三貴将
夜の帳が降りた頃、綺羅びやかなシャンデリアに明かりが灯った。
集った紳士淑女はワインを傾け、思い思いに語らう。
王宮の大広間、玉座の傍らにてそんな様子を退屈に眺める珠希は、壁掛けの振り子時計ばかりを気にしていた。
聖女という肩書により半ば強制的に参加させられた夜会の席、壁の飾りになりきることでやり過ごす事にはしたが、それにしたって暇である。
(そろそろ、軽食の一つでも取りに行くか…、いや、こちらに目を光らせる殿方を釣りに行くようなものか…)
暇のあまり珠希は考えあぐねた。
段々と腹の虫が疼き出している。言うてそろそろ手洗いにも行きたい。
外仕事の宿命で、日頃トイレはあまり行かないよう膀胱は鍛えているが、舞の後の一杯と宴の乾杯で飲んだワインが効いてしまった。開演前に絞っては来たが酒の利尿作用の方が上手だった。
「あの〜」
とうとう我慢ならず、恥を忍んで傍らのメイドさんに声を掛けた。
すぐ戻ることを伝え、足早に大広間外のお手洗いへ。
幸い、この世界のトイレは現代のものに近しく、ペーパーも完備。有事に動きやすいようパニエの無いスレンダードレスにさせてもらったので用は足しやすかった。
慣れないヒールの足で並べく音を立てないように心掛けながら急ぎ足。日頃の大股歩きではカツカツ音が響いて、目立つので隠密行動を心掛けた。
「…では、今なら手薄だな?」
はたと聞こえた、そんな会話。
思わず足を止めた珠希はそっと曲がり角の暗がりを覗いた。
見えたのは上等な服の男と部屋に戻った筈のスイバとナズナの姿だった。
二人とも表情が嫌に暗く、スイバに至ってはその手に小刀と思われる鞘を握っていた。
「…本当にやるの?」
「何を今更…、その為にお前達を潜り込ませていたんだぞ?王子達を亡き者にすれば、クローヴァルト様は皆を蘇らせてくださると約束された。一族の悲願が叶うんだ」
男はそっとスイバの肩に手を置き、躊躇う彼に言い聞かせる。
その内容に珠希は絶句した。
「頼んだぞ?」
そう言い残し、男が踵を返す。
咄嗟に物陰に隠れた珠希は息を殺した。
こちらに気付かず真横を過ぎる男。その横顔を密かに確認して頭に叩き込んだ。
目元に小さいがほくろ。眉毛は薄く太め。幸い特徴のある顔だ。
男が完全に見えなくなった所で腰を上げ、スイバ達を確認。
二人は手を繋ぎ、意を決したようにこちらに向かってくる。
―――よし、一芝居を打ってやる。
再度、物陰に隠れて大広間へと歩き出す二人の背後へ。
同時にスイバが鞘を腰元に隠したのを確認した。
「ス〜イバ、ナズナっ!」
直前まで足音を潜めて忍び寄り、今だ!と二人に呼びかけながら、スキップで飛びかかる。
悲鳴を上げる二人の間に割り込み、素早くその肩に手を回した。
「こんなとこで何してんの?子供は寝る時間よ〜?」
ハイテンションで二人を抱き寄せ、擽り攻撃。更にはナズナの腰に手を回して回転してみたり、スイバの頭をぐしゃぐしゃにしてみたり。
うざ絡みで二人を翻弄しつつ、鞘の正確な位置を確認した。
「珠希様、もしかして酔ってる?」
「んー、酔ってるかも〜!」
そうニコニコしながらスイバを抱きしめ、キスせんばかりに頬擦り。
――よし、怪しまれていない。
抱きしめる流れで腰元に腕を回し、密かに手に持った扇と鞘を入れ替える。
ドレスの袖がふわっとしたロングタイプだったのはラッキーだった。日頃の作業で、腕が土方焼けして恥ずかしいと漏らしていたのを耳聡く聞いていたアリスのチョイスには拍手を送りたい。
「もしかして美味しそうな匂いに釣られちゃった〜?私も〜!」
そんな話をしつつ大広間へ。
木を隠すならなんとやら。酔っ払って足を滑らせた振りをして、腕に隠した鞘を長いクロスに覆われたテーブルの下に滑り込ませる。
転んだ聖女に、何事かと周囲がざわつく。
恥ずかしさに顔が熱くなったが好都合。酒に酔った感じが出る。
こちらに気付き、護衛役のグラジオと共に直ちに駆け寄るローレン王子。途端にスイバの顔が強張る。
「あ〜、ローレン王子〜!」
尚も酔っ払いを演じつつ、事に及ばぬようにスイバを抱きしめる。
ナズナは戸惑ったように珠希の背を擦り、そんな彼女もどさくさ紛れに捕獲した。
「随分、酔われたようですね…」
ローレン王子は眼前の双子が凶行に及ぼうとしていたなど露知らず。呆れ顔で、給仕を呼ぼうと目を背けた時だった。
覚悟を決めてしまったスイバが珠希の手を振り払い、腰に差した長物を抜き取る。
瞬間、抜き身の筈のそれを掴み取ったグラジオは反射的にスイバを蹴り飛ばし、共に薙ぎ倒されたテーブルと割れる食器の物音に周囲からは悲鳴が上がった。
倒れ込むスイバに珠希は青褪めた。
―――止めきれなかった!
