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 喋りながら、アキラは寝息を立てていた。

 これ以上、余計なことを口走られなくて済んだと、望巳は内心胸をなで下ろした。

「寝かしておいてあげましょ。疲れているみたいだから」

 妻は毛布をとりに奥へ行った。

 浮気を疑われたかと思ってヒヤリとしたが、どうやら誤解は解けたようだ。アキラは別の世界からやって来たのだと言っても信じてくれるはずがないし、言えば、よけい、ややこしいことになるのは目に見えている。そのことを伏せた上で、浮気の誤解を解くのは至難の業であるだろう。ある意味で誤解は深まったのであるが、ひとまず、修羅場を避けることはできたようだ。

 妻は、若草色のソファで眠るアキラに、オレンジ色の毛布を、そっとかけた。

「なんだか、不思議な子ね。浮世離れしてるっていうか。なんだか別の世界から来たみたい」

 思いがけず核心をついた言葉に、ギクリとした。これだから女は怖い。

 妻は中学校の教師をしていて、アキラくらいの子供とは、日常的に接している。直感的に、彼がほかの子供と違うのを感じ取ったのかもしれない。

 心なしか、顔が赤いように見える。

「でも、あなた、私のことになんて、もう興味がないのかと思ってた。あんな風に言ってくれているなんて…」

「バ、バカ…」

 それを言ったのは俺じゃなくて…。

 もちろん、説明できるわけがなく、また、説明するのも野暮だと思ったので、

「当たり前だ。お前は俺にとって、世界一の女さ」

 直子は夫にスッと歩み寄り、出っ張った腹の上にある大きな胸に、おでこをつけた。

 望巳の胸が、ドキリとする。そしてぎこちない手つきで、何年かぶりに、妻の体を抱きしめた。


 翌朝、アキラが目を覚ますと、既に望巳と直子は家を出た後で、ソファの前の小さなテーブルに、書き置きがしてあった。

『仕事に行ってきます。家の物は自由に使ってくれていい。やるべきことをするならば、それもいい。鍵は、一階の郵便受けにでも入れておいてください。夜には、帰って来るように。望巳』

 重し代わりに、キリンのキーホルダーがついた部屋の鍵が置いてあった。

 起きると、体にかけてあった毛布が落ちた。それを無造作に丸めてソファに置く。

 ダイニングテーブルの上には、ラップをかけた朝食が置いてあり、皿の下には、また書き置きがあった。

『昨夜はありがとうございました。よかったら食べて行ってください。直子』

「ありがとう?」とアキラは首を捻った。礼を言うのは、こっちの方なのに。どういうわけか、夫婦そろって至れり尽くせりだ。

 朝食を食べ終わると、望巳にもらった財布に、念のため一万円札を五枚ほど詰め込み、アタッシュケースは鍵をかけてソファの下へ突っ込んでおいた。取られるなどとは思っていなかったし、取られても構わなかったが、直子が不信がると良くないと思ったからだ。

 書き置きにあった通り、鍵を郵便受けに入れて部屋を出た。

 マンションの前にはバス停がある。昨日、何度か乗った際、バスの乗り方については、望巳から何度も説明を受けていた。面倒くさければ、タクシーを使えとも言われた。バスにタクシー、そして個人所有の乗用車。こちらの世界の、自動車の量は凄い。あちらの世界にいた頃、不必要に広い道路の存在に疑問を持っていたが、それでも足りないくらい自動車で溢れているのには驚かされた。一台あれば、何人も乗れるのに、どういうわけか、一人で乗っているのがほとんどだ。わざわざ、道路の車の量を増やすためにやっているように思えた。


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