頼みやすい私
セミが鳴いている。
ミンミンとジージーが全部まざってシャアアアとしか聞こえない、七月の終わりのセミだ。
放課後、開けっぱなしの窓から入ってくる風は、ぬるりとカーテンを揺らしている。カーテンはカーテンで、やる気なく垂れ下がっている。
私の名前は、内藤あかり。ごく普通の中学二年生だ。
肩にかかる黒髪をひとつに結んでいる。前髪は自分で切って少し失敗した。
特技はない。
これといった特徴もない。強いていうなら、委員長を押し付けられそうなタイプだ。
……というか、実際に押し付けられた。
どうやら私は頼みごとをしやすいらしく、そして私は、断るのがとても苦手だ。
「ねー、いいんちょー。文化祭のクラス発表、考えてくれた~?」
六時間目が終わった瞬間、机のまわりに人が集まってくる。こういうときだけ、私はクラスの人気者だ。
「内藤さん、なんかいいアイデアないの~?」
「あ、うん。ええと、あの……例えば、ダンス、とかは?」
「ふつー」
「つまんなーい」
小池さんと、その隣の子が、声をそろえた。三文字と六文字で、私の二日分の熟考が却下された。
「ご、ごめん。ええと、クラス委員は私だけじゃなくて、鈴木くんもいて……」
ちらりと見ると、鈴木くんはもうリュックを背負って、ドアに手をかけていた。
「僕は塾があるので。内藤さん、考えてもらっていい?」
「あ、うん……」
「うん」じゃない。今のは「うん」じゃなかった。たまには「いやです」と言ってみたらどうだ。私。
「内藤さん、明日までに考えてきてよ~」
「なんか、奇抜で」
「面白くて」
「準備が簡単で」
「それ大切」
「クラス発表で最優秀賞になれるやつ!」
注文が多い。というか、そんなものはない。
「ええ……うん、じゃあ、考えてくるね……」
結局そう言ってしまった私の声は、セミの声にかき消されそうなほど小さかった。
そのときだった。
ずん、と。
床の底から、何かが突き上げてきた。
「え! 何!? 地震?」
「すごい揺れてる!」
大きな地震特有の、ぬらりとした気持ち悪さ。
机が跳ねて、筆箱が落ちる。天井の蛍光灯が、ぶらんと大きく揺れる。窓ガラスがびりびり鳴る。
誰かの悲鳴。
光が揺れている。
すると、揺れる光が、私のほうへ集まってきた。
ドクン。心臓が鳴る。
なんだこれは。蛍光灯の光じゃない。窓からの日差しでもない。どこからともなく現れた何本もの光の筋が、四方八方から、まっすぐ私だけを照らしている。まぶしくて目が開けていられない。
地響きがどんどん大きくなる。自分の心臓の音と区別がつかない。
「わーーーーーーー!!!!」
だん、と。
世界が、一度、大きく足踏みをしたみたいな音がして。
全部の光が、消えた。
――そして気づくと、私は、異世界にいたのです。
えーーーーーーーーーー!!!!!!!!
