第28話
三日後、帝都が見えた。
平野の向こうに、星の形が浮かんでいる。十二の稜堡が陽の光を受けて、遠くからでも角が見える。帝国の首都ニヴェスティア。三百年の古都。石と煉瓦で造られた冠が、平原の上に載っている。
ハンスの目がその輪郭を記録する。稜堡の数。角度。壁の高さ。門の位置。帝都にいた五年間で見慣れた景色だった。あの中に、マリーさんがいる。
本営の天幕に入ると、ペドロからの暗号文が届いていた。
ギュンターが暗号を解読して送ってきた書簡には、二つの情報が書かれている。一つ目。坑道の掘削、完了。起爆準備、完了。主力を待っている。
二つ目。人質が宮殿に集められた。
フォルテシエラ邸から、宮殿に移されている。野戦で負けた反乱側が、人質の価値に縋り始めた。マリーさんも、ネリーナさんも、アレハンドロも、今は宮殿の中にいる。
ハンスの頭の中で、帝都の地図が広がった。速報の朝には何の役にも立たなかった地図が、今は使える情報になっている。宮殿の位置。門からの距離。壁の厚さ。窓の数。
*
「十二点同期坑道爆破作戦です」
ルイスが地図の上に指を置く。天幕の中には辺境伯、侯爵、ハンス、サリーがいる。
「帝都の地下には三百年分の水道管渠が走っています。稜堡は後から外周に増築されたもので、水道網の方が古い。管渠が稜堡の基礎付近を通っている。ここをアクセス経路として使いました」
ルイスの説明は短い。指が地図上の十二箇所を順に指していく。
「郊外の建物の地下室から管渠に入り、稜堡の基礎付近で分岐坑道を掘り、爆薬室を設置。駅馬の工兵隊が全十二箇所の作業を完了しています。あとは起爆するだけです」
「反乱側は気づいていないのか」
辺境伯が聞いた。
「北から来た占領軍です。帝都の地下構造に詳しくない。駅馬の工兵はこの街のインフラを知り尽くしています」
辺境伯が頷く。
ペドロからの暗号文には、もう一行ある。命名の提案だった。
ニヴェスティアの冠砕き。
「……名前はどうでもいいです」
ハンスが言った。天幕の中で、サリーだけが鼻を鳴らす。
*
ルイスとサリーが出ていった。天幕に残ったのは、辺境伯と侯爵とハンスだった。
侯爵が口を開く。
「これが失敗したら、長期包囲は持たない」
低い声だった。フォルテシエラ侯爵の声は辺境伯と同じくらい太いが、温度が違う。冷えている。
「焼くしかない」
焼夷弾で都市ごと焼く。
ハンスは何も言わなかった。
辺境伯がこちらを見ている。トルコ石の目が、何も語らない。
右手が震えていた。速報を受けた朝に拳を握ったときと同じ場所が、同じように震えている。だが今回は拳を握らない。握っても止まらないことを知っている。
震えたまま、立っていた。
「今夜やる」
辺境伯の声が小さい。
*
夜が来た。
帝都の輪郭が暗い空の下に浮かんでいる。稜堡の上に見張りの灯りが点々と並んでいる。十二の角が星の形に突き出して、空の低い位置に夏の星座がかかっていた。
ハンスは前線の陣地にいる。帝都の壁まで五百メートル。稜堡の角の一つが正面に見えた。
ルイスが隣に立っている。手に通信用の杭を持っている。魔力共鳴通信の発信器。辺境伯領で実験したときと同じ型だった。あの数字がここに届いている。三秒。四十二メートル。
ルイスの手が動く。杭を地面に突き立てた。
眼鏡の奥の紫の目が、帝都を見ている。姉がいる街を見ている。
「起爆します」
ルイスの声は平らだった。掌が杭の頭に触れる。魔力が走った。
地鳴りがした。
足の裏から来た。地面の奥で何かが破裂した振動が、骨を伝って胸まで上がってくる。一つではない。正面の稜堡から始まった振動が、左右に分かれていく。帝都の外周を回るように、地鳴りが十二に分かれて走っていく。
星の形に。
正面の稜堡が膨らんだ。石壁が内側から押されて、煉瓦の継ぎ目に亀裂が走る。一瞬の間があった。壁が耐えようとしている。三百年分の重さが、爆圧に抗おうとしている。
持たなかった。
稜堡の角が割れた。煉瓦と石と土が吹き上がり、夜空に土煙の柱が立つ。同時に、左の方で別の爆発音が上がる。右からも来る。帝都の外周で、十二本の土煙の柱が次々に立ち上がっていく。夜空が橙色に照らされる。爆発の光が雲の底を焼いた。
ハンスの目はその全部を記録していた。十二の爆発には微妙な時差がある。正面が最初。左隣が半秒遅れ。その向こうがさらに四分の一秒。魔力共鳴の伝達速度の差だった。円周上を信号が走る時間。ルイスの計算通りだった。
土煙が広がっていく。煉瓦の粉塵が風に乗って南に流れる。粉塵の向こうに、崩れた稜堡の断面が見えた。壁の厚みがむき出しになっている。三百年分の石積みが、断面図のように露出している。
白い布が上がった。
崩壊した稜堡の隣の城壁から。一枚。二枚。帝都の東面から始まって、北面に広がっていく。要塞が壊れた。守ってくれるはずの壁が壊れた。守備兵はそれを見て、戦う理由を失った。
白旗が、帝都の城壁に並んでいった。
*
煙が薄れていく。崩壊した稜堡の隙間から、帝都の中の灯りが見える。通りの街灯。建物の窓の明かり。人が住んでいる街だった。戦争をしている街には見えない。
「行くぞ」
辺境伯の声が後ろから来た。メルンヴァルトを発った朝と同じ一言だった。あのときは帝都に向かう出発だった。今は帝都の中に入る。
ハンスは馬から降りた。ここからは徒歩だ。崩れた瓦礫の上を馬では越えられない。
手を見た。震えていない。
サリーが横についた。後ろに中核中隊——殿戦闘を一緒に生き延びた兵士たちが続いている。
崩壊した稜堡の瓦礫を踏んで、帝都の中に入った。