後悔が押し寄せる間もなく、警備の兵士達がスイバを取り押さえる。
引き起こされた彼は眩む意識の中、声を張り上げた。
「っ!ナズナ、逃げろっ!一族の血と叡智を絶やすな!」
その叫びに弾かれ、立ち竦んでいたナズナが走り出す。
開かれた大扉、駆け付け雪崩込む騎士達と鉢合わせた。
騎士が目の色を変えて飛び掛からんとした途端、ナズナは驚異的なジャンプで彼らを飛び越え、軽やかに着地。そのまま人族とは思えぬ速さで城を駆け抜け、闇夜に姿を晦ませた。
「…どういう事だ?」
拍子抜けしたような声にハッと我に返り、グラジオに振り向く。
扇を握りしめ、呆気にとられていた。
気不味い空気の中、珠希はおずおずと立ち上がり、ご馳走の散乱する倒れたテーブルの下から凶刃を覗かせる鞘を拾い上げる。
それを見て、スイバは状況を理解。息を呑むや緊張の糸が切れたように嗚咽を漏らした。
「先程、目元にホクロのある男がこれを渡してこの子達を脅しているのを見ました。止めようとしましたが力不足でした。申し訳ありません」
端的に事情を説明しながら、グラジオへと小刀を渡し、深く頭を下げる。
そんな二人の隣、ローレン王子はただただ狼狽え、言葉に詰まった。
「何故っ…」
王子から漏れ出た言葉に、珠希は拳を握った。
「スイバとナズナは私の部下です。部下の不始末は私の責任です。罰するならば、どうか私を…」
珠希は頭を下げたまま、そう述べた。
王族への反逆は恐らく死刑―――、そう解りながらも凶行に及ばざるを得なかった理由があると悟っていた。
守れるなら守りたかった。
「詳しい話を聞かせてください」
戸惑うローレン王子の肩を叩いて諭しつつ、グラジオが聴取同行を願う。
重い空気の中、珠希は顔を上げて頷き、指示に応じようとした―――、その時だった。
「珠希様っ!」
悲鳴じみた声が轟く。
振り返った先、飛び掛かったスイバに押され、よろけた珠希はグラジオの胸に倒れ込む。
刹那、役立たずは消えろとばかりに放たれた禍々しい漆黒の矢が、あどけない彼の脇腹を貫いた。
「スイバっ!!!」
矢の勢いに薙ぎ払われ、床に倒れ込んだスイバに珠希は絶句した。
直ちに駆け寄り、傷口を確認。息も絶え絶えなスイバに突き刺さった黒の矢は、引き抜こうと掴んだ瞬間、目の前でモヤとなって消え失せ、代わりに赤黒い痣がその身体を蝕んだ。
「ほ〜、これに耐えるとは!やはりラウラセアの血は侮れんなぁ?」
忽ち混乱に陥る大広間に飄々とした声が轟く。
見つめた先、ふわりと異質に浮かんだ姿はスイバを追い込んだあの男だった。
「常人ならば即死の毒だと言うに…!これは面白い!」
そう嗤う男は被った皮を剥ぐように髪を掻き上げ、隠していた不気味な触覚を覗かせる。
バキバキと異質な音を響かせながら伸びた身体は百足の如く。光沢のある体をくねらせ、いくつもの節足で逃げ惑う賓客を蹴散らした。
「全体、戦闘態勢!三貴将サイペルスだっ!」
慄く珠希とローレン王子を引き下がらせ、グラジオは声を張り上げる。
三貴将サイペルス―――、その悪名は大広間に居合わせた人々を震撼させた。
「ほお?よく見れば、不遇の王子もいるではないか…!フィーユ半島での雪辱、晴らさせて貰うぞ!」
そう告げた異形の存在サイペルスは、楽しげに手を振り翳し、スイバを襲ったのと同じ無数の矢を召喚。
途端に騎士達は防壁で矢を弾きながら陣形を組み、玉座にいた女王を最優先に避難誘導を開始。
その間、珠希はグラジオに渡した小刀を拝借してドレスの裾を裂き、スイバの止血を試みる。ローレン王子も治癒魔法で広がる痣の分析と解毒を急いだ。