――最初に感じたのは、音だった。
どこからともなく、リズムが聞こえてくる。クールな低音だ。
低温なのに、熱い。
リズムを刻みたくて、刻みたくてたまらない――そんな衝動をもった火照った音を、無理やり冷たい水の中へ沈めたら、こんな音になるのかもしれない。
肌を刺すような鋭さがあるのに、その冷たい刺激が心地よい。
そこへ、旋律が重なる。
音が色づいていく。音色とは、本来こういう意味なのだ。そう感じた。
目の前を赤や青、金色の光が駆け抜けていく。
やがて、体の輪郭と音の輪郭が溶け、混ざり合う。
その音はいつの間にか私の体の一部になったかのように、そこにあり続けていた。
心地いい。ただ、この瞬間に身を預けていたい。
体は軽く、心は静かで、世界がほんの少し遠くなる。
ああ、これは、ダンスミュージックだ。
そう気づいたときに、目が覚めた。
――目を開けると、そこは天井の高い部屋だった。
丸天井だ。
そこにはめ込まれた色ガラスから、やわらかな日差しが差し込んでいる。
白い大理石の床には、赤や青、金色の光が落ち、複雑な模様を描いていた。
窓の外を見ると、太陽はすでに少し傾きかけている。
たぶん、午後三時くらいだろう。
部屋の両側には、おそろいの青い服を着た人たちがずらりと並んでいた。だいたい一クラス分、三十人はいるだろうか。
全員が、ぴしっと背筋を伸ばして、私を見ている。
そして、正面。
一段高くなった玉座の前に、ひとりの女の人が立っていた。
きれいな人だった。
銀色の髪。月の光を細く紡いだら、こんな色になるかもしれない。淡い輝き。
その髪が、足首のあたりまで、ゆるやかに流れている。
白い肌に、湖の底みたいに深い青の瞳。
頭には、細くて繊細な葉をかたどった小さな銀の冠。ドレスは白くて、裾にいくほど淡い水色に染まっている。
年齢は、わからない。同い年にも見えるし、もっとずっと上にも見える。
ただ、目の下に、ほんのかすかに影があった。疲れている。そう感じた。
「ようこそ、あかり」
きれいな声だ。鈴のような音がする。
そして、私の名前を知っている。何でだろう。
「私は、この世界の女王、アイノ。千年にわたり、この世界を治めています」
「はあ、そんなに長く……」
千年。日本だと平安時代から今までくらいだ。
お疲れさまです、としか言いようがない。
「誠に勝手ながら、あなたをこの世界に召喚しました」
「なんで私なんですか……?」
「あなたの力が必要だったからです」
女王は、そう言いながら、すうっと目線を右にそらした。
この目のそらし方を、私は知っている。頼みごとをされるたびに何度も見てきた目だ。
「本当ですか?」
「……本当です」
「こいつなら頼みやすそうだと思ったからですか?」
「うぐっ」
女王が、うぐっていった。千年生きた女王が。
女王は、こほん、と咳ばらいをして、なにごともなかったかのように背筋を伸ばした。
「……頼みごとをしやすそうだったのは、事実です」
認めた。
異世界にまで来て、また「頼みやすそうだから」。
地球を飛び出しても、私の顔はそういう顔らしい。
「……私、今、自分を変えるって決めた」
私は、大理石の床を見ながら、ぎゅっとこぶしを握った。
「一年前、この世界に魔王が誕生しました。あなたには、この世界を破壊しようとする魔王と、戦ってほしいのです」
そして、この人、私の決意を全然聞いてない。
「あ、」
あ、うん。と言いかけた。
だめ。がんばれ、こらえろ。言え、自分を変えるんだろ。
「ええと、いや……ちょっと難しいのではないかと」
言えた! 「難しい」って言えた!
ちょっと遠回しだけど、これは実質「いやです」だ。
「あなたには、この世界最強の聖女になる素質があります」
おっと、聞いてない。
で、ええと、私が聖女だと?
「――ティエタ」
「はいっ!」
ばたばたばた、と足音がして、列の後ろから、誰かが転がるように飛び出してきた。
小柄な女の人だった。
栗色の髪をふたつの太い三つ編みにして、丸い眼鏡をかけている。そばかすの散った頬は健康的に赤くて、明らかにサイズの合っていない深緑のローブの袖を、何重にも折り返している。
腰のベルトには、ペンやら小瓶やらが、じゃらじゃらと吊り下がっていた。指先は、インクで青く染まっている。
見るからに、「勉強が好きすぎて寝るのを忘れる人」だ。
「この世界の魔法の仕組みを、説明してさしあげなさい」
「はい!」
ティエタさんは眼鏡をくいっと押し上げ、目をきらきらさせて私に向き直った。
「まず、この世界には、あかり様のいた世界よりも、魔力が満ちています」
「で、その力で魔法を使うんですね? なんとなく想像つきます」
異世界転生の小説は、何冊か読んだことがある。こういうのは、だいたい手から炎が出たり、杖の先から氷が出たりするのだ。
私は、ちょっとだけ、ワクワクしてきた。
「そう。尻文字の力を使って、魔法を放つのです!」
「ん?」
ステンドグラスの光の中を、ほこりがきらきらと舞っている。
私の脳が、今聞いた言葉の意味を、一生懸命に拒否していた。




