聖樹の庭
召喚された礼拝堂を出てすぐ、立派な宮殿との間に挟まれた四方硝子張りの超巨大庭園にそれはあった。
該当の聖樹とやらはヒイラギとセイヨウヒイラギを足して二で割ったような樹で、大きさとしては五、六メートルの中木サイズ。金の葉と言われていたが実際は黄色味が強い斑入り種だった。元いた世界なら園芸種と言われれば、何の変哲もなく植えられていそうである。
ただ、日本に自生するヒイラギはモクセイ科の常緑広葉小高木だが、欧州でお馴染みのセイヨウヒイラギ(クリスマスホーリー)はモチノキ科で葉の付き方も互生とあり、似て非なるもの。開花や結実の時期、芳香の有無、実の色も黒紫と鮮やかな赤色と細かいがそこそこ違いがある。
その上で眼前の樹を観察してみると、葉の付き方はヒイラギの特徴である対生だが、僅かに残る実が赤くて花が散り掛けな点から、どちらかと言えばセイヨウヒイラギに近しい。
どちらも魔除けや神聖な樹として扱われるがこちらでも大切な樹であることを示すように大理石と思われる綺麗な円形の縁石の中に植え付けられていた。
「あー、成程」
ガサガサと枝の中を覗き込み、一目で異変には気付いた。
枝が込み過ぎているし、表面上は払ったようだが中側は汚れでドロドロ状態。
きっと枝が多過ぎて風通しが悪くなり、虫が湧いて、スス病――アブラムシ類やカイガラムシ類の糞害による病気。葉や枝が煤を被ったよう黒くなるのが特徴――に侵され、光合成が出来ず弱ったのだろう。
斑入り品種は特に病害虫に弱い傾向があるし、これはがっつり枝抜きをした方が良い。
(えっと…、腰道具と…念の為、トップ〇ン使うか…)
作業着のままだったのを良いことに愛用の腰道具を手早く腰に巻き、手袋を嵌め、会社から借りパクしていたチューブタイプの樹木癒合剤をズボンのポケットへ。
気温や葉の萌芽具合から、こちらの季節は元いた日本と同じ初夏。基本的に常緑広葉樹は新芽の生長し切った今時期に行うのが良いとされるので、剪定するならベストシーズンだ。
「この大きさなら登って出来るんで、やっちゃいますね。危ないんでちょっと離れててください」
そう忠告して、たくし上げていた袖を伸ばし、刺々の葉に反撃されぬよう首巻きにしていたタオルで顔を防御。
いざ出陣と鋸をスチャッと引き抜き、新芽の無い枯れ枝をバンバン取り除きながら樹上へと登っていく。
その様に様子を見ていた王子と取り巻きはざわめき、遂には悲鳴を上げた。
「せ、聖女様!?な、何を!?」
「剪定です。こんなに枝が混んでたら虫の一つも湧きます」
ぴょこんと天辺から顔を出し、彼女は辺りの造りを示してピシャリと言い放った。
この巨大温室は聖樹を中心に、西洋に多かった整形式庭園の造りで出来ている。
贅沢に大理石を敷き詰めた水景には清らかな水が流れているが、ろくに掃除がされていないのか、底は苔と藻でドロドロだし、蚊の温床状態。
流れの終着点の睡蓮の池なんて、綺麗な造りのガゼボまであるのに無惨なものだ。
「あ、手の空いてる方、周りの除草…草むしりお願いします。こんなボーボーじゃ、いくら剪定したって虫の温床です」
指示を出しつつ切り進め、下に注意しながら豪快に葉についた煤を落としていく。
カイガラムシの群衆は枝ごと切れるものは切り落とし、鞄にあった金タワシやヘラで掻き落とす。アブラムシも同様、集っている芽は摘み取って潰せるものは容赦無く潰した。
「さて、こんなものか。これで虫は大分減ると思います。この切った枝の処分ですが粉砕するか焼却炉に持ってけます?このまま積んどくと虫や病気の温床なんで」
全身煤や虫の死骸でドロドロになった珠希は、積まれた枝と草のゴミの処分について検討を開始。
気付けば日が傾いており、どうやら召喚に当たり元いた世界での疲れは帳消しになっていたらしい。
