第二十八話
カツウラは夏真っ盛り。強い日差しが肌を焼き、じりじりと炙られる。
魔法電池が普及している街では、各家庭に冷房装置が大抵用意されている。冷却の魔方陣がセットされている機器に魔法電池をセットすれば周囲を心地よく冷やしてくれるのだ。だが調子に乗って使っているとあっという間に50近く魔力を消費してしまうので、こまめにスイッチの操作をしなければならないのが欠点だ。トーキョーでは温度調節や風の向きまでコントロール可能なエアコンが実用化されているが、魔力の消費も大きいのは当然として機器の価格そのものがおいそれと買える物ではない。逆を返せば既に存在していた便利な家電を模倣してキャッチアップするのは、魔法による代替技術さえできてしまえばコストを惜しまない限り実現できるのだった。
そんな中、セルジオとマサヨシは海に来ていた。
休みのタイミングが合ったので遊びに出かけようと言うことになったのだ。
「いやぁ、今日も暑いなぁ。日差しがきついぜ」
セルジオは最近手に入れたサングラスをかけている。とはいえプラスチック製品はこの世界にはなかなか出回らないのでガラスレンズだ。
「ほんとっすねー。あちぃあちぃ」
マサヨシは隣で手で顔を扇ぎながら歩いている。
「でも、お天気が良いと心もウキウキしますよね。私は季節では夏が一番好きだなぁ」
と、マサヨシの反対側を並んで歩いているのはファーナだ。ここ最近はすっかり二人と仲良くなり、こうやって一緒に行動することも増えた。最初はややおどおどして大人しい印象があった彼女だったが、気兼ねなく付き合うようになると印象はガラッと変わり、積極的で世話焼きの性格が顔を出すようになった。彼女の家族は弟が二人に妹が一人、長女の彼女は率先して下の兄弟たちの面倒を見ることが多かったので自然と周囲の面倒を見る行動になるようだった。
「あ、見て下さい、屋台が出てますよ」
「おう、本当だ。良い匂いもしてるな」
「あー……やっぱ醤油の焦げる匂いはたまんないっすねアニキ~」
三人は吸い寄せられるように近づいていく。
カツウラの海岸は住人たちの憩いの場所でもあり、同時に観光客たちの格好の巡回スポットにもなっていた。自然と人が多く集まり、それを目当てに屋台の出店も増えていた。地元の新鮮な食材を筆頭に、最近だと日本で定番の屋台グルメも多く見かける。よその都市では貴重品として扱われている醤油も、ここカツウラではふんだんに使われていた。
そこに別の香ばしい匂いが漂ってきた。
それにいち早く食いついたマサヨシ。
「へ?うそ?でもこれ……」
「おいどうしたマサヨシ、どこに行く」
突然駈けだしたマサヨシをあわてて残りの二人も追いかけた。
そこにあった屋台。
のれんには『焼きそば』とある。
ジュージューと鉄板の上で踊る麺。褐色のソースが降りかかり、さらに食欲をそそる音と香りを奏でる。
カツウラに住まうのは元々日本にゆかりのある人がほとんどだから、これはもうたまらない。音と匂いが周囲に暴力的に降りかかり、一つの屋台に凄まじい行列が並んでいて大賑わいだ。
「なんだこりゃあ!売ってる物もヤバそうだが人の多さもヤベえ!」
セルジオは焼きそばを知らなかったのでそっちには気を取られなかったが、人混みの多さに警察官魂を刺激され、雑踏整理に取りかかった。マサヨシはもちろん知っているので屋台にかじりつく。
「お兄さん!順番だから並んでね!……とはいえここまで人が多いと今から並んでもらっても売り切れそうだがなぁ」
手を忙しく動かしながら売り子の男が大声を出す。言われてマサヨシも我に返る。そして値段を見た。
「焼きそば一つ50ぅ!うえええ!」
「すまないね、ようやくソースの仕込みができたところでね、とてもじゃないがこのくらいの値段じゃないと割が合わないんだ。それでもみんな値段を見てからでも並んでくれてる。ありがたいことだよ」
