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婚約破棄された悪役令嬢は追放先で有能臆病王子に溺愛される  作者: 水曜


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3/6

「……来ないわね」


気持ちの良い朝。


マリシアは畑の前に立ちながら、ぽつりと呟いた。


昨日のデュラン手紙。


――明日、また来てもいいですか?


そして、その紙の裏には。


――できれば、毎日会いたいです。


あんなことを書いておきながら。


「まだ朝だから、来ないのが普通なのだけれど……」


マリシアは首を振った。


「何を考えているのかしら、私」


昨日会ったばかりの王子だ。


しかも、自分は追放された身。


彼とは住む世界が違う。


そう思っていた。


ところが。


「マリシアさーん!」


遠くから声が聞こえた。


マリシアが振り返る。


「……まさか」


坂道を、一人の青年が走ってくる。


息を切らしながら。


「お、おはようございます!」


「デュランさん」


「はい!」


デュランは嬉しそうに笑った。


その手には、今日も大きな籠がある。


「また食べ物ですか?」


「はい!」


「昨日もいただきましたよ」


「今日は別のものです」


籠の中には、焼きたてのパンと卵、果物、それから小さな瓶が入っていた。


「これは?」


「蜂蜜です」


「蜂蜜?」


「王都の職人が作ったものです。とても美味しいんですよ」


「そんな高価なものを……」


「僕が持ってきたかったので」


デュランはにっこり笑った。


マリシアは困ったように笑う。


「……ありがとうございます」


「いえ!」


それだけでデュランは幸せそうだった。




朝食を終えると。


デュランは畑を見回した。


「今日は何をしますか?」


「昨日植えた薬草の様子を見ます」


「僕もやります」


「王子殿下が?」


「……その呼び方は」


デュランが困った顔をする。


「できれば、デュランと呼んでください」


「ですが……」


「お願いします」


あまりにも真剣な顔をするので。


「……分かりました。デュランさん」


「はい!」


嬉しそうだった。


マリシアは思わず笑う。


「では、デュランさん。そこの水を運んでもらえますか?」


「分かりました!」


デュランは桶を持った。


そして。


「…………」


止まった。


「どうしました?」


「重いです」


「……そうでしょうね」


「これ、毎日?」


「はい」


「……」


デュランはしばらく桶を見つめた。


「マリシアさんはこれを毎日……」


「王子でも、水は重いですよ」


「ですよね……」


それでも彼は一生懸命運び始めた。


ふらふらしながらも、何度も往復する。


「デュランさん、無理をしなくても――」


「大丈夫です!」


「顔が大丈夫ではありませんよ」


「大丈夫です!」


最後の一往復を終えたところで。


どさっ。


デュランは地面に座り込んだ。


「……疲れました」


「お疲れ様です」


マリシアは笑いながら水を渡した。


デュランは嬉しそうに飲む。


「畑仕事って、大変なんですね」


「ええ」


「でも……」


彼は畑を見渡した。


「楽しいです」


「どうして?」


「あなたと一緒だから」


「…………」


マリシアは返事に困った。


デュランは何でもないことのように言っている。


けれど。


その言葉は、確実に彼女の胸を揺らしていた。




昼頃。


村の子供たちがやってきた。


「お姉ちゃん!」


「マリシアお姉ちゃん!」


子供たちは畑の周りを走り回る。


その中の一人がデュランを見る。


「誰?」


「この方は――」


マリシアが答える前に、デュランがしゃがみ込んだ。


「こんにちは」


「こんにちは!」


「僕はデュランです」


「おじちゃん?」


「お、おじ……!」


デュランの顔が引きつる。


マリシアは吹き出した。


「ふふっ」


「笑わないでください!」


「ごめんなさい」


子供たちは楽しそうに笑っている。


「デュランおじちゃん、何してるの?」


「おじちゃんではありません……」


デュランは苦笑しながら答えた。


「畑のお手伝いをしているんだ」


「王子様なんだよね!」


その言葉に。


デュランが固まった。


「…………」


マリシアも固まる。


「え?」


子供は首を傾げた。


「だって、村の人が言ってたよ。王子様が毎日ここに来てるって」


「…………」


デュランの顔が青ざめた。


「そ、それは……」


マリシアは彼を見る。


「本当なのですか?」


「……はい」


「毎日来るつもりだったのですね?」


