青の稲妻・11
行動は迅速に。その日のうちに、僕は破魔と一緒に、教員棟を訪れた。
放課後以降になると、ほとんどの教員は教員棟へ戻ってしまう。倶楽部の顧問をしているならそちらの部室に居ることも多いが、僕らのお目当てのハクラ先生は、どの倶楽部顧問もしていない。完全にフリーの立場だ。
「先生たちって自由時間になにをしてるんでしょう」
「人によるからなんとも言えないんじゃないかな。先生によっては小説とか読んで時間を潰してるだろうけどね」
持てあます時間をどうにかして消化したいと思うのは、教師とて同じ。
「すいません、ハクラ先生はいらっしゃいますか?」
教員棟は許可のない生徒の立ち入り禁止。それでも教員に用があることもあるので、そういった場合は入口にある窓口に居る用務員さんから引き継いでもらう。
「待っててください」
無機的に返答をした用務員さんは二階へ確認をしに行く。少し待つと戻ってきた。
「現在、ハクラ先生は戻っていないそうです」
「そうですか。どちらへお出向きかは?」
「いいえ。聞いておりません。……ハクラさんの行動は、読めませんから」
ですよねー。僕は心で同意する。破魔も無言で頷いていた。
「伝言があれば御聞きしますが」
「いいえ。ここにいないなら、自分たちで探しに行きます」
そう言った僕たちは、ハクラ先生がどこにいるのかの当てもなく、学園中をウロウロと歩きまわる。
しかし、今日は花壇の一角だけ荒れていたり、植え込みがボロボロになっていたり。細かいところに、生徒会役員として目がつくなあ。
「虫が湧いちゃってるのかな。ちょっとボロボロな草が多くない?」
「そうですね。御用箱に投書でもしておきますか」
「どうせなら不備がないか探してまわろうか」
風紀を守るのも級長の仕事。ものはついで。こんな時でもなければ学校なんて歩き回らない。
「やあ君たち。ハクラ先生を見なかったかい?」
「いえ、見てませんねえ。それよりお兄さま、次はいつ空いてますか?」
「一週間先までだね。分かった。苦手だけど、手芸部にも訪ねてみるよ」
「ありがとうございます! お兄さまでもできそうなものを準備しておきますね!」
「あはは……」
ちゃっかりと【お兄さま】をやったり。
僕らが発見した頃には日が傾き始めていた。あやうく今日という日も無駄にしそうだった。
ハクラ先生は中庭の三人掛けベンチで、ぼーっと日向ぼっこをしていた。傍らに魔法瓶と急須と、ティーカップ。注がれているのは緑色の液体。……グリーン「ティー」だから間違ってはいないだろうけれど、その組み合わせはどうも違和感が。
「門限だぞ」
「届けを出してます。諫早に関わりあることですし、大目にみてくださいよ。隣、いいですか」
「そう。センセイはうるさく指導するつもりはない。これでも、そういう道を通ったクチだ。大人に見えないようにこそこそしたりな。内心、ナシヤマみたいな破天荒な生徒は応援すらしたい。そんな教え子が擦り寄ってくるのは年甲斐もなくワクワクする。何か起こしそうでな」
短い話になるはずもない。真ん中に座っていたハクラ先生の右側に僕が座る。……なのに破魔は僕の右側に立ったまま。
「なんで僕の隣かな。逆側に座ればいいじゃん」
「ハマはいつだってラーナの片腕ですから。……最近は【お兄さま同盟】のせいで……せめて公私の私には……」
最初のきっぱりと一言を放ったくせに、続く言葉はとても弱々しかった。ハクラ先生が破魔を見て、「センセイは敢えてどかないでおく」とニヤニヤしながら言った。はて。そんなに楽しいのかね、第三者視点の破魔の反応って。
「ナシヤマのおかげでいい天気だ」
「ノーテンキ、ってことですね。ハクラ先生はラーナをよく分かってます」
「……その、ハクラ先生。ちょっと相談というか、御聞きしたいことがありまして」