実際、ウスターソースの原料はどれも全部カツウラの作物がないと成立しない物ばかり。特に香辛料の手配がとても難易度が高かった。
その上原料を煮込んで仕込みに入り、完成するまで半年はかかる。それだけでなく熟成させてみたら味わいがソースらしくないとなって仕込み直しも何度もやっている。ノウハウもないところから醸造しているので、とてつもなく手間が掛かっているのだ。
だが、ウスターソースは『日本人なら絶対に欲しがる調味料』の筆頭とも言えるものであり、以前よりトーキョーを始めありとあらゆる場所の日本食マニアからひっきりなしに問い合わせが途切れなかったので、需要に応えようと万難を排して挑戦が数年間続いていた。今年に入ってからいよいよ満足のいく熟成が完了し、少数ロットがとてつもない高額で予約リストに記載されている富裕者の手に渡って、今回は今後の需要を見込んでプレゼンを兼ねて店頭テスト販売の機会となったのであった。
小麦を原料とする中華麺。かんすいがうまく再現できなかったので麺の色はやや白い。それにカットされた薄切り肉と葉物野菜を炒め、仕上げにウスターソースを振りかける。
日本ではどこでも見かける屋台の光景が、ここ異世界のカツウラで再現された。
「……あれ?削り節はないの?」
「ああ、それも勿論考えたよ。焼きそばに削り節に青ノリは欲しいよね。だけどさ、今より更に値段を上げないといけなくなるから今回は諦めたんだよ。でも要望が多いようなら考え直すけどね。もし良ければ自分たちで作った削り節を振りかけるといいさ」
鰹節はすでにカツウラの名産品として流通している。よって物がないわけではない。しかしそもそも出汁を取る食材として需要が半端ではなく、数年先まで予約で埋まっていて市場に流通する量がないのだ。実際アイラを筆頭に漁師であっても鰹節はほぼ口にすることはなく、イワシなど中型の魚を自分たちで燻製加工するものがようやく口にできる限界だった。それでも引き合いは多く、作るそばから売れていくのだった。
セルジオとマサヨシは周囲の警戒も兼ねて雑踏を捌いている。
「並んでいる方は押さないようにして下さいねー」
「焼きそば、数量限定の早い者勝ちでーす。値段は一つ50でーす」
ついでに『焼きそばの値段が一つ50と高価である』ことも宣伝文句のように挟み、注意喚起している。
案の定、値段を聞いた人が列から離れ始めた。
「うわー、並んでみたけど値段見てなかった。買う前で良かったわ」
「高いよねー……でも『あの焼きそば』だよ?下手すると他の日本食よりレアだよ?屋台の食べ物としては高いけど、ここでしか食べられないなら出してもいいかも……?」
人々は口々にこっちで初めて出会った前世の頃の思い出の味、焼きそばの話題を語り合っていた。
「みなさーん、押さないで下さいね-」
ついでに雑踏整理に加わっていたファーナ。そこに呼び止める声が。
「あーーーーーーーーっ!ファーナだあああああ!いいとこにいたああああああ!」
唐突の大声にファーナはびくついて振り向く。そこには幼なじみの友だちがいた。
「え、レイサじゃない!あなたも並んでたのね」
「そうだよぅ、そうなんだけどさ、値段を見ずに並んじゃったのぉ!どうしようかって思ってたの!」
レイサは腕を横にぶんぶん振ってだだをこねるような動きに。
「今日ここで50使っちゃったら明日から食費が無くなっちゃうの!だから使っちゃだめなのよ!でもね、この焼きそばっての、すんごいいい匂いだし!多分今日買っておかなきゃ二度と食べられないと思うの!明日から一週間ごはん抜きになっても食べる価値があるかもしれないの!でもね、迷ってるの!だからファーナ助けてぇ!」
レイサにすがりつかれながらファーナは大きなため息をついた。
「ほんとにもう。あなたは目を離したらすぐ何かやらかすのよね。で、今魔力はどれだけあるの?見せてもらってもいい?」
レイサはおずおずと懐から魔力電池を取り出した。
