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アキラは、ユイを強く抱きしめた。
気丈なユイが、子供のように泣いている。よほど怖かったんだろう。抱く腕に力をこめた。
しかし、いつまでも、こうしているわけにはいかない。騒ぎは今も続いている。ショウゴが頑張ってくれている。一刻も早く逃げなければならない。
「せっかくだけど、彼女を連れて行ってもらっては困るんだ」
突然の声に、アキラは振り向いた。
向かいの部屋のドアが開き、その前に一人の少年が立っていた。
明るい色の髪。白い肌。
一目で分かった。『タクミ』だ。
反射的に銃を向ける。見たところ、相手は丸腰だ。
「そうはいかない。こいつは俺の女だ。できれば、ユイの前で人を殺したくない。部屋へ戻って大人しくしてな。坊ちゃん」
タクミの視線が凍りつくように冷たくなる。
間合いは、3mに少し足りないくらいだった。
気付けば、銃を持ったアキラの右手に、タクミの左手がかかっていた。
こいつ…、ゴロウさんみたいな動きを!
銃が叩き落され、ゴトンと音を立てて床に落ちた。
引き金を引く暇さえなかった。引かなくてよかった。いくら向こうでショウゴが暴れていても、銃声がすれば、気付く者がいるはずだ。
間髪入れず、タクミの手が飛んできた。
顔面、いや、目突き。
横にかわす。爪がアキラのこめかみを切り裂いた。
「あれ?」
タクミは、首を傾げている。どうして避けられたのか不可解のようだ。
大きな隙。だが、アキラは間合いの外に出た。
格闘においては、仕掛けた方に分がある。相手のターン中、下手にやり返せば、こっぴどい反撃をもらう。
「へぇ。素人じゃないんだね」
子供のような声で言って、タクミはにっこりと笑った。
やっぱり、こいつ…、後の先を狙ったのか。まずいことになった。こいつを何とかしないことには、ここから逃げられそうにない。
次はこっちのターンだと、アキラが踏み込んだ。ゴロウやタクミのように、ノーモーションで踏み込むことはできないが、天性の資質がある。速い。
ジャブで間合いを詰めて、右正拳。しかし、これはフェイントで、ジャブを撃った肘を曲げ、鉤突き。
タクミは、後ろにステップして、なんなくかわす。
逃がすか!
すかさず前蹴り。タクミが防御する。しかし、これもフェイント。足を戻すと同時に反対の足で地面を蹴り、前へ。髪と衣服を掴みにかかる。
なるほど。たいした運動能力だが、腕力では、おそらくこちらが上。掴んでしまえば、こっちのもんだ。
てっきり、後ろへ下がると思ったが、予想に反して、タクミは前に飛び出した。タックル?しかし、勢いがない。アキラの胴に抱き着く形になった。
クリンチ?まさか。
ボクシングで、そういう防御法があることは知っていた。だが、実戦では、まず使えない。
髪を持って引き剥がすも良し。関節技をかけることもできる。
そのとき、アキラの腹に鈍痛が走った。
焦って拳を振り回す。タクミが飛び退いた。
何…、しやがった。
腹に手をやると、そこから何か固い物が飛び出してるのが分かった。
ナイフだ。…俺がズボンの後ろに隠してあったやつだ。…こいつ、どうして知ってやがった?
タクミは、してやったりと口元に笑みを浮かべ、
「切り札のつもりだったんだろうけどね。逆に意識しているから、隠しているのが、丸わかりだったよ」
アキラは呻いて膝をついた。遅れて流れ出した血がナイフを伝い、ポタポタと床に滴った。
…まずい。やられる。
「動かないで」
アキラの隣に、ユイが立った。構えた銃は、アキラがさっき落とした物だ。タクミの頭に向けられている。
タクミは焦るでもなく、むしろ両手を広げて、
「冗談はやめてよ、ユイ。そこにいたら、そいつを殺せないじゃないか」
「殺させないわ」
ユイとタクミの距離は2mほど。奴ならば、なんなく銃を叩き落とせる距離だ。しかし、タクミは、そうしようとはしなかった。
「悲しいよ、ユイ…。また、僕にそんな物を向けるのかい?また、僕をそんな目で見るのかい?どうして、君は分かってくれないんだ。君は僕の、この世でたった一人の…」
言いながら、ゆっくりとタクミがこちらに歩み寄る。そして、ユイの方にそっと手を伸ばした、そのとき、
パンッと、乾いた音が鳴り、狭い通路にこだました。
一瞬、タクミの頭が後ろにのけぞり、そのまま仰向けに倒れた。
右目は虚ろに宙を見ていたが、左目は真っ赤な肉の塊になっていて、飛び散った血が、顔の半分を赤く染めていた。
アキラは、震えるユイから拳銃を取り上げ、ズボンに差した。腹の傷は、思ったより深くなさそうだ。これなら、逃げ切れるかもしれない。
「行こう」と、アキラは、何も言わないユイの手を引いて走り出した。




