪訝に確認。

 その手にはいつでも殺(ヤ)れるんだからな?とばかりに護身用の小型の杖が握られ、一騎は怯えながらコクコクと頷いた。

 由緒ある侯爵家の令嬢であるアリスは、自衛の為ある程度の攻撃魔法も心得ている。城内では下手な騎士よりも強いとの噂だ。


「まあ、そんな訳なの。一先ず、今後の対策を講じたいんだけど…、どうにも八方塞がりでね」


 腕を組み、戯けるように珠希は肩を竦めた。

 メモにある通りなら殆どの場合、大なり小なり何かしらの悲劇が待っている。

 故に、彼女等が目指さねばならないシナリオは一つに限られた。


「えっと…、取り敢えず、全面ハッピーエンドを目指すならトゥルーエンドのSエンドしかありません。難易度は鬼だけど…」


 おずおずとメモ書きのトゲトゲした強調の吹き出しを指し示しながら一騎は今後の展望を述べる。それ以外に大団円を迎える術はなかった。


「方法は?」


 膝を叩き、よし来た!と珠希は質問。

 すると、一騎はピッと両手で彼女を指差した。


「一先ずグラジオ団長と恋仲になってください。そんで魔王討伐まで死なないこと」


 言葉としては単純明快。

 しかし、理解までに数秒を要した。


「……は?え、無理、無理無理無理っ!はっ?え、ちょ、こんなオバハンに片足突っ込んだドボジョの何処に好かれる養素あんのっ?」


 青天の霹靂とはまさにこの事。

 慌てふためく珠希に、アリスもコイツ何言ってんの?とばかりに目を剥いている。


「攻略動画を見た限り、Sエンドは聖女とグラジオ団長が恋人になってないと行けないんです。ラスボス戦で魔王に身体を乗っ取られかけた団長は聖園で待つ聖女を想って闇落ちを踏み止まるので」


「ちょ…、それ完全に乙女ゲーの展開じゃん…」


「プレイヤー同士でも色々と意見はありましたよ…」


「そもそも、どうやってグラジオ様とお近づきになるのよ…、あちらさん騎士団長よ?向こうで言えば陸軍元帥よ?」


「俺もそこの攻略に苦労したんすよ…!下手な手を打つと聖女がグラジオ団長じゃなくて勇者を好きになっちゃうし…!」


 さも嫌そうな顔をする珠希に、他の手段が無く困り果てる一騎。

 混沌とした空気が流れる中、二人の言葉の端々がイマイチ理解出来ていないが、取り敢えず状況と今後の対策を理解したアリスは、ピッと手を上げた。


「珠希様、それでしたら丁度良い機会があります」


 そんな提案の言葉に二人は注目。

 アリスは手早く珠希の予定を書き記した手帳を取り出すや、ある日の予定を指し示した。

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