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父親の葬式は出せなかった。
あの頃、世の中はもう、葬式どころではなかったのだ。
真っ白な防護服を着た、市役所の職員だと名乗る人物が数人来て、担架で遺体を運んで行った。
母は泣いていた。ここ数日、父が病で倒れた辺りから、ずっと泣いていた。今朝になって、ようやく落ち着いたように見えたが、遺体が運ばれていくときには、また、狂ったように泣いた。
アキラと姉は、涙も出なかった。
優しい父だった。背が高く、スポーツマンで、休みの日には、必ず何処かに遊びに連れて行ってくれた。同年代のおじさんたちのように腹が出ていなくて、カッコ良かった。自慢の父だった。
だけど、悲しいとか、寂しいとか、そんなことは少しも思わなかった。思っている余裕がなかった。この時は、ただただ、母が心配だった。
世間が、なんだか大変なことになってきたということは、子供ごころに漠然と感じていた。それでも、子供の自分には無関係なことと思っていた。父や母が、きっと、なんとかしてくれると信じていた。
この春入ったばかりの小学校に行かなくなり、市営住宅の部屋から、まったく出なくなった。
テレビのチャンネルが一つずつ減っていき、今はもう、何も映らない。映らなければ、テレビなんて、邪魔なだけだ。テレビの向かい側にあるソファには、今もクセで座ってしまうが、座ると手持ち無沙汰になって、仕方なく、マンガ雑誌を手に取るものの、何度も読んだものなので、結局すぐにやめてしまう。
それから一ヶ月と経たずして、母が死んだ。
姉が、ベッドに横たわる母の頭の上まで毛布をかけた。
このときも、姉は少しも泣かなかった。その分、アキラは、母の亡骸にすがって、ワンワン泣いた。
その頃には、もう、電話も通じなくなっていた。自分も姉も、家族が死んだとき、どうすれば良いのか分からなかった。多分、どうしようもないんだ。
食料が、もう、底をついていたので、姉に連れられて、アキラは外に出た。この部屋には、もう二度と帰って来ないであろうことは、分かっていた。家を出るとき姉は、死んだ母の財布を握っていた。花柄の長財布だった。結局、これは何の役にも立たなかったのだけれど…。
数か月ぶりに歩く町は、閑散としていた。あれほどいた人が、みんないなくなってしまった。
ときどき、道端に死体が転がっていた。多くは腐敗して虫がたかっていた。最初、姉は見るなと言ったが、死体はいくつもあったし、嫌でも目が行ってしまう。きりがないので、姉は途中で言うのをやめた。
公園の中にある『憩いの家』が避難所になっていて、生き残った人たちが集まっていた。どうやら、アキラが一番年下らしかった。
憩いの家には、百人余りの人がいた。老若男女様々だったが、誰もが絶望と疲労で憔悴し切っていた。
幼いアキラは、その顔が恐ろしく、ずっと姉の後ろに隠れていた。四つ上といっても、姉もまだ、小学生だった。彼女もまた、不安で、恐ろしかっただろうと思う。しかし、泣き言など一つも言わず、アキラの手を強く握ってくれていた。
毎日、男たちの何人かが町へ行って、スーパーマーケットやコンビニから食べられそうな物を集めて来て、なんとか飢えをしのいだ。
憩いの家は二階建てだったが、百人が住むには狭すぎた。昼間はいいが、夜は折り重なるようにして眠った。
「助けが来るまでの辛抱だ」。みんなの口癖だった。
「ああ。それまでの辛抱だ」
しかし、助けは来なかった。
家を出て十日目。姉が発症した。
「こ、こいつ、発病してるぞ!」
ぐったりして顔色が悪い姉を見て、悲鳴のように、そう叫んだのは、そのときはまだ、いくらか髪が残っていた〝ハゲの〟ヨシダだった。
もう、その頃には、新たに発病する者はいなかったので、想像以上に大きな騒ぎになった。
「放り出せ!早く!」。怒声が飛んだ。
「やめろ!姉ちゃんに触るな!」
アキラは、姉の体にしがみついて、喚き散らした。手袋とマスクをした男たちがやって来て(今考えると、あんなもの、防護服の代わりにはなりえなかったのだけれど)、アキラを引き剥がそうとしたが、アキラは暴れて、それをさせなかった。ここで、もし負けてしまったら、もう二度と姉に会えなくなってしまう。死にもの狂いだった。
「このガキ!」
拳骨が飛んだ。一瞬、目の前がグワンと揺れて、アキラは床に投げ出された。あの、殴った奴は、たぶんオニガワラだったと思う。自衛隊仕込みの拳骨で7歳の子供殴りやがった。酷い奴だ。
「やめろ!相手は子供だぞ!」
アキラと姉をかばったのは、無精髭を生やしたギョロ目の男。まだ、三十歳になっていないゴロウだった。
姉を放り出そうとしていた男たちは、今度は彼に食ってかかった。
ゴロウは自分から手を出すことはないから、おそらく、先に殴りかかったのは、相手の方だろう。
五人くらいいただろうか。気付けば全員、顔や腹を押さえて床に転がっていた。
「この子たちは、俺が連れて行く」と、ゴロウはマスクも手袋もなしに姉の体を抱き上げた。「坊主、一緒に来い」
アキラは、姉を抱いたゴロウに連れられて、憩いの家を出た。
適当な空き家を見つけて上がり込み、押入れから布団を出して姉を寝かせた。
「坊主。何て名前だ?」
「…アキラ」
「アキラ。どうして姉さんが、今頃になって倒れたか分かるか?」
アキラはかぶりを振った。
「気を張ってたからさ。人間の精神と肉体には、密接な関係がある。ああ…、つまり、心と体はつながってる。俺は、気合で癌と戦って、余命を2年も伸ばした奴を一人知ってる。お前を安全なところへ運ぶまで、倒れるわけにはいかないって思ってたから、姉さんは発病しなかったってわけさ。きっと、甘えん坊のお前一人じゃあ、避難所へやって来ることもできなかっただろう。姉さんに感謝しろ。お前の命の半分は、姉さんに貰ったもんだ。絶対に死ぬんじゃない。どんな時代が来ようが、生き延びるんだ」
姉が息を引き取るまでの二日間、アキラはその家で、ゴロウと三人で過ごした。
姉が死んだとき、アキラは泣かなかった。そのままゴロウに連れられて避難所に戻り、そして新たな生活が始まった。




