導きのいもむし
女王がほほ笑んだ。
「それでは、あなたの旅を導く精霊を預けます」
「もう旅立つ前提だし」
「とてもかわいい精霊なのですよ。さあ、導きの精霊、いらっしゃい」
玉座の後ろから、何かが、ちょこ、ちょこ、と這い出てきた。
若葉色だった。
体の前半分をくいっと持ち上げて、後ろ半分をきゅっと引き寄せて、また前を伸ばして。
尺取虫みたいな動きで、大理石の上を一生懸命に進んでくる。
そして、私と目があった。ような気がした。
「……なにこれ」
「導きのいもむしです」
「導きのいもむし」
「はい、いもむしの形をしていますが、実際には魔力そのものです。世界の仕組みに近い精霊ですね」
「これが!?」
私は、いもむしを見る。
なんか、お尻をふりふりしている。ご機嫌だ。
「いもむしとあなたの心が通い合ったとき、願いが叶うことでしょう」
「なぜ、いもむしなの……」
思わず、声に出ていた。
異世界ものの小説なら、何冊か読んだことがある。こういうときの相棒は、だいたい、もふもふした聖獣とか、手のひらサイズのドラゴンとか、しゃべる白い鳥とか、そういうものと相場が決まっているのだ。
しかし、私の足もとにいるのは、いもむしだ。
大きさは、ちょうど私の手のひらくらい。若葉色で、つやつやしている。もふもふは、どこにもない。
「なぜ、とは?」
ティエタさんが、本気で不思議そうな顔をした。
「いや、だって、いもむしだよ?」
「はい」
「せめて、もうちょっとこう……かっこいいのとか、かわいいのとか」
「いもむし様は、かっこよくて、かわいいではありませんか」
即答だった。迷いがない。
「ごらんください、あの動き」
ティエタさんが、うやうやしく床を指し示す。
いもむしは、くいっ、きゅっ、と体を伸び縮みさせながら、大理石の上を進んでいる。そのたびに、お尻が、ふりっ、ふりっ、と左右に揺れる。
「体のすべてを使って、一歩ずつ、地面に文字を書きながら進んでおられるのです」
「……書いてる?」
「はい。いもむし様は、生まれながらに尻文字を書いておられるのです」
ティエタさんが、胸の前で手を組んだ。
使用人さんたちが、いっせいに深々と頭を下げた。
さっきのおばあさんは、また拝んでいる。
「それ、ただ歩いてるだけだよね?」
「違います。書いておられるのです」
いもむしは、みんなに拝まれて、まんざらでもなさそうに、お尻をふりふりした。
……こいつ、ちょっと調子に乗っている。
「それに」
ふいに、女王が口を開いた。
「いもむしは、変わることができますから」
静かな声だった。
変わる。
さっき、私が決めたばかりのことだ。
女王の青い瞳は、いもむしを見ているようで、どこかずっと遠くを見ていた。
変わることができる。
その言い方が、なんだか、少しだけうらやましそうに聞こえた。
そう思ったときには、女王はもう、さっきまでの完璧な微笑みに戻っていた。
いもむしは、私の足もとまでたどり着くと、上を見上げた――ように見えた。
そして、ためらいなく、私の靴によじのぼった。
「え、ちょっと、待って」
靴下。すね。スカートのすそ。ブラウスの袖。
ちょこ、ちょこ、ちょこ。
肩。
「いやーーー!! ぞわぞわするーーーー!!」
私は、全身の毛という毛が逆立つのを、必死にこらえた。
首すじに、ひんやりとして、ちょっとしっとりした感触。
草のにおい。柑橘とミントを混ぜたような、爽やかなにおいがする。
いもむしは私の肩の上で、満足そうに体をくねらせている。
なんだか、うれしそうだった。
……悪い子では、ないのかもしれない。ぞわぞわするけど。
「あ、あの!!!」
「なんですか」
私は、ずっと気になっていたことを質問した。
「私は、うちに帰ることは、できるんですか?」
女王は、少しだけ目を伏せた。
「魔王を倒し、導きのいもむしに願えば、あるいは」
あるいは。
あいまいな言葉だった。でも、ゼロではない言葉だった。
私は、肩のいもむしの、ひんやりした重みを感じながら、ぎゅっとこぶしを握った。
「わかりました。では、うちに帰るために、行ってきます」
「ありがとう、あかり」
女王が、ふっと笑った。
さっきまでの完璧な微笑みとは違う、ほんの少しだけ、ほどけたような笑い方だった。
でも、それは一瞬で。
女王は、再び凛とした声を広間に響かせた。
「異世界より来たりしあかりよ。今こそ旅立ち、尻文字を極め、魔王を打ち倒すのです!」
「えー」
「光の尻文字聖女、あかりの旅立ちです!」
「残念すぎる旅立ちだ!!!」
ぱっぱらぱー!
またタイミングよく、ラッパが鳴る。めでたい音だ。やめてほしい。
拍手の嵐の中、私は、いもむしを肩に乗せたまま、ずるずるとティエタさんに引っぱられて広間を出た。
扉が閉まる直前に、振り返った。
玉座の前に、女王がひとりで立っていた。
あんなにたくさんの人に囲まれているのに、なぜか、ひとりぼっちで立っているように見えた。




