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光の尻文字聖女(不本意)

「尻文字の力を使って、魔法を放つのです」

 ティエタさんは、一字一句違わずに、もう一度言った。聞き間違いではなかった。


「尻文字って、あの……お尻で、文字を書くやつ?」


 私は、念のため、質問してみる。

 違うといってほしい。


「はい、その尻文字です」


 答えたのは女王だった。女王の口からそう言われると、なんだか尻文字がすごく格式の高いことのように聞こえる。

 ……いや、聞こえない。

 気のせいだ。聞こえてたまるか。


「例えば、あかり様のお名前。明るく輝く、という意味ですね」

 ティエタさんが続ける。


「はい。私が明るく輝いているかと言われると……正直、名前負け、しているかもしれませんけど……」

「そんなことはありませんよ!」


 ティエタさんが、ぐっとこぶしを握って力説した。初対面なのに、やけに熱い。


「尻文字で、『あ』『か』『り』と、書いてみてください」

「え……いや、それはちょっと」


 全然やりたくない。


「そこをなんとか」

 ティエタさんと、三十人の使用人さんたちが、期待に満ちた目で私を見ている。


「私からも、お願いします」

 女王は、静かに微笑んだ。


 なぜ、私は、こんなところで、一国の王から自分の名前の尻文字を頼まれているんだろう。


 静まり返った広間に、遠くの噴水の音だけが、ちょろちょろと響いている。

 ……だめだ。この空気。この空気に、私は勝てたことがない。


「分かりました……」


 空気が緩む。


「ちょっと恥ずかしいんで、あっちでやってもいいですか?」

「別に恥ずかしがることではないと思いますが……」


 首をかしげるティエタさんを残して、私は「いや恥ずかしいでしょ、どう考えても恥ずかしいでしょ」とぶつぶつ言いながら、広間のすみの、分厚いビロードのカーテンの陰に入った。

 カーテンは、古い本みたいなにおいがした。


 私の名前の尻文字……ひらがなでいいのだろうか。


 ――ここから先の詳細は、省く。

 ただ、「あ」の最後の、くるんと丸めるところで、背骨の付け根のあたりが、じんわりと温かくなったこと。「か」の点を打った瞬間、背骨を、炭酸の泡みたいな何かが駆け上がったこと。そして「り」の二画目を書き終えたとたん――。


 私のまわりが、ぼんやりと暗くなり、ゆらめくような影が立ち上がる。

「ななな、なに!?」


 その影は、私の周りに集まり、すうっと消えた。

 そして……私が、光っていた。


「うわーーーーーーー!!!」


 私は、カーテンを跳ねのけて飛び出していた。

 全身から、ぴかぴかと、まぶしい金色の光があふれ出している。髪の毛の先まで光っている。まばたきするたびに、まつげから光の粉がこぼれる。なめらかな大理石の床に、私の形をした光の影が、くっきりと映っている。


