真夜中の後悔
十二時を知らせる鐘の音が響く中、てんっと書斎机に置かれていたお菓子の箱に女王マーガレットは目を丸くした。
添えられていた一筆は息子グラジオの字で、お菓子は聖女である珠希からの贈り物であること、更に彼女から今日の外出許可を出してもらったことに対する礼の言葉が代筆されていた。
「十時頃にグラジオ団長がいらして、置かれて行きました。緊急会議で当面戻らないとお伝えしましたら、こちらの茶葉もと…」
夜食の準備をしていた老齢の侍女はそう告げ、新しい茶葉の箱を開ける。
「…その茶葉っ…」
見覚えのあるパッケージに女王は思わず胸を詰まらせた。
それはグラジオの父ユーリが好きだった紅茶店の商品であり、ある時お忍びで城下町に出かけた折に三人で選んだ思い出の一品―――。
思えばあれが前夫との最後の思い出だった。
「………、労いのつもりか、はたまた当てつけのつもりか…」
思わずそんな思案の言葉を漏らし、茶葉の箱を手に取る。
当時僅か十一歳の息子を切り捨てたことは、一生の罪として背負っていく覚悟を決めていた。
そうしなければ、彼を――グラジオを守れなかった―――…。
一昨年、北部の視察中に落石事故で亡くなった二番目の夫と異なり、最初の夫ユーリとは恋愛結婚だった。
幼い頃から魔法の扱いに長けていたマーガレットは、将来は賢者として先王の兄の力になりたくて、本来なら王宮から出ることなく過ごす王女の慣例を破って魔法学校に進学。そこで彼――、ユーリと出会った。
同期として学年首席の座を争うライバル同士として切磋琢磨する内、自然と惹かれ合った。
彼はしがない田舎貴族の令息で身分に差はあったけれど、兄と違って比較的自由の利く身だからと気にしなかった。
けれど卒業を目前に父王の独断で現ガザーニア帝に嫁がされることが決まり掛けた。
嫌だった。
愛したこの国を離れたくなかった。
その時、ユーリは一緒に逃げてしまおうと提案してくれた。
それはほんの若気の至り。少しばかり国を騒がせたら腹を決めるつもりだった。
しかし、彼は本気だった。
王宮から自らを連れ去り、近衛騎士団の軍勢を相手に真っ向から対峙しておきながら、圧倒的な魔法で猛者を捻じ伏せたのには驚きを隠せなかった。
彼は既に賢者の域に達していた。それをひた隠していた稀代の天才だった。
フィーユ半島まで逃げ遂せ、二月ばかり二人で寂れた村に身を潜めた。
楽しい日々だった。
王女の肩書も王族の柵も忘れて生きられる自由が心地良かった。
いっそこのまま唯のマーガレットとして生きていきたい―――、そう願うあまり、ユーリと一線を越えた。
その時に宿したのがグラジオだった。
愛の逃避行の末に純潔さえも投げ捨てた彼女に、ガザーニア帝もそこまで嫌ならと縁談を解消。父も優れた魔導師として頭角を見せつけた彼ならばと結婚を赦した。
ユーリは非の打ち所の無い夫だった。
物腰柔らかく城の者からも慕われ、王女の夫として尽くしてくれた。下級貴族の出身で苦労も相当であった筈なのに、そんな素振りも見せず気丈に振る舞った。
健気な夫に似てグラジオも魔法の才に恵まれ、勤勉で人に優しく、良く出来た息子だった。
けれど―――、聖女エリカが王妃となったことでその幸せは崩れた。
エリカに溺れる兄や周囲の姿に異変には気付いたが、真っ先にそれが魅力魔法だと理解したのもユーリだった。
彼は直ぐに解呪を試みたが、既に城全域に魅力の呪いは蔓延し、ユーリは有らぬ罪で投獄された。
抵抗はしたものの後ろ盾の無い彼を守れる手札は少なく、溢れ出る証拠の数に彼を信じる心は疑心に変わった。それすら魅力の呪いだと気付いた時には、彼の首は切り落とされていた。
警鐘を鳴らしてくれた彼を守れなかった悲しみに追い打ちをかけるように、忘れ形見のグラジオにさえ魔の手が迫った。ユーリに似て聡明な彼をエリカは警戒した。
息子を守るため、王家に次ぐ権力を誇る大貴族の宰相の子息で稀有な聖魔法―――、治癒や解呪魔法に長けた男と再婚し、急ぎその間に子を設けた。
全てはグラジオをエリカの目の届かぬ地に逃す為―――、城にいてはいつ暗殺されるか分からず、その手に王位がある限り、狙われ続ける。だから残酷でも彼を突き放すしかなかった。
追い遣ったフィーユ半島の砦にはユーリの恩師であったアカンサスがいた。アカンサスならグラジオを守り育てられると信じた。信じるしかなかった。
そうして時を経て、自らの力で戻ってきた息子は、ユーリを凌ぐ立派な賢者となっていた。
再会の時、覚悟はしていた。
その目に映る己は最早、母ではなく君主でしかないと―――、凛々しい騎士団長の顔の下、その目が憎しみを湛えていることも―――…。
「…いっそ毒を寄越してくれれば良かったのにっ…」
茶葉の箱を抱きしめ、女王となった母は一人、やり場のない悲しみを零す。
その姿を前に侍女は静かに頭を下げて退出した。
静かな部屋の中、溜息一つ。
折角のお茶が冷めては用意してくれた侍女に悪いと椅子に腰掛け、カップを手に取る。
そうして、一口を口に含んだ時だった。
「失礼します」
侍従の声に浮かべた涙を拭い、女王の顔を貼り付ける。
どうぞと答えれば、侍従は何処か慌てた様子で手紙を寄越した。
「夜分に申し訳ありません。キトリア帝国皇帝陛下よりお手紙です」
「ガザーニア陛下から?」
添えられた言葉に眉を顰める。
急ぎ手紙を開いて内容を確認すれば、兼ねてより依頼していた調査の結果であった。
「…そう…、とうとう召喚したのですね…」
そう言葉を漏らし、女王は腹を決めるように瞼を伏せた。