「…た…まき…さま…っ…、ごめ…な…さ…っ…」
「喋んな、馬鹿たれ!」
戦闘の轟音が間近に轟く中、泣きながら謝るスイバを怒鳴り付け、珠希は焦りを滲ませた。
仕事柄、運転や機械操作が多く、思わぬ怪我や事故に向けて救命救急の講習を会社が開いてくれたこともあったが、知識はあっても実践は別物だ。
必死に傷を押さえるも止まらぬ血に手が震える。
すぐそこではグラジオと騎士達が光の防壁を展開して猛攻に耐え、ローレン王子も汗を搔きながら治療を急ぐ。
魔法至上主義のこの世界。己の身一つ守れぬ無力さに悔し涙が滲んだ。
「ふはははっ!私の鎧にはそのような攻撃は効かぬわ!」
高笑いする声に、珠希はハッとした。
防壁の向こう、騎士達が放つ氷の矢を前に百足のような硬い身体を盾にするサイペルスは涼しい顔。槍や剣の刃も諸共しない。
賓客の避難が完了していない今、騎士達は防衛に徹する他なく、攻撃手段も延焼や感電の恐れのある火炎や電撃は憚られた。
「畜生!虫系魔族の癖に何で氷魔法が効かないんだ…!」
若手騎士より漏れた弱音に珠希は閃いた。
「熱です!ムカデなら熱が弱点です!ムカデの毒は四十二、三度で無毒化します!」
そう叫んだ彼女に騎士達は目を丸くした。
同時に何かに気付いたローレン王子も治療方法を変更。途端にスイバの顔色が回復し、血も止まり始めた。
「兄上、有効です!毒が無害化しました!」
弟からの報告にグラジオは瞠目。
俄に勝機を見出した。
「それなら朝飯前だ…!」
不敵に微笑み、グラジオは抜刀した剣を縦に構える。
瞬間、彼の前方に浮かび上がった赤と水色の二重の魔法陣から灼熱の霧の竜が放たれ、周囲の毒矢ごと余裕綽々だったサイペルスをバクリと飲み込んだ。
こんなもの痛くも痒くもないと一瞬は嗤っていた。しかし、間もなく絶叫が轟いた。
「あ、熱い!?熱い!!な、なんだこれは!!?」
忽ち崩折れ、サイペルスは身を捩りながら平伏す。
燃えている訳ではないのに、燃えているかのよう。振り払いたくとも纏い付く霧の竜は、見る見る異形の身体を茹で上げた。
「二重召喚魔法は初めてかね?私にとっては紅茶を淹れるようなものだよ」
勝負はついたとばかりに霧の竜を解除し、止めを刺さんと歩み寄るグラジオは軽蔑の目で風前の灯の異形を見下ろす。
絶望と驚嘆の眼を向けるサイペルスは、何か納得したように悔しげに嗤った。
「な…る…ほど…、こ、れが…、…エレっ…シネを…破った…っ…賢者の…っ…」
そう言い残して間もなく、サイペルスは力尽き、その体から黒い靄が湧き出たかと思うや干からびた上半身の皮だけがその場に残った。
その顔は人族ではなく獣人族のもの―――。グラジオは思わず顔を顰め、静かに拳を握った。
「やった…のか?」
「倒した…、三貴将を倒したぞ!」
「やった!グラジオ様がやってくれた!」
動かなくなった異形に途端に上がった歓声。
騎士も兵士も賓客も危機は去ったと涙を浮かべて喜んだ。
「…珠希…様…」
微かに聞こえた声に珠希はハッとした。
いつでも逃げられるようにと抱き抱えていたスイバは、酷く疲れた様子で彼女の顔に手を伸ばし、瞼に残る涙の痕を拭った。
「ごめんなさい…、騙して…、黙ってて…、ごめんなさい…っ…」
涙ながらにそう告げ、スイバは安堵したように意識を失う。
その直後だった。
腕の中、俄にスイバの姿が変わっていく。
なんの変哲もなかった耳が大きく広がり、身体全体が短いながらもふわふわの体毛で包まれる。それは頬にも広がり、腰元からは長く靭やかな尻尾が伸びる。
