第12話「補習で殺される」(3/3)
「うぅ……ん……」
何が起こったのか良く分からないが、キリカは壁に寄り掛かるように座り込んだまま完全に伸びてしまっている。
(何かの病気、ってわけじゃないよな……?)
顔は上気しているが呼吸の乱れなどは感じられない。ひとまずはこのまま放置しておいても問題なさそうだ。
キリカに対する親父さんの愛を最後までしっかりと説き伏せたかったが……まぁ、これはこれでプリントを解く猶予が生まれたので好都合である。
視線をキリカから更に下、俺の足元へと移す。
そこには先程の予想どおり、激痛の原因であるサバイバルナイフが左足首の根元、ちょうど靴による保護がなされていない部分に見事に突き刺さっていた。
先端しか刺さっていないとは言え、自由落下の勢いだけで人体に刺さるとは大した切れ味である。
「――痛、ぅ……っ」
足首の力を抜きつつ、慎重にサバイバルナイフを引き抜く。幸い出血は酷くはなく、靴下に血が多少滲む程度で済んでいる。
このナイフをこちらが持っていればキリカが目覚めても大丈夫……とも言い切れないのが初めて彼女に殺されかけた時の状況を鑑みた結果ではあるが、とりあえず彼女の状態を視界に捉えつつプリントに挑めばある程度は有利に動けるはずだ。
(さて、後はプリントを片付けるだけだな)
設問は残り約半分、遅くとも下山先生が戻って来るであろう夕方までには終わらせて帰る事ができるだろう。
プリントが終わっていないのはキリカも同じだが、だからと言って彼女を起こすと言うリスクある行動をむざむざ取るわけにもいかない。
少なくとも俺がプリントを終わらせて帰るまではおとなしく寝ていてもらうしかない。
俺が帰った後にキリカが自力で目を覚ますかどうかまでは分からないが、いずれにしてもその頃には先生が戻るまでにプリントを終わらせる猶予は尽きているに違いない。
可哀想だが彼女には臨海学習を諦めてもらうしかない。俺は鳴神の水着の為、何とかプリントを終わらせて――
『そう言やあの時のデパート、キリカちゃんも来てたんだぜ』
不意に、キッペーが話していた事を思い出す。
(……。)
『ちょうど買い物を終えて帰るところだったみたいだし、あの火災には巻き込まれなかったみたいだけどな』
『どうも新しい水着と、あと何か海で使う道具を買ってたみたいだな。俺が買おうとしてたBBQ用具についても色々聞かれたなぁ』
(………。)
自分のプリントを解く手を止めて、隣にあるキリカのプリントを確認する。
ご丁寧にも俺のプリントとは全く出題内容が違う下山先生お手製のプリントは、俺よりも更に進捗状況が思わしくない。
『キリカちゃんも臨海学習に参加するのか聞いてみたんだが、何か微妙な顔してたんだよな。すみれに聞いたんだが去年は補習で出られなかったとか』
『って補習なのはタクも一緒か。タクもキリカちゃんも、今年は参加してくれよな?』
(…………。)
――思えばこの3日間、俺は鳴神の水着姿ばかりを夢見て補習に臨んでいたが。
(楠木の水着姿も――それと、キリカの水着姿も気になるところなんだよな)
ふと、そんな事を思い直していた。
・
「おお! 剣菱、まだやってたのか! 頑張るなぁ!」
既に陽も沈みかけた夕暮れ時。
俺は教室内にひとり残った状態で、部活から戻ってきた下山先生を出迎えるハメになった。
「すみません、あと2問で終わるんでもうちょっとだけ待ってください……」
「おう、いいぞいいぞ! 勉強ってのは頑張る事に意義があるんだ、先生いくらでも待ってやるぞ!」
「ありがとうございます……ところでこのプリント、何問以上正解でクリアになるんですか?」
「ん?別に何問以上なんてないぞ? 回答がだいたい埋まってて、それがちゃんと考えた結果の回答であれば、例え全部間違ってても補習は合格させてやるぞ!」
豪快に笑いながら、下山先生は既に帰った生徒たちのプリントを回収し始める。
先生の話どおりであれば、俺は残り2問の問題を解けば晴れて臨海学習への道は開かれるわけだ。
