第12話「補習で殺される」(2/3)
「――っつぅ………っ!!」
鎧袖一触、必殺の一撃たるキリカの横薙ぎを仰け反るように躱した俺は、そのまま椅子ごと転がるように後退する。
即座に上体を起こしながら正面を向くと、抜刀の勢いで後方に落ちるサバイバルナイフの鞘の動きと――その手前、開いた距離を詰めようと姿勢を低くするキリカの動きがスローモーションで流れる。
(……くっ……!)
殺し屋であれば当然のセオリーだ、相手に反撃や逃亡の隙を与える道理はない。
――しかし鳴神の一足飛びよりは僅かに遅い。
これまで散々あいつの追撃を食らってきた今の俺ならば、キリカに間合いを詰められるまでに何かひとつ行動を起こせる確信があった。
そしてその行動は回避行動でも逃避行動でも――ましてや命乞いでもない。
「キリカ! ――落ち着けっ!!」
「待て」でも「やめろ」でもない、相手の自律を促す要求。
躊躇なく全力で叫んだその要求が不意打ちとなったのか、接近しようとする動きを止めた彼女に対して俺はすぐさま、しかし冷静に言葉を畳み掛ける。
「……確かに今はここに俺達しかいない、だけど部活が一段落したら下山先生は俺達の様子を見にここに戻って来るぞ?」
「……。」
「鳴神と違ってキリカのやり方で俺を殺したら血が相当出ちゃうだろ? それを掃除して俺の死体も片付けて、物理のプリントも処理して下山先生が戻って来るまでに逃げる……流石に、ちょっと厳しくないか?」
「……それは、そうだけど……。」
ナイフの射程内一歩手前、そこから全く動かぬまま、キリカは俺の話に耳を傾けてくれている。
彼女の意識が再び右手に持たれたナイフに移らないよう、沈黙を作らぬように俺は次に話す言葉を必死に探し続ける。
――徒手空拳の鳴神と違い、キリカのナイフに対し真っ向勝負を挑むのは文字通り自殺行為だ。
例え闇雲にナイフや包丁を振り回すだけの素人が相手でも、その攻撃を無傷で避けつつ無力化させるのは極めて困難だと言われている。
まして相手はイタリアン・マフィアに神童とまで称えられた天才少女だ。俺がその才能を遥かに上回るチート野郎でもない限り、初めて教室で相対した時のように一方的に惨殺されるのがオチだろう。
戦うのが無謀なら逃げるしかない、しかし例によって教室のドアは俺ではなくキリカの立ち位置の方に近く、彼女のナイフをかいくぐりドアを突破するのもやはり厳しい。
戦うのも駄目、逃げるのも駄目――となると、残された手段は交渉しかない。
俺は人質を開放する交渉人として、犯人を刺激しないよう慎重な交渉をしていかなければならないのだ。
「……キリカ、何も今日慌てて俺を殺す事は無いだろう? 明日俺が転校しちまうわけでもないし」
「……。」
「下手にしくじって下山先生にお前の犯行だとバレたら元も子もない――」
「――うるさいわね、あたしがしくじるはずが無いでしょう?」
弛緩しかけていた空気が一気に張り詰め、彼女のナイフを握る力が強まるのを感じる。
……まずい、「下手にしくじって」と言うワードが彼女のプライドを刺激してしまったか。
「……あぁ、うん、そうだな。キリカがしくじるなんて俺も考えちゃいないさ。お前は俺をいつでも殺せるはずだ」
「…………そうよ、当たり前じゃない」
「だろう? だからこそ今慌てる必要は無いはずだ。万が一でも下山先生がすぐに戻って来る可能性だってあるわけだしな」
「それはまぁ……そうね」
再び、彼女のナイフを握る力が弱まるのを感じる。
この機に乗じて休戦を持ち掛けてみるか、とも思ったが……もう少し、慎重に彼女の本質へと踏み入る事を試みる。
「――なぁ、キリカ。 そんなに凄い才能があるのに、何でそんなに焦ってるんだ?」
「……焦ってなんか、ないわよ……。 ただ、早く殺せって、お父さんが……」
「親父さんにそう言われてるのか。 ……凄いな。キリカは、親父さんに期待されてるんだな」
「き、期待……? そ、それは無いと思うけど……ただ怒られてるだけじゃ……」
「期待してもない奴をいちいち怒ったりしないだろ? そう言うことだよ」
「そう、なのかな……」
半ば詭弁であり、半ば本心の称賛である俺の言葉に対し、キリカはナイフを胸元に携えながらもじもじと思考を巡らせ始める。
今なら休戦を持ち掛けるまでもない、隙を突いて彼女の横を抜けて逃げ出す事も出来なくはないが……もし失敗したら彼女を激昂させ、信用を失わせて、今日どころか今後もずっとこうした交渉をする事が厳しくなってしまう。
やはりここはもう少し交渉を続けて、彼女の戦意を完全に失わせる事を目指すのが得策だろう。
