浮き出た悪意・1
他者を出し抜く。これは生物に備わった、原初的な感情。これがあるからこそ、生存競争という、自然界の過酷な戦いが起こるわけである。
やるからには、彼よりも先に、父上を探し当ててやろう。僕もそんな風に、意地になっていた面があるのは認めよう。……いや、「こうだったら面白いなあ」とか思ってたりはしたけれど。でもそれを現実に適応させようとするのはただのバカだ。
『女装した男が、女学園に入学する』といった話は、アオナシ文芸倶楽部ではすっかり使い古されている。もはや古典的とすらいえる題材だったりする。が、現実にはあり得ないから「小説」は「小説」なわけで。所詮は現実逃避に他ならない。事実は小説よりも奇なりとは云う。それでも「小説」は、異次元を切り取るツールでしかない。
……どうやって男であることを隠しきれたのだろう。僕はそんな疑問が頭をもたげる。流石に、アオナシ内部で起きていた事実までは、実家からの手紙には書かれていない。
お風呂なんかは、個室があるわけでもなく。公衆浴場で男性的な部分を誤魔化せるはずがない。入らないという選択肢も選べないだろう。お風呂に入らない【お兄さま】なんか、僕は生理的に嫌だ。
けれど僕には幾つか、それらを可能にさせられる記号を持ち合わせてしまった。
「教員棟。生徒立ち入り禁止。個室。僕は教師の裸までは見たことがない。――十数年前に、生徒といけない恋をした教師の伝説。法律、もとい校則とは犯した者がいるから制定される」
なるほど、そういうこと。
僕が先に到達した真実を打ち明けてもいい。しかしそこには重大な思惑があったからこそ、周囲の人間は諫早に隠していたに他ならないわけで。アオナシに諫早を編入させたのは、加稲さんが率先して、とのことでもある。ばれるのが怖くないのか、それとも『ばれて』ほしいのか。会ったこともない僕には、その気持ちを組み取れやしない。
うーん。現状維持を選択するのが最善か。これ以上ややこしい自体を起こしたくない。今はまだ大人しくしておこう。嫌な予感がする。
「というかさあ……こういうのは諫早がアオナシを去る時とかに、『実は……』といった形で誰かに教えられて、『な、なんだってー』となるのではないのかぃ僕っていうやつは」
それが最大のハプニングとなるのが普通の展開だろうに。瞬間最大風速は凄まじかったにしても、これでは台風一過だ。なにが残るというのだろう。
僕は桜を眺めながら、世の無情さを憂えてみた。
設立を記念して植えられた桜の木。気温の低いこの地域の気候に加え、標高がそこそこな山の上にあるアオナシでは、この時期でようやく満開となる。アオナシの春は、咲き誇った桜を見物しながらのお茶会が風物詩となっている。春特有の心をざわめかせる不思議な匂い。外に出たいという欲求を強くさせる。それに、桜の下で告白、といったイベントもある。噂話には事欠かない。色々な要素が合わさって、春が好きという娘も決して少なくない。
「梨山お兄さまー! 梨山お兄さまもお花見ですかー?」
「あらら。見つかっちゃった」
身を隠そうともしていない上に、こんな目立つ格好をしているなら当然か。僕はくすっと笑いながらそう思った。中三の級長、坂君だ。いつも元気いっぱい。この明るさは、ただそこで笑顔を振りまくだけで次々に伝染してしまう。どこかにいる誰かみたいに擦れたところのない、素直な娘だ。
「ちょっと子猫ちゃんのご機嫌取りに。待ち合わせしてるんだ」
世間と違い、土曜日は半ドンですらなく、平日と同等に授業がある。授業がない曜日は日曜日と祝日のみ(その代わり、長期休暇が春夏秋冬にある上、一度の休暇が長い)。
今日は日曜日だ。存分に身体を休めたい。……「お兄さまといえど、週一ぐらいは息抜き必要だよね」と破魔に言ったら、「ラーナって、いつ抜かないといけないほどの息を吸っているんです?」とか刃のような言葉が返ってきたことがあったっけ。
十時ほどに早起きして(同じ部屋にいる誰かに呆れられたけど)、ブランチを取りながら、どんな安息の一日にしようか破魔と相談をしてみた。『暇ですねえ。でも、なにもしないのもアリじゃないですかねえ』との一言で、今日の僕の予定は埋まった。
あーだこーだ言い合っているくらいなら、なにもしない方がマシ。一日中なにもしなくてもよいというのも、それはそれで裕福の証なのだ。
「なるほどー。破魔ちゃんは嫉妬深いですもんね!」
「愛情によるものだったらいいんだけどね」
たまに、本気で僕に飽きれてるんじゃないか、と思うときがある。『あんな』ことがあった手前、僕を無碍にできないだけ。破魔がそんな動機で僕の世話を焼いていたとしても、あの娘の性格ならあり得てしまう。無理だけはしないでほしい。破魔のためにはならない。
「だから休日なのに赤制服。桜と混じってるのに、なんかアオっぽいですね。あはは」
……坂君はこれがなければなあ。破魔や巻名君と違う、悪意のない毒は対処に困る。
僕は赤制服を着ていた。始業式以来なだけなのに、一年ぶりに袖を通したような感慨。ああ、脚がスースーする。この下半身が外と直接繋がっているような感じが、僕はあまり好きではなかったりする。破魔たってのお願いだ。「どうせデートなら、女装してください」と。女装って。
「でも諫早先輩のおかげで、梨山お兄さまの女性的部分が強調されて、そこれがイイって、【双児宮(中三)】では評判ですよ!」
「男と比較されないと僕って女に見られないんだあはははは」
「はい! ですから、それを教えてくれた諫早先輩に、感謝感激雨霰です! カッチョイイですよね諫早先輩って! もしあの人がなにかしようというなら、手伝わせてください! 【双児宮】はそれが楽しみですよ!」
「諫早が【双児宮】で受け入れられて嬉しいよ……助けが必要な時がきたらよろしく頼むね」
そんな話をしていたら、やっと破魔がやって来た。
「待ち人が来ちゃった。じゃあね坂君」
「じゃあまた! 楽しんでください梨山先輩、破魔ちゃん!」
「はいです。みなさんが考えてるような、甘いことには発展しませんけど」
あまり毒のない言葉を破魔が返して、僕らは歩き始める。