その理論だと、毎日晴れでないとおかしいじゃないか! とツッコまずに流しておいた。
「古文の訳? あそこは毎年、一人か二人は引っ掛かる難問だ。ナシヤマがあそこで悩んでるの、センセイは知ってるぞ」
「それじゃないです。それじゃないんですよ。それであってはならないんです」
たしかにあの部分は僕だけが理解できていないけれど。なんか別の意味で引っ掛かる。なんか、普段の授業は身が乗らないから、あまりついていけてないんだよね。試験前になればしっかりと勉強するから、クラス一番の成績をとれるだけであって。
「諫早のことですよ」
「坊っちゃん。坊っちゃんのことか。仲良くなれたか?」
「昼食や夕食に相席を許してくれるぐらいには」
実際は、下ネタを言い合う仲。僕が一方的とか言わない約束。
「よかった。坊ちゃんも人見知りをしなくなったものだ。小さい頃の坊ちゃんときたらすぐ泣き出したのに。ピーマンが大嫌いで。センセイとカイナ様で、『こら、食べなさい』って叱ると、泣きながら『やだよ~、食べたくないよ~』って泣いて謝るんだ。それが再開した時には、大人の態度でセンセイに接してくるのだからな。やだやだ、若いころと違って涙脆くて困る」
「へ、へえ」
握る必要のない弱みを握ってしまった。……いつか使おう。
「新聞部のインタビュー、しっかりと答弁していて、凛々しかった」
「ああそうです。あのインタビューも、破魔を僕が手伝ったんですけど、」
「【お兄さま】は倶楽部活動しちゃだめだ!」
「そうじゃなくて。……そこまで強く言われるとは」
ハクラ先生の大声を聞くのは初めてかもしれない。
「皆の規範にならなくてはいけないんだ【お兄さま】は。規則は破ってはならない」
僕を無視して、ハクラ先生なりの『お兄さま理想論』語りに入られてしまった。この歳になって、ここまで【お兄さま】に幻想を持っている。それだけ、諫早の母は偉大だったのだろう。
教員の殆どが、自分が学生だった頃……その中でも、特に素晴らしかった【お兄さま】像を現在の【お兄さま】にも求める。教員が「これだから今の代は……」と愚痴に入ってしまったら、その度に僕は「あはは」とヘラヘラ笑ってやり過ごす。
「イサハヤから、アオナシを卒業した後使用人をしていたと聴きました。それなら諫早家の事情も知っていると思ったんです。カイナさんの周りに、アオナシの中だけでなく、外まで含めて誰か親密な男性はいませんでしたか? 許嫁がいたり、卒業後に嫁入りとかはしなかったのですか?」
「ちょっと破魔。直接すぎるって」
僕は小声で窘める。まだ幼い彼女は、ここぞという時に気遣いが足りない部分もある。そういったところは、僕が教えて行かないと。
「…………。はい、二人とも。熱いから気をつけて」
「いいんですか?」
つい確認をとってしまった。だが、それは無粋だったか。淹れた緑茶を渡してくれたことから、排除されているわけではない。
口に含む。熱さの向こうに、果物を絞ったような瑞々しい風味が鼻を抜ける。緑茶特有の渋みと甘みが喉を通り、胸に塊となって落ちていく。
「ここの農園で採れた緑茶は風味がいい。学生時代、センセイの憧れの先輩が愛飲していた。だから未だにセンセイも好きだ。未練がましいけどな」
直接関係のないように思える内容であった。が、過去を懐かしむその瞳は、少女期にしかないはずの輝きで満ちていた。
「……それって、」
加稲さんのこと。最後までは言わなかったけれど、察してくれたようだ。優しい笑顔。
「あまり当時のことは語りたくない。ただ、これだけは教えてもいいと思う。現行の【お兄さま】には、同じ過ちを繰り返させたくない。……センセイはな。アオナシ最後の年。カイナ様と、愛していた人を引き離し、無理矢理にカイナ様と関係を結んでしまった。あの時は、冗談抜きに学園の存続が危ぶまれた。未曾有の不祥事だとな」
