第7話 竜貴族プラトス
だが、当の人質セレンは余裕たっぷりに、テーブルの上にある紅茶を優雅にすすった。
「……愚かね」
「なに!?」
「あなたは過ちを複数犯したわ。まず第一に、私を人質に取ってどうするのよ?大切な他者の命だからこそ、脅迫の意味があるのよ?あなた、慣れてないわね?」
「……う!?」
「二つ。フェフシュタイン家は降伏するくらいなら死を選ぶわ。貴族の矜持というものを読み違えているのではないかしら?」
「く……!?」
「三つ。あなた、プラトスに騙されているわ。竜貴族の呪いは竜貴族自身でも解くことができない。だから、たとえ私を降伏させたとしても、あなたもあなたの家族も助からない」
「そんな……!?」
ショックのあまり、ルビカはナイフを落として、床に膝をついた。
結局、ルビカはプラトスによって差し向けられた”使い捨ての駒”だったのだ。
「……四つ。ここにあなたの呪いを解呪できる子がいる……としたらどうかしら?」
「え……!?」
「アルトくん。この子の呪い……解いてくれる?」
「は、はい!」
ルビカはわが目を疑った。自分とさほど年齢の変わらない目の前の少年が、人類を苦しめてきた竜の呪いを解けるというのだ。
「……いいなぁ。解呪される時、すっごく気持ちいいんだよねぇ……」
羨ましそうにルネは指をくわえながら言う。だが、『空気を読め!』と言わんばかりに、ガルザが肘鉄をくらわした。
「さぁ、ルビカ。アルトに呪いの痕を見せてくれる?」
「……はい」
ルビカは痩せた指で、自らの胸元を開いて見せた。そこには、リーゼロッテたちに刻まれていたのと同様の禍々しい竜貴族の呪詛の証があった。
「……じゃあ、いくよ、ルビカ?」
アルトは指先一つで呪いの重層的な構造にメスを入れていく。
複雑に絡まった糸のような忌まわしき塊に、徐々に秩序を与え、美しき配列に書き換える。彼の指は高速筆記者のように残像を残しながら素早く動いていた。
(見える――!今の僕には、全てが見える――!)
ぴたり――。
アルトの指が止まった時、全ての呪いは消え去り、少女の胸元には染み一つない美しい純白が広がっていた。
「はぁ……、んんぅ……、くぅ……」
少女にずっと背負わされていたどす黒い呪いが、音を立てて溶けていく。それは春の雪解けのようで、彼女を甘美な解放感へと連れて行く。
「アルト……、あ、ありがと……」
少女はアルトに正面から抱き着き、汗ばんだ丸出しの胸元を押し付け、切なそうに背中で呼吸をしていた。
一見すると、生々しく愛し合う男女のようだが、これは解呪の副作用で起こる一種の絶頂作用である。断じて、”性的な何か”ではない――!
一方そのころ、フェフシュタイン領の東方面、竜貴族プラトスが実効支配する土地において――。
「プラトス様。どうやらルビカが失敗したようです」
「そうですか。まあ、最初から期待しておりませんでした。人間なんてそんなものでしょう」
青白い鱗に覆われた竜人プラトスは、ガラスの器に注がれた漆黒の液体——まるで腐った沼を煮詰めたような、独特の芳香を放つお茶を優雅に啜った。
彼の指が触れている銀のティースプーンは、触れた箇所からじわりと黒ずみ、音もなく朽ち果てていく。
「期待とは、無知な者が抱く最大の誤謬です。私が彼女に与えたのは、”期待”ではなく”役割”。フェフシュタイン嬢に死の恐怖という教育を施すための、わずかばかりの役割を与えたに過ぎないのですよ」
「しかし、報告によれば、ルビカの呪印が完全に消失したとのこと。フェフシュタイン公の配下、あるいは招かれた客人の中に、我が主の呪詛を解く者がいる可能性が……」
その言葉に、プラトスは初めて手を止めた。伏せられていた瞼がゆっくりと上がり、爬虫類を思わせる冷ややかな瞳が側近を射抜く。
「……解いた、と? 私が下した死の呪いを、不完全な種族が書き換えたというのですか?」
クスクス、とプラトスは肩を揺らした。それは笑い声というより、枯れ葉が擦れ合うような乾燥した音だった。
「人間程度にあの呪いを解ける者はおりません。あなたもそう思うでしょう?勇者ロイ?」
プラトスは自らが腰を落ち着けている”椅子”に話しかけた。
それは椅子ではなかった。かつて、アルトをパーティから追放した勇者ロイが、四つん這いの状態で、四肢を震わせながらプラトスの巨体を支えていた。
「ふ……ぐ……!も、もう殺してくれ……!」
「それはいけません。命とは価値あるもの。このように活用しなければ勿体ないですよ」
よく見れば、そこにはカリスもゴードンもいた。ゴードンはテーブルとして、カリスは背もたれとして、彼ら三人は人間家具としてプラトスに奉仕している。
「い、いやぁ……!もうやめてぇ……!」
「お、俺様は……もう限界だ……!あ、足が……力が入らねぇ……!」
実は、勇者ロイ一行はあの後プラトスに挑み、見事に返り討ちにあってしまったのだ。
「そんな文句を言われるとは心外ですねぇ。無能なあなた方の価値をせっかく見出してあげたというのに……」
「ふ、ふざけ……ぐぼぉ!!?」
プラトスはロイの腹を踵で蹴り上げた。
「……まあ、呪いを受けたあなた方は耐用年数一年のボロ家具。壊れるその日まで、よろしく頼みますよ?」
「そ、そんな……!?」
プラトスは立ち上がり、窓の外に広がる、黒い霧に包まれた自領を見下ろした。かつて美しかった森は腐り果て、人々は希望を去勢され、ただの部品として動いている。
「……そろそろ参りましょうか。あのうら若きフェフシュタイン嬢が、私の【腐食の能力】にどこまで抗えるか。私の秩序を乱す者に、ふさわしい絶望を与えてやらねばなりません――」