その姿は元いた世界の動物園で、可愛いと眺めていたタマリンに何処か似ていた。
「やはりラウラセアの生き残りだったか…」
呆気にとられる中、そう呟いたグラジオに珠希は驚愕の目を向けた。
気付けば怪我人の搬送が始まり、救護隊も駆け付けていた。
「ラウラセアは霊長類の獣人で、植物との親和性が高く緑の番人と呼ばれていました。粛清の折、氏族長の息子達が行方不明になっていたことは聞いていましたが…」
ざわめきの中で彼は膝を折り、悪いことをしたとばかりにスイバの頭を撫でる。
弟ローレンの治癒魔法で瀕死状態からは回復したものの、床に残る血痕から急ぎ追加の治療が必要だった。
「ところで何故、サイペルスに熱が効くと?」
はたと尋ねつつ、グラジオはスイバを抱き上げる。
魔力切れ寸前で草臥れ模様のローレン王子に手を貸しつつ、珠希は肩を竦めた。
「元の世界で百足に噛まれた後輩の手当てをした事があったんです。その時は流水で流して毒抜きして近くの皮膚科に飛び込みましたが、後で調べたら百足の毒はタンパク質だから熱いお湯で温めると良いと知りまして…」
疲れ果てて歩くのもしんどそうな王子を肩に担ぎ、珠希は苦笑いで返答。
自然相手の仕事柄、虫との遭遇は日常茶飯事だが百足や毛虫、蜂類など毒を持って刺してくるタイプは要注意だ。
故に仕事着は真夏だろうが常に長袖長ズボン、手袋に首巻きタオルが欠かせない。肌を出すのは自殺行為。そもそも吸血昆虫に餌をやる様なものだ。
「なるほど…、ではスズメバチ型魔族だったエレウシネにも熱が効いた可能性が…」
「いえ、寧ろスズメバチは寒さで鈍ってる内の方が殺りやすいです。さっきみたいに室内で茹でるか焼けば行けますが、奴ら無茶苦茶逃げ足速いし、四十度の気温の中でも案外飛べるので。動きの鈍い春先か冬眠中を駆除するのが一番です。増える前に女王を叩きましょう!あと発煙筒などの煙も有効です!」
出口へと進みつつ過去の戦闘を振り返る彼に、珠希はキラリと目を光らせて反論。
急に饒舌かつ真剣に語る彼女に、グラジオは勿論、ローレン王子も目をパチクリさせた。
――それは本物のスズメバチの駆除方法では?
そう彼らの顔が言っているのが見えて、珠希はハッと我に返った。
「すみません。過去何回か蜂に刺されまして…、その、少々恨みが…」
苦笑いではぐらかす珠希であるが、蜂への憎しみは少々なんてものではない。
植木の刈り込みや草刈りに際してエンジン音で、蜂の発する羽音やカチカチという警告音が聞こえない為、巣を壊して怒らせてしまい集団で襲われたことは数知れず。時にはご贔屓さんからどデカい巣の駆除を依頼されることもあった。
春先ならば数が少なくまだ楽。次の女王が生まれる秋頃の駆除は地獄だった。
蜂用防護服や厚手のズボンを着ていようがお構いなし。手袋の上から刺された時は手がグローブになった。
幸いアナフィラキシーショックのような重篤な症状が出たことは無いが、夏場は一本三千円の蜂スプレーとポイズンリムーバーの携帯が欠かせなかった。
「な、何はともあれ急ぎましょっか!さ、ローレン王子頑張って!」
ハハハッと誤魔化しつつ、ローレン王子をひょいと背中に担ぎ上げる。
日頃、草ゴミや枝の束を担いでいる腕っ節。天候によっては水を吸って己の体重の半分かそれ以上になる時もあるそれらを運び続けて鍛え上げた身体は、細身の王子を容易く背負ってしまえる筋肉量を得ていた。
周りが、えっ?と驚愕の目を向ける中、珠希はその場から逃げるように駆け出した。




