1
「マリシア・フォン・ベルネ。君との婚約を破棄する」
王都でもっとも華やかな舞踏会の夜。
大勢の貴族が見守る中央で、マリシアは婚約者――アルベルト公爵令息の言葉を聞いていた。
ざわり、と会場が揺れる。
隣に立っているのは、最近になってアルベルトが寵愛するようになった令嬢だった。
彼女は涙を浮かべながら、マリシアを見つめている。
「私は……もう我慢できないのです」
アルベルトは大げさにため息をついた。
「君が平民たちを虐げているという話は、以前から聞いていた。だが、今回ばかりは許せない」
「……私が?」
マリシアは目を瞬いた。
「昨日、王都の孤児院で子供たちを追い払ったそうじゃないか」
「しておりません」
「嘘をつくな!」
会場に響く怒声。
しかし、マリシアは怯まなかった。
「私は昨日、屋敷から一歩も出ておりません」
「証人ならいる」
アルベルトの背後から、一人の男が進み出る。
「私が見ました。確かにマリシア様でした」
明らかに嘘だった。
マリシアは男の顔を見た。
知らない人物だ。
だが、すぐに理解した。
――これは、最初から仕組まれていたのだ。
「それだけではない」
アルベルトが続ける。
「君の父親が管理している領地では、税の横領まで発覚している。ベルネ伯爵家には、王国への反逆の疑いがある」
「父が……?」
寝耳に水だった。
けれど、ここまで来れば分かる。
婚約破棄だけではない。
家そのものを潰すつもりなのだ。
「私は何もしていません」
マリシアは静かに言った。
「ですが、私の言葉を信じていただけないのでしょう?」
「当然だ」
アルベルトは冷たく言い放った。
「よって君には、王都からの追放を命じる」
会場がざわめく。
「追放……?」
「しかも反逆の疑いまで?」
「ベルネ伯爵家も終わりだな」
好き勝手な言葉が飛び交う。
マリシアは目を閉じた。
悔しくないわけではない。
腹が立たないわけでもない。
それでも――。
ここで泣いても、何も変わらない。
ならば。
「承知いたしました」
マリシアはドレスの裾をつまみ、優雅に礼をした。
その態度に、アルベルトのほうが一瞬たじろぐ。
「……ずいぶん物分かりがいいな」
「ええ」
マリシアは微笑んだ。
「私、諦めが悪いもので」
「何?」
「追放されることは受け入れます」
そこで顔を上げる。
「ですが、いつか必ず真実を明らかにします」
その瞳には、涙の代わりに強い光が宿っていた。
三日後。
マリシアは一台の古びた馬車に乗っていた。
向かう先は、王都から遠く離れた辺境。
そこには小さな村がある。
国境に近く、魔物の出没も多い。
貴族令嬢が暮らすには、あまりにも厳しい場所だった。
馬車の窓から外を見る。
王都の美しい街並みが、少しずつ遠ざかっていく。
「……さようなら」
小さく呟く。
悲しみはあった。
けれど、マリシアは泣かなかった。
代わりに、膝の上に置いた紙を広げる。
そこには、辺境で生きるために必要なものが細かく書かれていた。
食料。
薪。
薬。
住居。
収入。
畑。
「まずは家を確保して……」
小さく呟きながら、指で一つずつ確認していく。
「食料は三か月分。薬草は自分で育てる。畑が使えなければ近くの森で採取……」
婚約破棄された令嬢とは思えないほど現実的だった。
「それから収入源」
マリシアは窓の外を見る。
「追放されたからといって、死ぬ必要はないもの」
彼女は前を向いた。
「私は私で、生きていけばいい」
夕方ごろになって、ようやく目的地へ到着した。
小さな村だった。
家々は古く、道も整備されていない。
畑には雑草が目立ち、村人たちの顔にも疲れが浮かんでいる。
案内された家は、村の外れにある古い小屋だった。
「ここを使ってください」
村長が申し訳なさそうに言う。
「家具もほとんどありませんが……」
「十分です」
マリシアは小屋の中を見回した。
雨漏りはない。
窓も閉まる。
暖炉もある。
「問題ありません」
「ですが、お嬢様。本当にここで暮らすのですか?」
「そのために来たのですから」
マリシアは袖をまくった。
「まず掃除をしましょう」
「え?」
「それから畑を確認します」
「お嬢様が?」
「はい」
マリシアはにっこり笑った。
「私は、追放されたのでしょう?」
その笑顔には、妙な迫力があった。
「でしたら、ここで生きていくしかありませんもの」
---
マリシアは早朝から畑に立つのが日課となった。
土を掘る。
石を取り除く。
雑草を抜く。
手はすぐに泥だらけになった。
「……思ったより大変ね」
それでも、嫌ではなかった。
王都にいた頃には、土に触れることなどほとんどなかった。
けれど今は違う。
ここには、自分で作っていけるものがある。
そして、彼女は幼い頃から高度な教育を受けてきたことによる有能な知識があった。
「薬草が育てば、村の人たちにも分けられる」
マリシアは一人で作戦を立てる。
「そのうち薬を売れば収入にもなる」
そのときだった。
「……あの」
背後から、遠慮がちな声がした。
マリシアが振り返る。
そこには、一人の青年が立っていた。
質素な服装。
少し長めの髪。
そして――。
両手いっぱいに花を抱えている。
「どちら様ですか?」
マリシアが尋ねると、青年はびくっと肩を震わせた。
「ひっ」
「……?」
「い、いえ! なんでもありません!」
青年はなぜか一歩後ずさる。
「僕は、その……」
明らかに挙動がおかしい。
「この辺りを通りかかった者です」
「そうですか」
「はい」
「では、何か御用でしょうか?」
「ええと……」
青年は花束を見る。
それからマリシアを見る。
また花束を見る。
そして――。
「こ、これを!」
勢いよく花束を差し出した。
「私に?」
「はい!」
「どうして?」
「それは……」
青年の顔が真っ赤になる。
「……綺麗だったので」
「花が?」
「いえ」
青年は小さな声で言った。
「あなたが」
「…………」
マリシアが固まった。
青年は自分で言ったことに耐えられなくなったらしい。
「す、すみません!」
「え?」
「忘れてください!」
「ちょっと――」
青年は踵を返す。
そして、ものすごい勢いで走り去っていった。
「……何だったのかしら」
マリシアは呆然としながら、手元の花を見る。
綺麗な白い花だった。
村から少し離れた丘の上では――。
「はあ……はあ……」
青年が息を切らしていた。
「言ってしまった……」
彼は両手で顔を覆う。
「綺麗だなんて……」
耳まで真っ赤だ。
その青年の後ろから、呆れた声がする。
「殿下」
「!」
青年が飛び上がる。
「どうしてここに?」
「それはこちらの台詞です」
護衛騎士がため息をついた。
「また城を抜け出されたのですか?」
「……政務が怖くて」
「王子が政務を怖がらないでください」
青年――リューネ王国第二王子、デュラン。
彼は国中から「臆病者王子」と呼ばれている。
争いが大嫌い。
怒鳴り声も嫌い。
剣を抜くのも嫌い。
そして何より――。
人前に出るのが苦手。
「今日も戻りましょう、殿下」
「嫌だ」
「なぜですか」
デュランは先ほどの村を見る。
そこには、花束を抱えたマリシアがいた。
「……もう少し、あの人を見ていたいので」
「殿下……」
護衛騎士は頭を抱えた。
「まさか、一目惚れですか?」
デュランは答えない。
ただ、遠くにいるマリシアを見つめながら――。
幸せそうに微笑んでいた。




