暴食の迷宮とフッキンさん
『暴食の迷宮』の内部は、異様な空気に包まれていた。
壁からはバターのように濃厚な脂が染み出し、空気中には綿あめのような甘ったるい匂いが充満している。
普通の冒険者であれば、その匂いだけで胃もたれを起こし、戦意を喪失してしまうような悪環境だった。
「……なんという劣悪なマクロ栄養素(PFCバランス)だ。空気を吸うだけで脂質と糖質を過剰摂取してしまいそうだな」
豪は顔をしかめながら、手で鼻を覆った。
「師匠! この甘い匂い、誘惑に負けそうになります……っ!」
「負けるなクレアティナ! 息を吸うなとは言わん、ドローイン(腹横筋を締める呼吸法)で体幹を固めて、匂いをシャットアウトしろ!」
「はいっ! ふんすっ!!」
大剣を背負ったクレアティナが、顔を真っ赤にして腹を引っ込める。
その横では、ガリガリの魔術師マルトディアが、巨大な杖を構えながら黙々とスクワットを繰り返していた。
「ひぃ、ふぅ……っ! 師匠、太ももが燃えるようです……!」
「良い傾向だマルトディア! 筋肉が喜んでいる証拠だぞ!」
奇妙な筋トレ行軍を続ける三人。
最後尾を歩くカタボリカだけが、完全に呆れ果てていた。
「もう……なんでダンジョンの中で筋トレしてるのよ。
っていうか、どうして私までこんな場所に……」
「文句を言うなカタボリカ。お前の風魔法による『換気』がなければ、この劣悪な空気で窒息していたところだ」
「私は空気清浄機じゃないわよ!」
そんな漫才を繰り広げながら進む一行は、やがて迷宮の最深部――広大なボス部屋へと辿り着いた。
『グルルル……ヨクゾキタ、筋肉バカドモ……!』
部屋の中央に鎮座していたのは、見上げるほど巨大な脂の塊だった。
全身が黄色いドロドロの脂肪で覆われ、キャンディの角を生やした醜悪な魔物、『コレステロール・ゴーレム』である。
『ワガ身ハ究極ノ脂質……! 物理攻撃ナド全テ吸収シテヤルワァァァッ!』
ゴーレムが咆哮と共に、強酸ならぬ「超高カロリーの脂の塊」を雨霰と降らせてきた。
浴びれば一瞬でデブになる(かもしれない)恐ろしい攻撃だ。
「マルトディア! 迎撃だ!」
「はいっ、師匠! 『炎よ、爆ぜろ』っ!!」
マルトディアはスクワットで深く腰を落とした完璧なフォームから、強力な爆発魔法を放った。
ドゴォォォンッ! という轟音と共にゴーレムの脂の雨が吹き飛ぶ。
もちろん、マルトディア自身は強靭な下半身の踏ん張りにより、一歩も後ろに下がっていない。
「よし! 次は俺の番だ!」
豪は一歩前に出ると、両手を頭の後ろで組み、片脚を前に出して腹筋と太ももを極限まで収縮させた。
「見よ! この腹直筋の厚みと、大腿四頭筋の深いカット(溝)を!!」
ゴーレムが「何をしてるんだこいつ」という顔で動きを止めた隙に、豪は叫んだ。
「唸れ筋肉! アブドミナル・アンド・サイッ!!」
豪の腹筋がバキバキと音を立てて波打ち、光の柱が迷宮の天井を突き抜けた。
『……糖質を許しません』
光の中から現れたのは、ストイックな風紀委員を思わせる、冷たい目をした少女だった。
彼女の腹部には、彫刻のように美しく、そしてバキバキに割れたシックスパック(腹直筋)が輝いている。
「おお! 腹直筋の化身、今日から君は『フッキンちゃん』だ!」
「承知しました、マスター。……それにしても、あちらの魔物」
フッキンちゃんは、コレステロール・ゴーレムを見据えてメガネを押し上げた。
「GI値が高すぎます。存在自体がギルティです」
『ナンダトォ!? ワレノ高カロリー攻撃ヲクラエェェ!』
ゴーレムが突進してくるが、フッキンちゃんは一歩も引かない。
彼女はバキバキのシックスパックを突き出し、正面からゴーレムの巨体を受け止めた。
「なっ……物理攻撃なのに、腹筋だけで受け止めた!?」
カタボリカが驚愕の声を上げる。
「脂肪燃焼の刑です」
フッキンちゃんがゴーレムの腹に張り付き、そのシックスパックを大根おろしのように使って、激しい摩擦を起こし始めた。
ギョリギョリギョリッ!! という恐ろしい音が迷宮に響き渡る。
『ギャアァァァァッ!? ワ、ワガ自慢ノ脂肪ガ、削レテイクゥゥゥッ!!』
バキバキの腹筋による超高速の摩擦熱(物理)により、ゴーレムの脂肪がみるみるうちに燃焼し、蒸発していく。
わずか数十秒後、巨大だったコレステロール・ゴーレムは、完全に燃え尽きてサラサラの灰へと変わってしまった。
「よし、ナイスカットだフッキンちゃん!」
「当然の務めです、マスター。明日はチートデイにしましょうね」
ゴーレムが消滅した瞬間、迷宮全体がまばゆい光に包まれた。
ダンジョンの核が浄化され、暴食の魔力がクリーンなエネルギーへと変換されていく。
「な、何が起きてるの!?」
カタボリカが目を丸くする中、ドロドロだった迷宮の壁が清潔な鏡張りに変わり、岩のオブジェは次々と「パワーラック」や「トレッドミル(ランニングマシン)」へと姿を変えていった。
「素晴らしい……! ダンジョンの魔力が浄化され、理想的なトレーニング環境として再構築されたのだ!」
豪は感動に打ち震えながら、ピカピカのベンチプレス台を撫でた。
「マスター、ここは24時間体制で筋肉を追い込める『フィットネスジム』ですね!」
ニト子がダンベルを振り回しながら歓喜する。
「ああ! ここを俺たちの第一拠点とし、異世界のひ弱な民たちに筋肉の素晴らしさを布教していくぞ!」
「はいっ、師匠!!」
クレアティナとマルトディアが、嬉し泣きしながら腕立て伏せを始める。
「……嘘でしょ。ダンジョンが、おじさんの趣味の部屋になっちゃった……」
魔物が消え去り、代わりにむさいトレーニング器具がズラリと並んだ空間で、カタボリカはただ一人、深く深いため息をつくのだった。
「というか、街にはいつ行くのぉぉぉぉ」