「……あたし、上手く殺しが出来なくて、お父さんに怒られてばかりで……それでお母さんにも迷惑を掛けちゃって……」
「親父さんがお袋さんに辛く当たってるのも、親父さんがキリカに期待している気持ちの裏返しなのかもな。何と言うか、つい苛立ちをぶつけてしまうみたいな……」
「そう、ね……お父さん、お母さんの事が嫌いと言うわけではなさそうだし……」
「だろう? 俺をきっちり殺すか――いやまぁできれば他の方法にして欲しいが――ともかく、親父さんの期待に応えれば、キリカの思ってる以上に家族関係は一気に改善されると思うぞ」
「だと、いいけど……」
首尾よくキリカはこちらの口八丁に乗せられてくれている。
よし、後は「確実に俺を殺すなら今じゃないでしょ」と説得すれば彼女も納得してくれるはず――
「……でも、何でお父さんはこんなあたしに期待してくれているのかしら……」
――この期に及んで、キリカはまだ自分の父親を、自分自身を信用し切れていないらしい。
こいつは一度きちんと分からせてやらないと駄目だ、そうする事で今日だけでなく今後の彼女との交渉もやりやすくなるだろう。
「だいたい、何であんたはそんなにあたしにお節介をかけてくるのよ?」
キリカが何か言ったような気がしたが、特に気に留める事なく。
「――そりゃあ、決まってるだろう。お前の事が好きだからだよ」
これ以上ない完璧なキメ顔で、俺は彼女に答えた。
・
「――えっ……ええぇぇぇ――っっ!!?」
父親の愛を説く俺の言葉に対し、キリカは俺が思っていたよりも遥かに驚きながら後ずさる。
俺の推測とは言え父親が彼女に抱いている本心がそこまで意外だったのだろうか、ともかく彼女の動揺は俺にとって彼女の戦意をゼロにし、そして今後の交渉を有利に進めていく大きなチャンスである。
「そ、そそ、そんなこと急に言われても……っ! だいたいあんた、今までそんな事ひと言も言った事なかったじゃない……っ!」
「いや、そりゃまぁ……お前とこんな事話すのはこれが初めてだし、俺だって今こうして話してるうちに気付いた事だし……」
「い、今気が付いたって……だだだからって、今こんな時に言う事ないじゃない!!」
構えたナイフを、そして表情を震わせながらキリカは抗議する。
確かにこんな時に彼女の父親について諭すのはひどく場違いだったかもしれない。
だがしかし俺は人質の救出のため、この指摘を足掛かりにお前の戦意を削がなくちゃならないんだ。申し訳ないがもうしばらく付き合っていただくしかない。
「つ、付き合うって、そんな……。 あ、あんたの言いたい事は分かったけど、あたしにだって心の準備が……」
ナイフを構えたまま、キリカは力なく後ずさり続ける。
――だいたい合点が付いてきた。
恐らくこいつは家でもこんな感じで肝心なところでヘタれて、父親におかしな態度を見せて誤解されてきたのだろう。
そうでなければここまで才能溢れる彼女に対して破門同然の真似などするはずがない。
ならば俺が彼女にする次のアドバイスはひとつしかない。
「――心の準備なんて必要ないだろ! お前も愛を素直に伝えるだけでいい、もうそれだけの時間を一緒に過ごして来たはずだろ!?」
「……――ええぇぇっ!!?」
詰め寄ろうとする俺に対し、キリカは大袈裟に後ずさりながらナイフを構えた両手をへろへろと下ろしていく。
もはや彼女の不意をついて教室から逃げ出す事もほぼ確実に成功するような気もするが、ここまで来てそんな禍根を遺すような真似はしたくない。
ここまで来た以上、俺は俺を救うより、何とか彼女を説得し切って父親と仲直りさせてやりたい。
「そ、そんなに長い間過ごしてもいないわよ……! あたし、あたし……まだ殺し以外じゃ、どう接したらいいかすら全然わかってないし……!」
「そんなに難しく考えなくていいんだ、キリカ……。 お袋さんの事は好きだと言えるんだろう?それと同じように、素直に好きだと言うだけでいいんだ」
「そんな……そんな簡単な事じゃないでしょ……っ!!」
いつの間にかキリカは教室の前方、黒板の側の壁まで追い詰められて。
追い詰めた張本人である俺は、何とか彼女の頑なな心を瓦解させるべくなおも必死に詰め寄り説得を続ける。
「少なくとも俺を殺す事なんかよりも余程簡単じゃないか……? ただ好きだと言うだけで、キリカの抱えてる悩みが解決するはずなんだ……!」
「……~~っ!! わからない……わからないわよ……っ!!」
――それまでよりも更に激しく、キリカが狼狽した瞬間。
(――……っっ!?)
