幕間:ヴィオレットの日記#4
12月12日
帝都に着いた。帝都の屋敷は半年ぶりで、空気が冷たかった。アレハンドロ兄様は翌日の会議の資料を読み始めていた。私が整えた資料だが、付箋を貼り直していた。兄様なりの読み方があるらしい。
サリーが屋敷の警備配置を確認して戻ってきた。正面と裏口の双方に人を置いたとのこと。手際がいい。何も言わなくても正解を選ぶ人だと思う。
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12月15日
税制改正の草案について、財務局の書記官と会った。帝都の官吏は話が長い。結論を先に言ってほしい。アレハンドロ兄様は辛抱強く聞いていた。私は途中から議事録に集中した。
サリーが帰りの馬車を手配してくれた。道が混んでいたが、裏通りを使って屋敷まで戻った。こういうとき、迷わない。正解を選ぶのが速い。
あの人なら道に迷っていたかもしれない。迷った先で何か見つけて、黙って直して帰ってくる。そういう人だ。
帝都の夜は騒がしい。屋敷が恋しい。
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12月18日
特許の追加書類を提出した。受理まで十日ほどかかるとのこと。待つしかない。
アレハンドロ兄様の紹介状が三件通った。政務参入の道筋は整いつつある。
あの人は、まだ辺境伯領にいるだろうか。
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12月21日
サリーに剣の手入れを頼まれた。砥石の選び方を教えた。あの人にも同じことを教えたことがある。あの人は砥石の種類を全部覚えて、翌日には自分で選んでいた。覚えるのは早い。覚えているのに気づかないこともある。
帝都の空は灰色だ。雪が降りそうで降らない。
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12月28日
アレハンドロ兄様への礼状を七通書き終えた。特許の受理通知を確認。蝋は手配した。帝都の年末は人が多い。書類の届くのが遅い。
あの人の部屋の荷物をまとめるようにと、兄様から指示があった。辺境伯領に送るとのこと。
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12月30日
荷をまとめた。外套が二着。冬用の厚い方と、秋口に着ていた薄い方。替えの軍靴。手入れ道具の箱。砥石が三種類入っていて、私が教えた通りの順番で並んでいた。書類の束。筆記具。あの人の字は大きくて、少し右に傾いている。帳面の余白に排水溝の図が描いてあった。
窓際に置いてあった木箱がひとつ。中身は確認しなかった。
部屋に何もなくなった。石壁と寝台と机だけが残っている。あの人がここにいた痕跡が、革鞄ふたつ分にまとまって、廊下に出された。
荷を運ぶ者が来て、馬車に積んだ。私は窓から見ていた。革鞄が荷台に載せられて、幌が被さって、見えなくなった。馬車が中庭を出て、門を抜けて、街道に入った。あの人の外套が入った鞄が、あの人のいる方角に向かって小さくなっていった。
あの人は帰ってこない。叙勲と顔合わせだけなら、もう帰っているはずだった。荷物が追いかけていった。あの人の代わりに、荷物が。
中庭の排水溝はあの人が直したものだ。花壇の縁石も、厩舎の扉の蝶番も。あの人が触ったものは全部残っている。あの人だけがいない。外套も砥石も帳面も出ていったのに、直した排水溝は持っていけない。縁石も蝶番も動かない。あの人が触った屋敷が残って、あの人がいない。
帝都の屋敷にも、あの人が直した窓がある。台所の蛇口も。書庫の棚の歪みも。誰にも頼まれていないのに直していった。全部残っている。全部あの人の手が通っている。この屋敷のどこを歩いても、あの人が直したものに当たる。当たるたびにあの人のことを考える。考えたくないのに。考えないようにしていたのに。あの方の頁が増えているとネリーナに言われて、気をつけていたのに。気をつけていたのに増えている。今も増えている。書いている。止まらない。




