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マリシアは日の出とともに目を覚ました。
簡素な寝台から起き上がり、窓を開ける。
ひんやりとした空気が部屋に入り込んできた。
「今日もやることがたくさんあるわね」
昨日のうちに掃除は終えた。
次は畑だ。
昨日耕した土地に、薬草の種を植えなければならない。
それから薪の確保。
井戸の場所も確認しておきたい。
「まずは畑。そのあと薪。それから――」
マリシアは今日の予定を頭の中で組み立てながら外へ出た。
すると。
「お、おはようございます!」
「……え?」
昨日の青年が立っていた。
両手には、何やら大きな籠を抱えている。
「あなた……」
「き、昨日ぶりです!」
「ええ。昨日ぶりですね」
マリシアは首を傾げた。
「今日はどうされたのですか?」
「え?」
「また、この辺りを通りかかったのですか?」
「そ、そうです!」
青年は勢いよく頷いた。
「偶然です!」
「……そうですか」
マリシアは青年の後ろを見る。
道は一本。
この村は辺境の中でもかなり奥まった場所にある。
そして彼が来た方向には、城しかない。
「昨日も同じ時間に来られましたよね?」
「…………」
青年が固まった。
「偶然です」
「二日連続で?」
「……偶然です」
「この村へ来る用事が?」
「……ありません」
「では、なぜ?」
青年は黙り込んだ。
しばらくして。
「……会いたかったので」
小さな声だった。
「え?」
「あなたに……会いたかったので」
今度はマリシアのほうが固まる。
青年は顔を真っ赤にしながら籠を差し出した。
「こ、これ!」
「これは?」
「食べ物です!」
蓋を開けると、パン、果物、チーズ、焼き菓子などが入っていた。
「こんなに?」
「昨日、何も食べずに畑仕事をしていたでしょう?」
「見ていたのですか?」
「はい」
「ずっと?」
「……はい」
青年は気まずそうに目を逸らした。
マリシアは思わず笑ってしまう。
「ふふ」
「な、何か?」
「いえ。変わった方だと思って」
「……よく言われます」
青年はしょんぼりした。
その姿を見て、マリシアはまた笑った。
「ありがとうございます」
「……!」
青年の顔が一気に明るくなる。
「い、いえ!」
「せっかくですから、一緒に朝食を食べませんか?」
「いいんですか?」
「はい」
「食べます!」
返事だけは異様に早かった。
二人は簡素な木の机を挟んで向かい合った。
「ところで」
マリシアがパンをちぎりながら尋ねる。
「お名前を伺っても?」
「…………」
青年がパンを落としそうになる。
「僕の……名前ですか?」
「はい」
「デュランです」
「デュラン様」
「様はやめてください!」
「では、デュランさん」
「……はい」
なぜか嬉しそうだった。
「私はマリシアです」
「知っています」
「……なぜ?」
「昨日、村長から聞きました」
「なるほど」
そこでマリシアは気づいた。
「そういえば、デュランさんはどちらにお住まいなのですか?」
「城です」
「……」
「…………」
沈黙。
「城?」
「はい」
「この近くに?」
「はい」
「……」
マリシアは昨日からの彼の言動を思い返した。
珍しい果物。
質の良い花。
立派な服。
そして城に住んでいるという。
「もしかして……」
デュランの肩が跳ねる。
「かなり身分の高い方なのでは?」
「そ、そんなことは!」
「ですが城に住んでいるのですよね?」
「住んでいますけど……」
「では、もしかして王族――」
「違います!」
即答だった。
あまりにも必死だったので、マリシアはそれ以上追及しなかった。
「そうですか」
「はい」
デュランはほっと胸を撫で下ろした。
だが。
その直後。
「殿下ーっ!」
遠くから大声が響いた。
デュランの顔が青ざめる。
「……まずい」
「どうされました?」
「見つかった」
「何が?」
「僕がここにいることが」
「?」
さらに声が近づいてくる。
「デュラン殿下ー!」
マリシアの手が止まった。
「……殿下?」
デュランは目を逸らす。
「…………」
「デュランさん?」
「…………」
「まさか」
そこへ、一人の騎士が駆け込んできた。
