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その足で、アキラは医務室を訪れた。
医務室には、暗いランプの光で棚の薬品を整理しているマッチャンと、ベッドの上で、添え木で挟んで包帯を巻いた両脚を、天井から吊るしているナマズ髭の姿があった。
「どうしたんだい?アキラ。こんな時間に」
「こんな時間までご苦労さんだね、マッチャン。こいつと二人で話したいんだ。悪いけど、席を外してもらってもいいかな?」
夜中に突然訪ねて来て、話をさせろとは、ただ事ではない。マッチャンは迷ったようだが、
「いいけどさ…。一応、私の患者だからね。あんまり手荒なことはするんじゃないよ」
「ああ…。約束する」
マッチャンは、アキラとナマズ髭を残して、医務室を出て行った。
ナマズ髭は、じっとりとアキラを眺め、「なぁ、兄ちゃん、煙草持ってねぇか?ヤニ切れで死にそうだぜ。それに、あの犬の餌はなんだよ。ここのハイブの連中は、あんなもん食ってんのか?」
アキラは、天井から布で吊るしてある両脚のうち、一方を蹴飛ばした。布の中で脚が跳ねあがり、元の場所に着地する。
ナマズ髭は、声にならない叫び声を上げた。
「な、何しやがんだ、コノヤロ…」と、怒鳴り散らす男の顎を掴んで、力任せに頭をベッドの上に押し付けた。
「おめでたい奴だな。本当に手荒なことをしないとでも?だが、俺はまだ、優しい方だ。もう少しすると、ヒザキたちが来る。昨日のショウゴを見ていただろう?あんな風になりたくなかったら、大人しく知ってることを喋るんだな」
「ショ、ショウゴはどうなったんだ?」
「死んだよ。血反吐が止まらなかった。のたうち回って、自分の舌を喉に詰まらせて、死んだ」
ナマズ髭は、ガチガチと歯を鳴らし始めた。
「俺たちハイブの者が、ワスプより優しいと思うなよ。俺たちだって、生きるのに必死なんだ。自分が生きるためなら、他人の命なんて、物の数でもない。ましてや、お前らは部外者だ。殺すのに、何の抵抗もない。せいぜい、死体を片付けるのが面倒なくらいだ」
「わ、分かった!話す!話すが、一つ約束してくれ」
「何だ」
「お、俺に護衛をつけてくれ。そうしないと、殺される」
「心配するな。いくらワスプでも、そんな簡単にハイブの中へは入って来られないさ」
「ワスプじゃない。あの男だ。いつも、取引に出て来る、髭の男だよ。ゴロウとか呼ばれている、あの男だ」
「ゴロウさんが?!おい、いい加減なことを言うな!」
「う、嘘じゃない。あいつ、俺がここに運ばれて来てから、何度となく、ここに来ては釘を刺して行くんだ。『余計なことを喋ると命はないぞ』ってな!」
アキラは思案した。あのゴロウがそんなことを?にわかに、信じがたい。しかし、マミヤが言っていたこともある。リュウザキの人間が、この男を介してワスプと通じていたとしたら、このハイブに通じている者がいてもおかしくない。そして、その可能性が最も高いのはゴロウだ。
「ゴ、ゴロウさんは、ワスプと通じているのか?」
単刀直入に訊いた。自分が恐ろしいことを言っているようで、語尾が少し震えた。
「いいや。あいつほどの人材だ。俺たちも仲間に欲しいところだが、あの堅物をこちら側に引き込むのは、そう簡単じゃない」
アキラは、胸を撫で下ろした。だが、ナマズ髭は続けて、こう言った。
「取引は、今回が初めてだ」
「取引…だと?ショウゴは、取引次第では、ワスプの襲撃を免れると言っていた。その取引か?」
「そうだ。もう終わったはずだがな」
「なんだと?!取引があったのか?!」
「ああ。お前が俺を捕まえたせいで、段取りが狂ったんだ。拷問を受けて、俺が喋ったりしたら、取引に支障が出る。良かったな。ハイブは危機を免れた。もっとも、ボスが約束を守ればの話だけどな。だが、ボスにとっても、こんな弱小ハイブを襲って得はない」
なんてことだ。ゴロウは、このハイブを助けるため、誰にも相談一つせず、たった一人でワスプとの交渉に出かけたと言うのか。
ヒザキは正しかった。やはり、ゴロウは信頼の置ける人物だった。ほんの少しでも疑ってしまった自分を、アキラは強く恥じた。
しかし、ハイブを救うほど価値のある何かは、それが燃料であったとしても、食料であったとしても、ゴロウ一人で持ち運びできる量ではない。輸送隊よろしく、トラックでも使ったか?いいや。このハイブにトラックなんて物はないし、使えばエンジン音で自分たちに気付かれないはずがない。つまり、取引の材料はゴロウが体一つで運べる物なのだ。
まさか…。いや、しかし、そうとしか考えられない。
「ゴロウさんは、自分と引き換えに?!」
確かに、ゴロウほどの人材ならば、引き換えにハイブを一つ見逃して、余りある利益だろう。しかし、ナマズ髭は首を横に振った。
「それなら、まだ納得できるんだけどよ。ボスの考えることは、分からねぇ」。本当に理解に苦しむといった風に、ボリボリと頭を掻いた。「女だよ。俺の鞄に写真が入っていただろう?」
背中の毛が、下から順番に逆立っていくのが分かった。
アキラの脳裏に、昨日見た写真が蘇った。高校の入学式の写真。パンデミック前の写真で、セーラー服を着た少女は明らかに別人ではあるが、見た目はまるで…、
「ユイ!」
アキラは、ランプも持たずに医務室を飛び出した。




