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幕間:ヴィオレットの日記#6

4月3日


 ハンスがいた。


 辺境伯家の養子は、ハンスだった。成婚記念パーティーの夜、控室で。いた。ハンスがいた。ハンスだった。最初からハンスだった。


 何を書いているかわからない。順番に書く。順番に。


 パーティーの会場で、辺境伯が第二皇子殿下を殴った。殴ったという言い方では足りない。紅い手袋を投げつけて、掴みかかって、殴り倒した。会場が凍った。私は凍らなかった。皇子殿下がハンスに言った言葉を聞いていたから。


 手袋の連鎖が始まった。辺境伯が投げた。ペドロが続いた。私も差し出した。三番手。政治的に正しかったかどうかわからない。でもあのとき手袋を出さない選択肢がなかった。


 控室に移動した。辺境伯がいた。ハンスがいた。ペドロがいた。ネリーナがいた。デイジーがいた。皆がいた。


 ハンスが辺境伯の養子になっていた。


 ベロニカ嬢との縁談は破談だった。帯剣はエルンストに渡っていた。


 破談。


 私は何をしていたのだろう。あの日記は何だったのだろう。失った、と書いた。止まらなくなった。冬の帝都で一人で壊れていた。全部勘違いだった。ベロニカ嬢はエルンストを選んでいた。ハンスは養子だった。養子であって婿養子ではなかった。


 恥ずかしい。一人で崩れていたことが恥ずかしい。誰にも見せていないけれど——見せていない。見せていないが日記には書いた。書いた。全部書いた。止まらなくなって、書いて書いて。


 違う。そんなことはいい。


 ハンスがいた。それだけでいい。失っていなかった。ここにいた。大きくなっていた。声が低くなっていた。あの控室でハンスの声を聞いたとき、五年ぶりだった。五年。


 ペドロが手袋の左右を教えなかったらしい。ハンスは右手を外しかけた。決闘の申し込みだ。本人は挨拶のつもりだった。ペドロはわざと教えなかった。あのとき会場がどれだけ凍ったか。私の心臓がどれだけ跳ねたか。


 ペドロは覚えておく。


 帰りの馬車でアレハンドロ兄様から聞いた。辺境伯家との縁談の話。仲人の打ち合わせで兄様が走り回っているらしい。縁談。辺境伯家との。ハンスとの。


 書いていて手が震える。冬に震えたのとは違う。


 恥ずかしい。あの日記を全部燃やしたい。でも燃やせない。書いたことは消せない。私が書いたものだから。勘違いも、崩れたことも、止まらなくなったことも、全部私がやったことだから。


 控室で、私は言った。マリーと呼んでください、と。


 ハンスは言った。マリー、さん、と。


 さん、がついた。不器用な人だ。五年前から何も変わっていない。大きくなって、声が変わって、養子になって、それでもハンスはハンスだった。


 春だった。帝都の夜風が温かかった。控室の窓から入ってきた風が温かかった。冬が終わっていた。


 次にお会いするときに、と言っていた。必ず、と。


 何を書いているかわからない。まとまらない。順番がおかしい。同じことを二度書いている気がする。でも止まらない。止まらないのはまた同じだ。あの冬と同じだ。でも今は寒くない。


 ハンスがいた。





「読まれる前提でしたよね」

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