――同性同士による恋。それは僕らアオナシ生と決して切ることのできない関係にある。
僕の手のひらへ熱を移動させているこの湯呑みのように。誰かへの熱い気持ちを抑えるなどできようものか。溢れる気持ちは表面張力を破り、止めどなく流れてしまう。そういった想いを抱え、自らがはちきれてしまうよりは……想いを遂げたくなる気持ちは、僕にもよく分かる。
僕の脳裏には、いくらかの組み合わせが浮かんだ。クラスメイトでいえば、蒔苗君・茶畑君コンビ。アオナシでは幾つか親愛を示す儀式があるが、彼女らはその中でも【夫婦】と呼ばれる契りを結んでいる。おかげで一定の距離を保たないと、目線が痛いこと痛いこと。特に蒔苗は、あれでとても嫉妬深いから性質が悪い。
「全ては、アオナシで起きた。カイナ様は、女性と騒動を起こした。――そのくらいだから、カイナ様は男性に興味もったことはない。ましてや仲良かったなど」
強い、否定の言葉だった。強すぎる、と表現してもいいほど、声に力が籠っている。ふと、蒔苗君を思い出した。茶畑君と諫早が楽しそうに会話していて、冷たくなっていたあの視線。それと同じ空気を、ハクラ先生から受け取る。
「坊ちゃん。立派になった。カイナ様は坊ちゃんを立派に導いた。……ワタシは不敬者だ。カイナ様に一生仕えると契りを結びながら、カイナ様から逃げた。守るためなんてとんでもない。怖かっただけだ。ワタシさえいなければ。そう考えたせいで、カイナ様が堪え忍んでいたことを水泡にした。……そんなワタシが、坊ちゃんとまたこうして一緒に暮らせる。神はいったい、ワタシにどんな罰を与えたもうのか。覚悟しなければならない。なのにワタシは強欲だ。また坊ちゃんと――カイナ様と川の字になれるのを夢見ている。……そうしたいと、強く願ってしまっている。こんな想いをするくらいなら、坊ちゃんと今生で再会するべきではなかった」
その言葉は、独り言ではない。だからといって、僕らへ宛てたものでもない。
少々ヒートアップしたハクラ先生は、まだまだ熱い緑茶を飲んでクールダウンとしていた。
「ふう。……ナシヤマは、【夫婦】ができそうか? いいものだぞ、あれは」
「ハクラ先生の過去を否定することになってしまいますが、【お兄さま】に向かってなにをおっしゃいます。全校生徒が僕の妻ですよ」
「そうじゃなくて。ナシヤマにも公私の私はあるだろう?」
「いや、そちらは全く。どちらかというと片思いですよ」
僕の想い人……佐手さんは僕を、懐っこい後輩以上には思ってくれていない。
それでいい。僕に好かれても、向こうとしても迷惑だろう。佐手さんにだって好きな人が居る。というか、居た。僕はそういう現場を目撃して、胸が押しつぶされそうな夜を送ったこともある。その時の僕は、佐手さんにとって完全に蚊帳の外の存在だった。悲しいかな、佐手さんは僕にそういった感情を持ち合わせていないのだ。
まあ、だからこそ僕は、佐手さんと健全にお付き合いできるのだから、嘆いたりはしない。一緒に居られれば、それでいい。
「大体、【お兄さま】をやってなければ、僕なんかに恋してくれる娘なんていません」
「そうか」
僕がそう言うとハクラ先生は、安心したようながっかりしたような……見る者次第でどうとでもとれる表情をした。お茶を飲み、黙りこくる。もうこれ以上話す舌は持たないようだった。
「…………」
破魔は破魔で、こちらは嫉妬と悲しさを、ない交ぜにしたような表情をした。
はあ。僕は二人に悟られぬよう、小さくため息を吐く。…………。どうして破魔は、ここまで僕に執心するのかねえ。僕はそこまで大それた人間ではない。せいぜい、一つの可能性が頭に浮かんできた、その程度なのに。
これまで、ちょくちょく見受けられた、その種の数々。これらを統合して、なんとか出てきてしまった、その可能性。
もしかすると、ハクラ先生が、諫早の実の――