「はい」


「どうして?」


デュランは俯いた。


「……会いたいからです」


まただった。


彼は恥ずかしそうにしながらも、嘘はつかない。


「マリシアさんといると、安心するんです」


その言葉を聞いた瞬間。


マリシアの胸が、少しだけ痛んだ。


王子なのに。


この人は一人なのかもしれない。


城にいても、誰にも本当の自分を見てもらえない。


だからこそ。


ここへ来るのだろう。


「……それなら」


マリシアは微笑んだ。


「いつでも来てください」


「え?」


「私も、デュランさんと話すのは楽しいですから」


デュランは目を丸くした。


「……本当に?」


「はい」


「迷惑では?」


「全然」


「毎日でも?」


「毎日でも」


デュランの顔が一気に明るくなった。


「ありがとうございます!」


子供たちが笑う。


「デュランおじちゃん、よかったね!」


「だからおじちゃんはやめてください……」




その日の夕方。


デュランが帰ったあと。


マリシアは村長の家を訪ねた。


「村長。少し相談があります」


「何でしょう?」


「この村には、魔物の被害が多いと聞きました」


村長の表情が曇る。


「ええ……」


「最近も?」


「少し前までは、森の奥に魔物が出る程度だったのですが……」


村長はため息をつく。


「ここ数日は、村の近くまで下りてくるようになりまして」


「危険ですね」


「国境近くですからな」


村長は困った顔をする。


「王国から兵士が来てくれればいいのですが……」


「デュラン王子殿下は?」


マリシアが尋ねる。


村長は少し驚いた。


「殿下ですか?」


「はい」


「……殿下は、魔物が大の苦手でして」


「苦手?」


「ええ」


村長は苦笑した。


「争いごとそのものを嫌われる方ですからな」


「……そうですか」


マリシアはすぐに納得した。


あれだけ優しい人なら。


確かに戦うことは好きではないだろう。


それは仕方ない。


人には向き不向きがある。


だが、王族として国民の平穏を守るのも大切な役目なはずだ。


そうなった時、彼が重圧に苦しまないように心から祈った。




その夜。


城では。


「殿下!」


大広間に怒声が響いていた。


国王の前で、デュランは小さくなっている。


「また一日、政務を放棄したそうだな」


「……申し訳ありません」


「どこへ行っていた?」


「……」


「言え」


デュランは観念した。


「村です」


「またか!」


国王が頭を抱える。


「お前は王子なのだぞ!」


「はい……」


「剣の腕もある。魔法も使える。政治の知識も十分だ」


「……はい」


「なのに、なぜ逃げる!」


デュランは俯いた。


「争いたくないからです」


「…………」


「僕は、誰かを傷つけるのが怖い」


静かな声だった。


「だから……できるだけ争いが起きないようにしたいんです」


国王は何も言わなかった。


だが、その場にいた騎士の一人が笑った。


「相変わらずですな、臆病者王子は」


別の騎士も笑う。


「魔物が出たら真っ先に逃げるでしょう」


「王子がそれでは困りますな」


デュランは黙って聞いていた。


反論しない。


怒らない。


ただ、俯いている。


そして――。


誰も気づかなかった。


彼の手が、強く握り締められていたことに。




その翌朝、マリシアの家の前にデュランはなかなか現れなかった。


「……今日は遅いわね」


昼になっても来ない。


夕方になっても。


来ない。


マリシアは不思議に思った。


そして夜。


村の見張り台から鐘が鳴った。


「魔物だ!」


村人たちが一斉に騒ぎ始める。


「森から魔物が来たぞ!」


「子供たちを家の中へ!」


「門を閉めろ!」


マリシアは外へ飛び出した。


村の入口。


そこには、巨大な魔物の影があった。


「……あれは……」


村人たちが震えている。


そんな中。


魔物の群れの向こう側から、一人の青年が歩いてきた。


「……デュランさん?」


いつもの穏やかな笑顔はない。


俯いてもいない。


怯えてもいない。


ただ静かに。


彼は剣の柄へ手を伸ばしていた。


「マリシアさん」


声が違った。


低く、冷たい。


「そこから動かないでください」


マリシアは息を呑んだ。


次の瞬間。


デュランが剣を抜いた。


月明かりを受けた刃が、鋭く輝く。


「あなたに近づくものは――」


その瞳から、普段の臆病さが完全に消えていた。


「僕が全部、斬ります」


そして。


彼は一人で、魔物の群れへ向かって歩き出した。


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