左足首の根本、ちょうど靴紐の結び目の手前にあたる部分に刺すような鋭い激痛が走る。
気付けば、先程までキリカが力無く携えていたサバイバルナイフが彼女の手元から完全に消えている。
恐らく狼狽するあまり落としてしまったのだろう、そして先程の激痛は恐らくそれが真下に落ちて――
(……くっ……!)
――痛みに声を挙げる事はできない。
足元がどうなっているか、目線を下に落として確認する事もできない。
今彼女にナイフを落としてしまった事を、それが俺の足首に刺さった事を悟られてしまうわけにはいかない。
キリカが父親の愛を受け入れるまで――彼女にナイフの事を思い出させるわけにはいかない。
「だ、だいたい! ……あたしはあんたを殺そうとしてるのよ!? それなのに、本当にいいの……?」
ここまで追い詰めてもなお、こいつはこんな的外れな事を言って話の本質から目を逸らそうとする。……足の痛みも相まって段々腹が立ってきた。
「お前も鳴神や楠木みたいな事を言うのか……今はそんな事関係ないだろ!?」
「――っ!! な、何よ……。 もみじやあのバカにまでこんな……こんな、好きだとかなんとか言ってるわけ!?」
「あの二人には他の話題で言われただけだ! こんな事……お前以外に話すわけないだろ!!」
「えっ……いや、その……」
的外れなキリカの非難を制するように激昂しているうちに、左足の激痛が急速に俺の意識を蝕んでいく。
――ちくしょう、もはやまともに立っている事もままならねぇ、だが意地でも倒れるわけには……
「――キリカっ!!」
「――ひゃっ、ひゃい――っ!!?」
意思に反して倒れそうになった上体を支えるため、キリカのすぐ背後、キリカのすぐ頭上の壁に片腕を叩きつけるように体重を預ける。
「俺もそこまで我慢強くねぇ、いい加減答えてくれ――好きだと言ってくれるのか、くれないのか、どっちなんだ!?」
図らずもキリカの真っ赤な表情が間近に見える位置まで自らの顔を寄せてしまい、激痛に堪える俺の真剣で無様な表情を見せつける形となってしまう。
……くそ、早く説得に折れてくれ、そろそろ左足が限界だ……!
「――あ、あの、その……たく、ま……」
「そ、そんなに真剣に言ってくれるなんて……その、あの、ほんとに……あたしの事、愛してくれてるのかな……?」
青色の瞳をぐるぐるさせながら、キリカは未だに信じられない様子で、消え入りそうな声で俺に問いかけてくる。
……よし、もう一息だ。ここでこいつに対する父親の愛を説き伏せれば、きっとキリカは親父さんとの仲直りを決心してくれるはずだ――!
「――あぁ、間違いなく、お前を愛しているよ」
激痛に耐えながら彼女の頭の側に片腕を着けてもたれかかって。
冷や汗を隠すように、もう一度とびきりのキメ顔を作って。
その表情のまま――キリカの間近で、父親の愛を語って。
「……あ、ぅあ……、ゃ……、 そ、その……」
「――……あた、あた……し……も……」
そんな俺の会心の説得に対して。
「…………きゅぅぅ……」
彼女はぐるぐると回り続けるその瞳の青色が映えるほど顔を紅色に染めて。
そのまま、糸の切れた人形のようにその場へと崩れ落ちてしまった。