「どれどれ……残り60ないじゃない!これ払ったら終わっちゃうよ!なんで後先考えずに魔力を使っちゃうの!そういうとこよ!」
そこにマサヨシが近寄ってきた。
「どうしたんすか?揉め事っすか?」
「あー、マサヨシさん。実は……」
ファーナはレイサと共にマサヨシに顛末を説明した。
「なるほどねぇ……じゃあ、俺らが魔力出し合って買った後でみんなで焼きそば食べましょうよ。とりあえず味見はしてみたいんで、俺は一口くれればいいっす」
「とか言ってお前さ、ちゃっかり乗っかって食ってみたいだけじゃないのか?」
気がつくとマサヨシの後ろにセルジオが立っていた。
「や、やだなぁアニキ。これも人助けですってば」
「本当か?」
セルジオはマサヨシの頭を両手の拳でぐりぐり。
「いたいいたいいたい、マジっすマジっす」
「ふえええええええん!ありがとうございますううううううう!」
「まあ、困ったときはお互い様だ。俺とマサヨシはわりと手持ちがあるから大丈夫だ」
「そうそ……アニキがなんで俺の魔力を知ってんですか!?」
「ばーか、お前の懐具合とか大体想像が付くんだよ、推理するまでもねえ」
「うふふ、お二人は本当に仲良しさんですよねぇ」
結局、四人で魔力を出し合って買うこととなり、事前に三人がレイサの電池に魔力を受け渡した。そのままレイサは売り切れる前に焼きそばの購入をすることになった。
経木の舟に盛られた焼きそばを、近くのテーブルへと運び四人でほおばる。
「アニキ!これっすこれっす!もう食えないとあきらめてた焼きそばだあああああ!」
前世で味を知っているマサヨシが感慨深げに焼きそばを豪快にすすっている。
「おいしいよおおお!並んだ甲斐があったよぉ!うれしいいいい!」
レイサが涙を流しながら味わっている。
「それじゃ俺も一口……なるほど、こりゃうまい!出汁ベースの日本食の繊細さとは違うが、これはこれで香ばしくていいなぁ」
セルジオも感慨深げに味わっている。
「へええ、これがソースの味なんだ。……私ばっかり食べちゃって、うちの兄弟たちに食べさせられないのが申し訳ないわ。もしソースが手に入るようになったら何とかして買わなくちゃ」
ファーナは家族と分けられなかったのが心残りなようだ。
と、そこに。
遠くから大きな物音と男女らしき人の叫び声が響いてきた。
そういうのに耳ざといセルジオが口の中の焼きそばを慌てて飲み込み立ち上がる。
「なんだ!?どこからだ?」
見回すとさほど遠くない場所に言い争いになっている男女がいる。テーブルをひっくり返して口論になっているようだ。
「すまんがちょっと行ってくる」
「あ、わたしも付いていっていいですか?」
隣に座っていたファーナも立ち上がり、セルジオと一緒に駈けだしていった。
焼きそばに夢中になっていたマサヨシは、それに気づくのが一瞬遅れてしまった。
周囲の異変に気づき、マサヨシが顔を上げると、そこにセルジオがいない。
辺りの空気はざわつき始めている。不穏な光景になりつつある。
彼にとって、それは過去の嫌な出来事を脳裏に蘇らせるトリガーとなった。
途端にマサヨシは顔が曇り、冷や汗が顔を伝い始める。陽気な彼の表情は泣き顔になり、口からは言葉にならないうめき声が漏れてくる。
彼はテーブルに突っ伏し、頭を抱えてうずくまった。
「ん?どうしたの?気分悪いの?」
焼きそばを夢中で頬張っていたレイサもさすがにそれに気づいて声をかける。
自然と彼女の左手が彼の頬へと伸びる。右手はまだ割り箸に焼きそばを挟んだまま。
……
魔女は、カツウラの住民の中で、特に注目して大事にしたい人にはそれぞれ分身を寄り添わせて、見守りつつ危険が及ばないようにしていた。