……問題は、残り一人の水着姿が見られるかどうかだが――
「山田ももう帰ったんだな。先生、実はお前と山田が仲良く最後まで残ってると思ってた――」
キリカのプリントを回収しながら笑っていた先生の言葉が止まり、笑顔が真顔へと変わる。
「…………。」
「せ、先生? どうしました?」
「――剣菱、悪い。 ちょっとお前のプリント見せてくれないか?」
「あ、は、はい」
先生の要求に対して、俺は平静を装いながら解きかけのプリントを手渡す。
「ふ~~~ぅむ…………」
先生は俺のプリントと、キリカの全問解かれたプリントをじっくりと見比べている。
「剣菱、山田は本当にお前を置いて帰ったのか?」
「え、あ、はい。 ……山田のプリント、何かまずかったですかね?」
「――そうだなぁ、まずいと言えばまずいんだが……うーん……」
2枚のプリントを両手に持ったまま腕組みをして、先生は困ったように唸っている。
「……剣菱、山田は来週なんか用事あるとか聞いてるか?」
「あ、はい。実は俺も山田も来週の臨海学習に参加予定なんです。それで今週中に補習を全てクリアしようと……」
「そうか……。 そうなると、山田のプリントがまずいと言うわけにもいかんなぁ……」
そこまで言って、腕組みをしたまましばらく唸ったあと。
下山先生は急にこちらを向いて2枚のプリントを手で叩きながら笑い出した。
「――よし! 何があったかは知らんが、剣菱に免じて山田も合格にしといてやる! それじゃこのプリントはどっちも回収していくぞ!」
「え、でも先生、俺のプリントまだあと2問残って……」
「お前はもう1枚ぶん以上解答してるんだしもう充分だっての! じゃあな剣菱、山田と臨海学習楽しんで来いよ!」
一方的に笑い飛ばした後、下山先生はプリントの束を持って教室を出て行ってしまった。
「――やれやれ」
頑張って字を似せたつもりだったがあの様子じゃ完全にバレてるな、と思いつつ、再び静かになった教室内で大きく身体を伸ばす。
この教室で何があったのか、細かい事情を聞かれなかっただけでも良しとするか。
「――痛てて……」
相変わらず血が滲み続ける左足をかばいながら立ち上がり、その足を引きずるように教室の隅へと歩く。
そして段ボールで雑にこしらえた覆いを取り去り――相変わらず気持ちよさそうに寝ているキリカと対面する。
「まったく……こっちはお前に殺されかけながら色々頑張ってたってのに、いい気なもんだぜ」
独り言ちながら、幸せそうな彼女の寝顔を見つめる。
俺のアドバイスに従い父親に好きだと言って、晴れて父親と仲直りして肩を寄せ合って……。
そんな、彼女の気持ち次第できっと実現するであろう正夢でも見ているんだろうか。
(まぁ、夢が実現するかどうかはこいつの気持ち次第だろ)
そう思いながら、俺は1枚のメモに彼女への伝言を記していく。
下山先生がキリカの補習クリアを認めてくれたこと。
来週の臨海学習で会える事を楽しみにしていること。
そして……できれば、その時に父親と仲直りできたかどうか教えて欲しいこと。
「……ぅーん……」
こちらの思惑も知らず、山田桐香は呑気に寝息を立てながら幸せな夢を見続けている。
こいつが殺し屋でなければこっそり帰らずにやんわりと彼女を起こして話の続きをしたかったんだがな、と思いつつ。
俺は書き終えたメモと、鞘に納めたサバイバルナイフを彼女の右手に添え、そして五指を1本ずつ畳むように握らせる。
「んぅ……ん……」
外から聞こえていた部活動の声も既に途切れて。
内外ともに俺たち以外の気配が消えた静寂な空間の中、その紅潮に同調するように窓から差し込む黄昏に頬を染められて。
「……た……くま……」
彼女が見ているであろう夢の内容とは無縁な俺の名前を何故か呟きながら。
キリカはメモの添えられたサバイバルナイフを――父親から託された只一つの才能を、零れ落ちないようしっかりと握りしめていた。