「殿下! こんなところにおられたのですか!」
「…………」
「朝から政務を放り出して、また城を抜け出されるとは!」
「…………」
騎士はマリシアを見る。
そして深々と頭を下げた。
「申し訳ありません。この方がご迷惑をおかけしていませんか?」
「いえ……」
マリシアはデュランを見る。
「こちらの方は――」
騎士が答える。
「リューネ王国第二王子、デュラン殿下です」
「…………」
マリシアはゆっくりとデュランを見る。
デュランは気まずそうに笑った。
「……ばれちゃいました」
「…………王子?」
「はい」
「昨日も?」
「はい」
「今日も?」
「はい」
マリシアは額に手を当てた。
「どうして王子殿下が、私のような追放された令嬢のところへ……」
「それは……」
デュランは俯いた。
そして。
「あなたに会いたかったからです」
「…………」
また、マリシアの心臓が跳ねた。
「殿下。お戻りください」
騎士が促す。
「嫌だ」
「仕事があります」
「嫌だ」
「国王陛下がお怒りになります」
「……それは怖い」
デュランは震えた。
「では戻りましょう」
「でも……」
デュランはマリシアを見る。
「畑仕事を手伝ってから帰ります」
「殿下」
「お願いします」
「政務が」
「帰りますから!」
「今すぐです」
「…………」
デュランはしばらく悩んだ。
そして。
「……一時間だけ」
「十分です」
「二時間」
「三十分です」
「…………」
王子と騎士の交渉が始まった。
マリシアは思わず笑う。
「では、三十分だけお願いしましょう」
「マリシアさん!」
デュランが嬉しそうに立ち上がった。
「何をすればいいですか?」
「薬草を植えるための土を作ります」
「分かりました!」
デュランは袖をまくった。
王子とは思えないほど手際よく鍬を持つ。
「……上手ですね」
「こういう作業は好きなんです」
「意外です」
「城にいると、嫌なことばかりなので」
「政務ですか?」
「はい。人と人が争ったり、誰かを責めたりする話ばかりですから」
デュランは土を耕しながら言った。
「僕は、誰かが傷つくのが嫌なんです」
その横顔は穏やかだった。
マリシアは少しだけ彼を見直した。
「だから争いが嫌いなのですね」
「はい」
「それなのに、王子として国を治めるのは大変でしょう」
「……だから、僕には向いていないと思っています」
デュランは苦笑した。
「もっと勇敢な人が王子ならよかったんです」
「私はそうは思いません」
マリシアは言った。
「争いを嫌う人が上に立つことも、大切だと思います」
デュランが顔を上げる。
「……そう、思いますか?」
「はい」
マリシアは笑った。
「少なくとも、私はそういう人のほうが好きです」
「…………」
デュランの動きが止まった。
「……好き?」
「ええ。人として、という意味ですが」
「……そうですか」
デュランは耳まで赤くなった。
「…………」
そして。
鍬を持つ手に妙な力が入る。
ザクッ!
「デュランさん?」
「はい!」
「土にそんなに力を込めなくても大丈夫ですよ」
「すみません!」
その日の午後。
デュランは城へ戻された。
「絶対に逃げ出さないでください」
「分かりました」
「本当ですか?」
「はい」
「では、書類を――」
「…………」
デュランが窓を見る。
その先には、マリシアの暮らす村がある。
「殿下」
「はい」
「行かないでくださいよ」
「……はい」
騎士が部屋を出ていく。
静かになる。
デュランは机の上の書類を見る。
それから窓を見る。
「…………」
数秒後。
椅子から立ち上がった。
「明日も行こう」
彼の口元には、嬉しそうな笑みが浮かんでいた。
一方。
マリシアは畑に植えた薬草の種を確認していた。
「数日中には芽が出るかしら」
そのとき。
家の前に何かが置かれていることに気づく。
近づいてみる。
そこには、小さな木箱。
中には珍しい薬草の種が入っていた。
そして一枚の紙。
『明日、また来てもいいですか?』
マリシアは思わず笑った。
「……ふふ」
紙の裏には、小さく付け足されている。
『できれば、毎日会いたいです』
「……本当に変な王子様」
そう呟いたマリシアの頬は。
ほんの少しだけ、赤くなっていた。