レイサにもそれは付いていた。彼女はこの世界でも稀なほどに警戒心が薄く、身の危険を顧みず、思ったらすぐに行動してしまう性格の持ち主だ。それは彼女の祖父祖母の代からカツウラで安寧に暮らしてきた経歴の為せるが故である。とても安全で災害もなく、害する人間は排除され他国からの侵略の危険もない土地であるので、代々が誰かを疑い身の安全を図らねばならない必要性がない生活をずっと送ってきたのだ。魔女もそれは把握しており、即ちそれが魔女にとって好ましい人間のあり方であると考えてきた。だからレイサにも良い男性が現れて、沢山の子供を成して子孫を残して欲しいと願っていたのだった。
そんなレイサがとある男性と関係を深めつつある。これは魔女にとって非常に好ましい状態だ。是非に関係を深めてもらいたいものだ。そう思った分身は、相手の男性、マサヨシに注目した。すると、彼に『魔女の分身が付いている』反応がある。だがレイサの分身は、それについての情報がない。
まず分身は自分の上に位置するサブに問い合わせた。だが直属のサブにも情報がないという。やむなくレイサの分身は本体である魔女本人にコンタクトを取った。
魔女はとある場所にて魔方陣の生産を指揮していた。彼女の魔力に耐えうる魔方陣は、規模も威力も大きいので魔方陣そのものもかなり大きい。一番巨大な物は一辺が50メートル以上にも達する。当然それを生産するには手間も時間も掛かるので、魔方陣の生産に従事する分身が昼夜を問わず働いている。時折本体もそれを指揮しつつ自らも生産を行っているのだ。
そこに末端の分身から問い合わせが入った。『所属不明の分身を発見したので対応を願う』と。
所属不明というのでその場の作業を中断し、その問い合わせがあった分身に意識を移す。そこには魔女も良く知るマサヨシがいた。そして胸に提げられたペンダント。当該の分身はそれに擬態している。
やや記憶が曖昧になっているので、魔女は各サブに対して情報共有を要求した。マサヨシに対して分身を与えた経緯を詳しく報告せよ。
するとトーキョーのサブの一体から返答があった。緊急事態においてマサヨシの身の安全維持のため分身が寄り添っていき、そのまま活動を継続していると。
……魔女はようやく理解した。指揮系統から外れた分身がそのままになっていたのだ。
その分身に対して情報共有を求めた。すると、その分身は『マサヨシはまだ不安定な状態であるので庇護を続けねばならない、その任は自分に与えられているので何があっても続行する、それが達成されるまでは消えるわけには行かない』と返答してきたのだ。
これは、魔女の分身としては極めて異例なことだった。分身は己を主張しない。それぞれの役割を忠実に守り行動する。魔女としての行動原理を基本とし、機密を守ることが第一であり、何かあれば自分の所有している情報を共有した上で即座に任務を引き継いだ上で自分は消え去る。
魔女そのものが死ぬことができず、命尽きることを願っている。だから『任務のために自身が消える』のは喜ぶべき事。それが分身の基本原則だ。しかし目の前のペンダントに偽装した分身は『消えたくない』と明確に主張している。これは魔女としての行動原理から外れた発想である。
魔女は、まず目の前の異質な分身に対してこう発した。『お前はそこから分身を生み出してはいけない』と。要は異質な分身がこれ以上増えないように対策を施したのだ。魔女の分身集合全体としての質を維持するために必要な措置であった。
その上でトーキョーのサブからパスを直轄に繋ぎ直した。これで何かあれば直接把握が可能になり、監督も容易になる。
そして、今の任務を続けて良いと告げた。そのままペンダントとして警護せよと。
魔女にとっても、この変質は興味深かった。この現象を把握しつつ研究すれば、自分の本質の理解にもつながるように思えたからだ。
……一旦対応を行った魔女は、目の前のかぐわしい香りを放つ見慣れない食品に目が行った。
焼きそば……?食べたことがない。
光遙亭のメニューに焼きそばが加わるのはそれから数週間後のことであった。