 何だか、とても、おめでたくなってしまった。なぜか、「大当たり」という言葉が頭に浮かんで、私はすぐにそれをかき消した。

 おめでたいにも程がある。


「何これ!?」

「これが、わが世界の魔法です」

「残念すぎる!」

「素晴らしい魔力です!」


 ティエタさんが、眼鏡を光らせながら――いや、私の光を反射させながら、身を乗り出してくる。


「お名前のとおり、光の魔法がお得意なのですね!」

「あかりが、光の尻文字聖女と呼ばれる未来が、目に浮かぶわね」


 女王が不吉なことをいった。全然いらない、そんな未来。

 しん、とした広間に、ざわめきが広がる。


「光の尻文字聖女様……」

「なんという輝き……」

「金色よ。美しい……」

「いかん、仕事中なのに涙が出てきた」

「俺もだ、涙が止まらん」

「光の尻文字聖女様……!」


 使用人さんたちが、うっとりとした目で私を見ている。

 おばあさんが、手を合わせて拝んでいる。

 やめて。拝まないで。


 やがて、光はゆっくりとおさまっていった。最後に、ぽん、と小さな光の粒がひとつ、私の鼻先ではじけて消えた。


「なぜ、尻文字なの……。なぜ、魔法が手から出ないの……」

「魔法が、人体の末端である手から出るわけがないでしょう」


 ティエタさんが、心底不思議そうに言った。


「いや、魔法は手から出るでしょ」

「何を非常識な」


 どっちがだ。そっくりそのまま返したい。


「いいですか、光の尻文字聖女様」

「あ、はい」


 しまった。うなずいてしまった。


「光の尻文字聖女様の世界とは仕組みが違うのかもしれませんが、この世界には魔力が満ちています」

「はあ」

「そして、人の体の中にも、魔力がめぐっているのです」

「そこまでは……なんとなく想像がつきます」

「体をめぐったものは、どこから出ますか?」

「……」


 私の頭の中に、保健室に貼ってあった、人体の消化器官のポスターが広がった。口から入って、胃を通って、腸をめぐって、最後に――。


「それって……」

「何を想像したかはわかりませんが、違います」

「いやいやいや、どう考えてもそれって……」

「違います」


 圧力を感じる。


「あかり」

 女王が、静かに私の名を呼んだ。


「確かに、この世界はちょっと変わっているかもしれません」

 女王は、すべてを包み込むような、慈愛に満ちた微笑みを浮かべていた。


「でも、みんな違ってみんないい。そうは思いませんか?」


 その言葉を、私はゆっくりと噛みしめた。

 噛みしめて、そして、飲み込もうとして――。


「いや、思わないよ? 魔法がお尻から出るんでしょ?」

「違います。魔法がお尻から出るのではなく、尻文字で魔法を唱えるのです」

 ティエタさんの顔が真面目だ。


「似たようなもんでしょ!」

「違いますよ!」

「どこが!?」

「似て非なるものです!」

「同じでしょ?」

「何がそんなに嫌なのですか!?」

「尻文字が、だよ!」


 私の叫び声が、丸天井にわんわんと反響した。

 ゆっくりと消えていき、そして、無音になった。

 女王は、私を見ている。


「受け入れてくれて、うれしいわ」

「おっ、無視したな」


 女王は、にっこりと微笑んだまま、私の叫びを完全になかったことにした。

 千年の貫禄とは、こういうことか。


「尻文字魔法については、ティエタから教わってください」

「教わらないってば」

「ティエタは、尻文字では、この世界で右に出るものはいない知恵者です」

「残念な知恵者だな」

「言い方」

 ティエタさんが、じとっとこっちを見る。


「だったら、ティエタさんが魔王を倒せばいいじゃないですか」


 女王がティエタさんを見た。

 ティエタさんは、なぜか胸を張った。


「ところが私には、魔力が全くないのです!」

「この人残念すぎる!」


 女王は、すっと背筋を伸ばした。その瞬間、広間の空気が、きんと張りつめた。


「……決まりましたね」

「何も決まってないよ! 今、何が決まったの?」


 銀の髪がふわりと揺れ、青い瞳が、まっすぐに私を射抜く。

 さっき「うぐっ」と言った人と同一人物とは、とても思えなかった。


「光の尻文字聖女が、いまここに誕生しました!」


 ぱっぱらぱー!


 どこからかラッパが鳴り響いた。誰だ、ラッパ吹いたやつは。


「わーーーーーーっ」

 使用人さんたちが、いっせいに拍手をする。割れんばかりの拍手だ。

 さっきのおばあさんに至っては、泣いている。


「いやだーーーーーー!!!」

「素晴らしい名誉なのですよ?」

「何が? どこが!?」


 ティエタさんがまっすぐに私を見てくる。


「光の尻文字聖女として、民の尊敬を受け放題です!」

「いらなーーーーーーーーい!!!!」

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