軽い枝抜きのつもりが、すっかりやり込んでしまった。
「でしたら、火魔法で焼き払いましょう」
そんなファンタジーな提案と共に、王子は近衛隊を呼び出し、積まれた枝草ゴミへと手を翳す。
瞬間、近衛隊が放った火に王子が風魔法を繰り出し、枝草ゴミはあっという間に塵となった。
あまりに華麗な光景に珠希は思わず拍手。
そんな折だった。
視界の端にふわっと光が広がる。
何かと振り返れば、剪定した聖樹が光を纏っていた。
「蛍?」
ふわふわと舞う光をひょいと捕まえ、何だろうかと観察。
掌に捕まえたそれは淡く光る蜉蝣のような生き物だった。全体がガラス細工のように半透明で円らな目が可愛らしい。
「精霊蟲…!聖樹の力が戻った!」
感激のあまり涙ぐみ、王子が歓喜の声を上げる。
庭全体を包むように舞い上がった精霊蟲に人々は抱き合って喜んだ。
「聖女様ありがとうございます!これで我が国は救われました!」
体中ドロドロなのにも臆せず王子は珠希の手を握り、誠心誠意の感謝を述べた。
この程度の剪定で、これほど喜ばれるとは―――、正直、面を食らう。
造園屋としては、この庭全体を手入れしたいところだ。
「あー、いえいえ。唯、これからも剪定は定期的に続けないとまた虫が湧くと思います。あと…」
王子の高そうな服を汚しては悪いと、それとなく離れながら、ふと聖樹に影を落とす木々に目を向ける。
色は青みが強いが葉の形状から恐らくはヒマラヤスギの仲間。聖樹を守るように四方に植えられているが、こちらも随分長く放置されているらしく、もじゃもじゃも良いところだ。
「あの、明日にもこの辺の木を切っても?」
問題の木々を指差し、珠希は訊ねた。
こちらは八メートル超えで骨が折れそうだが、高所作業車必須の街路樹を相手にしてきた身からすれば、脚立で登れる高さは可愛いものだ。
「構いませんが…、何故これらの樹を?」
「これも悪さをしてるんです。このヒイラギ…、この聖樹は半日陰を好みます。西日が強過ぎるのも問題ですが、虫が湧いたり生育が悪くなったのは、そこの木々が必要以上に日陰を作って風通しも悪くしたからです。見た所、以前はきちんと管理していたのでは?」
「ええ、実は…。唯、新たに教皇となられたフラベール猊下が聖園は精霊の住処なので人の手が入るべきではなく、木々を切るなど言語道断だと…」
「誰だ、その馬鹿は」
思わず暴言が出た。
釈迦に説法。ろくに知りもしない素人の癖に、自らの威光を示すためにあーだこーだと口を出すのは有りがちな話だ。
これまでの仕事でも似たよなクレームに何度足を引っ張られたか分からない。
珠希は深く溜息を零し、頭に巻いていた手拭いを剥ぎ取った。
熱を持ったショートヘアを撫でるように吹いた風は爽やかで、思わず目を細める。
その姿にローレンは思わず目を奪われた。
異郷の聖女として呼び寄せたけれど、その勇猛な佇まいは風に立つ獅子のような孤高の覇気を纏っていた。
「"杜は森にはなり得ない"…、人為的に造ったり、一度でも人の手が介入した自然は人が管理し続けなければ簡単に崩れるんです。人が離れた森は荒れて壊れて…、何十年、何百年と掛かってやっと安定するけれど、それは元の森とは言えない…。我々人は森羅万象の一部であり、そうでありながら逸脱している存在だと自覚しなければならないんです」
手拭いをはたき代わりに全身の煤やゴミを落としつつ、珠希は訥々と告げた。
彼女の何処か真剣な眼差しと真理を突いた言葉に、ローレンは一転してゴクリと喉を鳴らした。
「あ、今のはあるお世話になった先生の言葉なんですけどね。兎に角!これから暫くこの庭を手入れします!池も水路も掻い掘りして綺麗さっぱりさせましょう!こんな綺麗なお庭なのに勿体無い!」
あっけらかんとトーンを変えて話を続け、今後の課題を提示。
集った人々は意気揚々と賛同の声を上げた。




