ホットケーキの本
今日の彼女は文庫本サイズの本を読んでいた。
今日は文学淑女のようだ。
本の表紙にはバターと多分メープルシロップが掛けられたホットケーキが描かれていた。
いけない。
その絵を見てしまった時にはもう遅く、ホットケーキの口になってしまった。
彼女と軽く言葉を交わして帰宅。
シャワーを軽く浴びれば即興的なこの感情は落ち着いてくれると考えていた。
けれどもそんなことはなく、冷めやらぬこの感情と共にコンビニへと向かった。
普通ならばホットケーキミックスを買うならばスーパーマーケットへ行った方がいいだろう。
しかしながら平日の夜、そして仕事終わりにそこまで足を運ぶ余力はなかった。
また自宅からスーパーマーケットまでの距離は1kmだが、一番近いコンビニまでの距離は100mにも満たない。
コンビニが近しいのがいけないのだ。
コンビニでホットケーキミックス、バター、ケーキシロップ、冷凍ミックスベリーと必要なものをカゴに入れる。
最初から買い物が多いと分かっているならば今みたいにカゴを使うが、平日の昼間なんてものは余裕も隙間もゼロに等しくどうしても積み重ねがちだ。
そんな事を考えていると視界の端に薄緑色の塊が映ったような気がする。
そんなバカなと。
文学淑女がコンビニ飯を食べることが想像できない。
気になるが、気にはなるが彼女のカゴの中身を覗いた瞬間に厄介ごとに巻き込まれそうな気がする。
「こんばんは」
「ひゃぅ」
なんかおのこらしくない声が漏れてしまった。
「ふふ、なんですかひゃぅって」
微笑む彼女を横目に彼女の手元をガン見する。
鮭の幕ノ内弁当と鶏めし弁当、野菜たっぷり中華丼、それに25円割引キャンぺーンの緑茶。をサラリーマンもちで。
立場が君〇名は。
「結構食べるんですか?」
「いいえ、晩御飯と明日の分ですよ」
「自炊はされないので?」
「はい。一人暮らしでしたら料理をしないことが一番効率的な気がします」
頭がクラクラしてしまうのは、自炊はする派だろうか。
それにやっぱり彼女は文学淑女ではない気がする。
まあ、彼女の言い分は分かる。
調達、調理、片付けそれらで構成されている料理をしないという事は最低1時間は時間が出来る。
読みなれた文庫本くらいならぺろりとイケてしまう時間であろう。
「お隣さんは、ホットケーキですか」
こちらのカゴを覗き込んで彼女はそう言った。
……。
少しばかりの沈黙。
「なるほど、私のせいですか」
さいですねと言いにくい雰囲気を醸し出してくる。
「よかったらご一緒します?」
「はい、是非、お願いします」
彼女は最初からこの流れを考えていたのではないか。
そう思いながらカゴに500mlの牛乳を付け足した。
お弁当を冷蔵庫に入れてきますと20秒。
彼女はすぐさま部屋から出てきて鍵を閉めた。
それを確認してから自宅のドアを開けて彼女を招き入れる。
癖のただいまの声の後に、初めてのお邪魔しますが誰もいなかった部屋に行き渡った。
部屋の明かりをつけると彼女が一言。
「私の部屋よりも綺麗ですね」
え、文学淑女の部屋は汚いのか……。
「すぐ出来るので楽にしておいてください」
そう言うと彼女がフリーズした。
「大丈夫ですか?」
「い、いえ。文章をふたつ同時に言おうとして頭が固まってしまいました」
そんなことあるんだ。
「そんなことあるんだ」
「現に私がそうなりました。一つ目ですがホットケーキってそんなに速く出来るんですか?」
「粉を溶いて焼くだけですので。納豆たまごかけごはんみたいな感じですよ」
「全くもって違うと感じますが……。二つ目は定番のえっちな本探ししてもいいですか?」
「してもいいですけど、全部スマホとパソコソの中ですね」
「ノ、ノーマルな本は」
「それも全てスマホですね」
「現代社会の弊害だぁ……」
あからさまに落ち込む彼女の姿を見てここは文学淑女っぽいなと感じた。
ローテーブルの前で項垂れている彼女に適当なホットケーキを差し出す。
色どりのない部屋に彼女の薄緑色の髪や女性ものの服の色が加わるだけで華やかに感じるなと思ってしまったことは内緒。
トッピングはとりあえずバターとケーキシロップ。
そしてとりあえず二段重ね。
「おおおお、十年ぶりですね」
「いやいや、コンビニでも売ってません? ホットケーキ」
「あれは直径が短いせいか、どら焼きみたいに感じるんですよ」
「なら喫茶店とかは」
「確かに珈琲の匂いが漂う店内でする読書は魅力的に感じますが、それ以上に珈琲とホットケーキで1500円はかかってしまうと考えると足は運べませんね」
うーん、文学淑女っぽくはないけれど文学淑女っぽい発言に感じた。
なぜだろう。
彼女はとなりの住処に戻る前に、今日のお礼ですと言って夕方に彼女が読んでいた本を置いていった。
表紙がホットケーキの文庫本。
あ、これ短編集なんだ。




